甲田光雄先生のお弟子さんの記事を2つご紹介させて頂きます。

 最初の記事は「抗がん剤」に関する内容ですが、甲田光雄先生のお弟子さんはこの記事の中で、癌患者が持つべき「医師に対する心得」をお話しされています。

 医師の中には、癌患者が「抗がん剤」を拒否すると「嫌な顔」をしたり、ましてや、癌患者に「抗がん剤治療」をさせるために「脅し」をかけてきたりする以ての外の医師も多々いますが、こういう医師は、まずもって「癌患者を殺す医師」ですから、癌患者さんは必ず要注意せねばなりません。
 こういう医師は「抗がん剤」で平気で癌患者を殺します。平気も平気‥、そのことに対して何も感じません。
 それでいて、いざ、自分や家族が癌になったら、普通に「抗がん剤」を使用しないのです。

 こういう医師が全国に溢れているから、年間30万人もの癌患者が「抗がん剤」が原因して亡くなっているのです(抗がん剤によって殺されているのです)。この「精神腐敗」が進んだ通常療法の癌医療の危機的状況が分かりますか‥。まさに、通常療法の癌医療は「癌医療ビジネス」に狂奔するだけの「鬼畜現場」と化しているのです‥‥。
 いいですか‥、年間30万人もの癌患者が「抗がん剤」で殺されているんですよ‥。
 彼ら(製薬業界癌医療界)は、もはや、すべて分かっていて、今なお、これを繰り返しているのです‥、まさに「鬼畜」としか言いようがありません‥‥。


 次の記事でまとめたのですが、癌患者が「抗がん剤」を拒否すると「嫌な顔」をし、医師の態度が豹変して、命が懸かっている癌患者に対して粗暴になり、ましてや「抗がん剤治療」を受けるように「脅し」をかけてきたり、言葉巧みに誘導してきたり‥、このような通常療法の癌医療の実態に、私はかなり胸を痛めていました。

   「抗がん剤」を拒否すると、医者は豹変する!【 癌患者さんが伝える、医者の本性! 】

 とんでもないことですよ、これは‥(涙)
 ここまで来ると、もはや「医療」と呼べませんね‥(大涙)

 こういう以ての外の悪質なる医師は、その医師の姿自体が「私は信用できませんよ」とハッキリ打ち明けているのですから、そんな医師のいる病院自体がアウトなので、その悪質なる病院や医師から早く離れ、真面な病院や医師を探したほうが得策です。
 癌患者さんには「時間の問題」が絶対的にあるのですから、そんな悪質なる病院や医師に対してはとっとと見切りをつけ、早く真面な病院や医師を探す行動を起こさないと「時間がもったいない」の一言です(そんな悪質なる病院や医師にいつまでも関わっているのは「時間の無駄」としか言えません)。


 でも、癌患者さんの中には「医師との関係」を気にしすぎるあまり、ダメな病院や医師に見切りをつけて区切り、真面な病院や医師を探す行動をなかなか起こせない方が少なくありません。
 やはり、人間ですから「医師とのつながり」を良く持ちたいのは正常な思いでしょう。
 しかし、上記のような悪質なる医師の場合には、この思いは成立しません。
 なぜなら、こんな悪質な医師に気を遣っていたら、癌患者さんの中には「抗がん剤」の危険性を知っていながら、悪質な医師の巧妙なる誘導によって「抗がん剤」に手を出す羽目になり、まんまと死地(化学療法死)へと向かって行ってしまった癌患者さんが多くおられるのです(芸能人にもたくさんいますね‥)。
 上記のような悪質なる医師を真面目に相手にしていたら、本当に殺されますよ‥。

 甲田光雄先生のお弟子さんは過去、こういった悪質なる医師に散々な目に遭わされる経験もされているため、この悪質なる医師の怖さを重々承知されていますから、このような悪質なる医師の場合には「助かりたい人は、躊躇なく医師を変えてください」と叫ばれています。

 これは、まったくもって、その通り! 悪質なる医師の場合には「躊躇なく医師を変える」べきです。
 だって、そうしなければ、マジで殺されますよ! そうですよね!

 日本人は相手に気を遣われる方が多いですが、その「気を遣うべき人と状況」を選ばなければなりません。
 上記のような悪質なる医師にいつまでも気を遣うことは「無知の気遣い」であって、それは「正しい判断」であるとは言えません。
 癌は「時間の問題」があるのですから、「あぁ~、この医師はダメだな‥」と感じたなら、躊躇なく医師を変えるべきです。癌患者さん自身の命が懸かっているのですから、そこは「躊躇すべきところではない」はずです。

 案外と、ここは他人事だと「そうだな」と思えるのですが、いざ、自分自身や家族が癌になると、医師の巧妙なる誘導手口にハマって「抗がん剤」に呑み込まれてしまう癌患者さんが結構多いのです。
 とにかく、上記のような悪質なる医師に遭遇したら、癌患者が「殺される」のを回避するためにも余計な気を遣う必要は一切なく、まず、その悪質なる医師から離れるべきです。当たり前ですが、悪質なる医師のそばにいたって、有害無益になるばかりだからです。


 それでも、悪質なる医師に対してでさえ、余計な気を遣ってしまう癌患者さんは、ここは少し「心持ち(感じ方考え方)」を変えてみましょう。

 インド哲学には「不干渉」という教えがあります。
 この「不干渉」というのは「干渉しない」ということですが、これは案外と重要な精神であり、私たち人間は常に誰かに「干渉してしまっている」という実態があるのです。

 相手に不平不満不服を持ち、相手に直接、愚痴を言ってしまうことは相手への「干渉」であり、また、相手に直接、愚痴を言うことはなくとも、相手のいないところで陰口を叩いたり、心の中で愚痴を叫んでいたりすることも相手への「干渉」なのです。これは「マイナスの干渉」ですから、自身が「負のカルマ」を背負うことになります。
 また、間違った相手を正そうとして説教をすることも「干渉」ですが、世間でも実に多いのが、相手に説教しても相手が分からないと「言ってやったのに!」とか「どうせ、アイツには分からないさ!」とか、結局は愚痴に回り、これも「マイナスの干渉」ですから、自身が「負のカルマ」を背負うことになるのです。

 それとは真逆に、世の中には、常に人(自分以外の存在)のことを心底から心配している「精神的に豊かな人」もおられ、間違った相手を正そうと相手に接し、相手から突っぱねられても不平不満不服を持つことなく、相手を責めず、相手を心配し、相手に愛情を示す行動行為を自然と取ることができる方もおられるのですが、こういう方は幾多にも及ぶ過去世を経験して乗り越えた結果、神性仏性が開花し発露している方であり、この場合の「干渉」は「プラスの干渉」ですから、自身が「正のカルマ」を残すことになります。

 このように、人間は日々の生活の中で、四六時中、常に誰かに「干渉」しているものです。
 つまり、人間は常に何らかの方法で、人に対してプラスかマイナスの(正か負の)どちらかの「干渉」をしているのです。家族に対して、周りの人たちに対して、TVの中にいる会ったこともない人に対して‥。

 人にはそれぞれ、その時の「精神レベル」の程度があり、これは年齢とは一切関係なく、その人の本性の問題ですから、相手のその行動行為は「相手のもの」であって、その行動行為のすべてに『自己責任』という「カルマ」が発生するので、本当は相手に「干渉すべきではない」という側面があるのです。
 もし、相手に「干渉」するならば、不平不満不服愚痴泣き言などの「負のカルマ」を行なうのではなく、間違ったことをしている相手が正常に正されるような「干渉」を成して「正のカルマ」を行なうべきです。
 しかし、人間はなかなか「プラスの干渉」を成すことができず、どうしても「マイナスの干渉」に進んでしまい、「正のカルマ」ではなく、「負のカルマ」を残しやすいのです。それで、また自分自身が「負の悪循環」へと陥って行きます。

 インド哲学というのは「この世」の奥深い真理を単刀直入に伝えている教えでもあります。
 相手に「マイナスの干渉」をして「負のカルマ」を残すくらいならば、相手に「干渉しない」という「不干渉」に進めて、余計な「負のカルマ」を残してしまうのを回避する‥、これも大切だよ、と教えているわけです。
 この「不干渉」というのは奥が深く、よく吟味すると、この「不干渉」により、相手も自分も救うことになることが多いのです。

 例えば、上記のような悪質なる医師が、癌患者に「抗がん剤」をやらせれば、また「抗がん剤」の犠牲者が増えるわけです。それはそのまま、その医師の「負のカルマ」として残ります。
 そして同時に、「抗がん剤」の危険性を知っていながら、その言葉巧みに誘導してくる悪質なる医師に気を遣って「抗がん剤治療」を受け入れ、それで癌患者自身が自らを死に追いやったとしたならば、これは、自分で自分を救わなかった「負のカルマ」として、その癌患者さんに残るのです。

 つまり、ここでよくお考えください。

 癌患者が「抗がん剤」を拒否すると「嫌な顔」をし、癌患者に「抗がん剤治療」をさせるために「脅し」をかけてくるような悪質なる医師の場合には、いっそのこと、その悪質なる医師に対してキッパリと「不干渉」に進めたほうが良いのです。
 そうすれば、その悪質なる医師に「癌患者を殺す」という「負のカルマ」を1つ背負わせないように進めた「徳」となり、また、癌患者自身は自分で自らを死に追いやることを回避して自分を救ったという「徳」になります。この2つの「徳」は(部分的にですが)相手も救い、我が身も救う、お互いを救う「陰徳」として「正のカルマ」になるのです。

 このように「不干渉」というのは、自他ともに救う要素がある行動行為になることを知ってください。
 「不干渉」というのは奥の深い真理であり、単に「無視する」のとは訳が違うのです。


 また当然ですが、この「不干渉」というのは、相手に向き合うのを「諦める」とか「止める」などという、そんな次元の低いことではありません。

 例えば、家族の間違った行動行為や感情心に対し、その間違いを説いても理解してもらえないから「不干渉」にして「放ったらかし」にする、というのはちょっと違います。
 また、小さな我が子を叱っても「分からず屋」だから、もう「不干渉」にする、というのは大間違いです。
 その「不干渉」は、家族でありながら、親でありながら、大事なことに対して「放ったらかし」にして済ます行為ですから、大間違いも甚だしい「不干渉」です。これは「不干渉」と名打った、単なる単なる「放ったらかし」行為に過ぎません。愛情が欠如した精神です。

 家族や我が子に対して「不干渉」を通すことが必要な時もありますが、それが「放ったらかし」になったのでは、かえって有害になります。後日、必ずや憂き事態を発生させることになるでしょう。
 家族や我が子の問題に対しては、なるべく早く真剣に向き合い、慎重に対処すべきであり、当人の力ではどうにもならない場合には、家族全員で力(心の力)を出し合い、改善に向けて真面目に向き合うことが大切です。
 これを「いい加減」に扱うと、その報いとして、後日、必ず何らかの問題が浮上して来るのです。世間によくある家庭不和親子不和には、案外と、このパターンが多いのです。
 家族親子として「本当に大切なもの()」を理解できずに、大事なこと(家族親子の絆を深める作業)から逃げたり、「いい加減」に扱ったりした報いとして発生しています。結局、これも『自己責任』なのです。
 家族や我が子に対しては「相手の心を育てる」という思いを大事に持って接してあげてほしいと思います。

 私がここでお話しさせて頂いています「不干渉」というのは、ただ単に「無視する」とか「諦める」とか、または「放ったらかしにする」とか「いい加減に扱う」とか、そういう「マイナスの心」ではなく、相手のためにもなり、自分のためにもなる、自他のバランスが健全に取れる「プラスの心」から成るものです。
 相手が理解できない時には「不干渉」に進め、相手が理解できそうな時に適切に「干渉」してあげる、そういった気遣いが持てる行動行為です。
 もし、相手に対して不平不満不服愚痴泣き言を持ちそうな時には、真剣に「不干渉」に進めることも大切だと思います。「マイナスの干渉」を持つよりかは遥かにマシです。

 特に、上述のような悪質なる医師の場合には、早急に「不干渉」に進めるのが得策です。
 そうしなければ、癌患者自身が(癌になっているだけで大変なのに、その上に)余計な悩み苦しみを抱えることになり、ましてや「抗がん剤」という「間違った癌治療」に嫌々進まされることになれば癌が治らなくなり、もう取り返しのつかない事態を迎えてしまうのですから、悪質なる医師に余計な気遣いをしてダラダラと関わっているくらいなら、悪質なる医師に対してはとっとと見切りをつけて「不干渉」に進めて離れ、ご自分が納得できる医師を真剣に探し出すほうに時間を有効的に使いましょう。そのほうが絶対に得策です。

 つまり、甲田光雄先生のお弟子さんが叫ばれているように、悪質なる医師に対しては「躊躇なく医師を変える」という実地的な思考力と行動力をお持ちください。よろしくお願いします m(__)m


 私がこの「不干渉」に進めることの重要性をお話しさせて頂きましたのは、何も偉そうなことを言いたかったわけではありません。

 とにかく、世間の通常療法の癌医療の現場では、「抗がん剤」の危険性を知る癌患者が「抗がん剤」を拒否すると医師から「嫌な顔」をされたり、もしくは「抗がん剤治療」を受けるように「脅し」を受けたりするケースがあり、癌患者が精神的に追い込まれて「抗がん剤」を受ける羽目になってしまい、そのまま「地獄を見ながら」命を落とす(抗がん剤で殺されてしまう)実例が実際に多くあるのです。

 そういう癌患者さんの場合は、悪質なる医師に「変な」気遣いをしているか、もしくは「気が弱い」場合もあるのかもしれません。これは、その癌患者さんの性格面の問題もあるはずです。
 しかし、癌患者さんの命が懸かっている大事なのですから、その癌患者さんの性格面をグダグダ言うよりも、上記のような「心持ち(感じ方考え方)」を知って頂くことで、「抗がん剤」による犠牲者を発生させない方向性へと進めることができる「思考の羅針盤」となるでしょう。

 とにかくですね‥、私としては、「抗がん剤」の危険性を知っている癌患者さんが悪質なる医師の言葉巧みな誘導に引っかかり、もしくは「変な」気遣いをして「抗がん剤治療」を受ける羽目に陥り「地獄コース」へと進まされ、大金をぼられながら(盗られながら)「抗がん剤」によって苦しみ「地獄を見ながら」殺されていくのが悔しくってしょうがないのです‥。だって、そう思いませんか‥‥。

 我が家だって、通常療法の「間違った癌医療」が原因して身内が2人(祖父とその弟の叔父)犠牲になっているのです。今思えば、その時、通常療法の癌医療が勧めてきた癌治療は、祖父の時には胃癌の大きな「手術」をしただけで、あとは放ったらかしにされ、叔父の時には「放射線治療」と「経口抗がん剤」のみであって、労災病院の医師は「癌を治すための癌治療」を何も指導してくれなかったため、祖父と叔父は癌が改善せずに亡くなっていきました。

 私の祖父と叔父の時には、私が癌について「無知」であったため何も分からなかったので、我が家が「病院任せ」「医者任せ」にしたのが悪かったのです(病院任せ医者任せにする怖さを思い知りました‥)。

 しかし、何と言っても悔しいのが、「抗がん剤」の危険性について知っている癌患者が「抗がん剤」を拒否すると「嫌な顔」をし、医師の態度が豹変して、命の懸かった癌患者に対して粗暴になる‥、ましてや「抗がん剤治療」を受けるように「脅し」をかけたり、言葉巧みに誘導してくる悪質なる医師のやり口に、ついに癌患者さんが折れ‥、恐ろしい「抗がん剤」によって「地獄を見ながら」殺されていく‥‥。
 遺族に残されたのは、大事な家族を失った深い心の傷をえぐるような「高額医療費(ウン百万円)の請求」です。しかも(殺されているにもかかわらず)「先生、お世話になりました‥」という、あの「謎の名台詞」を残して‥。うちもそうでした‥(涙)

 こんな馬鹿げたことがあってはならないと思いませんか‥。
 本当に馬鹿げたとしか言いようがない悪行です‥‥。


 以上の内容と、甲田光雄先生のお弟子さんが当記事にて語られている実質的な内容は、癌患者さんにとって非常に重要な認識です。こういうところを決して甘く見ないで頂きたいです。

 甲田光雄先生のお弟子さんがご自分の過去の経験に重ねて、悪質なる医師に対しては「助かりたい人は、躊躇なく医師を変えてください」と訴えられているその思いが私にはよく分かります。
 これは、おそらく、同じような思いをされた癌患者さんなら、この通常療法の癌医療で平然と行なわれている悪行の恐ろしさを切実に理解されているはずです。

 「抗がん剤」の危険性を学んで知っている癌患者が、悪質なる医師の誘導によって「抗がん剤」に殺されるようなことがあっては決してならない‥。早く、この当たり前なことが世間でも深く理解されるようになってほしいです‥(世間での理解が進んでいないから、このような馬鹿げた「殺人癌医療」が今なお平然と起こっているのです‥)。
 どうぞ、当記事の内容も「抗がん剤」に対する一つの判断材料にされてください。


 また、当記事では、甲田光雄先生のお弟子さんらしく、少し霊的な話をされていますが、この内容もとても大事なことだと思います。ぜひ、ご参考にされてください。よろしくお願いします m(__)m

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 癌を治すために必要な改革
 【「膠原病、癌は寛解する病気です。究極の体質改善法は実在します。(甲田光雄先生のお弟子さん)」より 】


 自分自身の視点に間違いがあると理解ができたら、
 「抗がん剤」の怖さと無力を解かるようになる人が出てきます。

 見る目(抗がん剤が「恐ろしいもの」であるという事実を見抜く目)がある家族がいて、
 愛する家族のために「抗がん剤」の使用を止めさせたという話は、あるようでないのです。
 死んでしまう判断の責任とか、何が正しいのか分からないというのが一番正解です。

 間違えても、愛する家族のために(抗がん剤に対して)肯定的な判断をされたのですから、
 当然、その判断は責められるべきではなく、
 逆に、愛する家族を守るとか救うことを(医者に)依存して、その結果、病死した場合のほうが、
 霊的な視点では遥かに罪が重いのです。霊界の法則では、この視点が大変重要です。

 人間的に法律は「セーフ」でも、
 心のある人間的な思考では完全に「アウト」ですから、
 上記の判断は(霊的には)「心が無い人の判断」として扱われてしまうものなのです。

 せめて、医者に依存するだけではなく、
 自分たち患者や家族ができることを学び、積極的に取り入れて良いのです。

 その上で、医師が「嫌な顔」をするのは完全に「アウト」です。
 いろんな意味で言えば、(そういう医師は)「マイナスの世界」の住民ですから、
 助かりたい人は、躊躇なく医師を変えてください。

 変えるとは、(医師を変える時に患者が)言い訳を上手にせねば、
 その手の医師は、次の医師や病院(患者が変えた先の医師や病院)へ「モンスター患者」として(報告し)、
 (医師が自分の身を守るために)平気で嘘を付く医師が実在しています。
 心がある医師が残念ながら激減してしまわれたのです。

 悲観するよりも、肯定的に治す手助けをしてくれたり、
 助かろうと懸命な自分たち(患者)を応援してくれる医師を探してください。

 それが見つからない時は「医師を頼るな」というメッセージですから、
 自分たちを信じて、自分たちの手で、
 あるいは「自分たちの手で助けた人々の歩んだ肯定的な行動」を模範にしてみてください。

 自分たちが助かろうとした、
 自分を、あるいは、愛する家族を助けようとして肯定的な行動をした判断ができた自分たちを褒めるべきなのです。

 それを社会では、
 医者に任せるべきを「素人が余計なことに手を出した」と揶揄されたり、揚げ足を取り、
 報道で煽るので、判断について怖くなりますが、
 それらの報道は、すべて「マイナスの世界」のエネルギーですから、完全に無視して良いです。

 自分たちを助けようと判断ができたことに自信を持ってください。
 愛する家族を助けようと判断ができたことに自信を持ってください。
 その結果、良くても、悪くても、医師に依存して嘘を付かれるよりは断然良くありませんか?

 「抗がん剤」の副作用で死亡したのに、
 「癌で死亡した」とか、「この抗がん剤の使用で延命している」とか、
 科学者が根拠の視点が曖昧で、いくらでも変えられる視点において、
 (医師から)間違えている答えに気がつかないふりをした答えを聞かされるよりは遥かに良いのです。

 薬害で体を汚して「あの世」に行くことは、さらなる罪をつくります。
 この視点が日本には消えてしまいました。

 昔は、肉体は「神様からの借りもの」だと教えられてきましたよね。
 それは大正解の真実です。

上記の『肉体は「神様からの借りもの」である』というのは霊的な事実です。昔の日本では、この事実が自然と常識的に理解されていましたが、現代の日本では、お年寄りでさえ認識できていない有り様ですね‥。
 霊学では、肉体のことを「神のお宮」とまで表現している文献がありますが、肉体とは「神のお宮」と言える「授かりもの」なのです。ゆえに、この肉体を薬物などで汚す行為は「神霊の居る神社」を汚す行為と同罪になるのです
ブログ管理人

 肉体をお返しする時に、綺麗な肉体でお返しすることが「あの世」の法則では大変重要ですから、
 当然「抗がん剤」の使用で副作用で亡くなるより(抗がん剤を使用して、抗がん剤の猛毒で体を汚して亡くなるより)、
 自然療法で綺麗な肉体で亡くなるほうが、遥かに(死後に)行く場所すら変わることが理解ができますよね。

 (現代は)自分の判断で自分の人生と運命を決めれる時代ですから「責任はすべて自分にある」のです。
 自分の運命を自分で切り開ける時代でもあるのです。

 私のブログにヒントがたくさんあるので、それらの知識と相乗して、自分たちを救うことを諦めないでください。
 いつもありがとうございます。




 癌は治る病気です
 【「膠原病、癌は寛解する病気です。究極の体質改善法は実在します。(甲田光雄先生のお弟子さん)」より 】


 治るうちに「治せる方法」を、治せるように選択できているのか?
 この視点が重要です。

 関係無いと思うかもしれませんが、
 真実を見れない人は、人の嘘には敏感な反応をするのに、
 自分が楽をしたい時には、自分を誤魔化したり、言い訳という嘘を重ねた分、真実が見えなくなるのです。
 なので、(真実が)見えていないので、自分が死ぬ治療の選択に依存してしまうのです。

 正しく学べば「癌は自然療法で治る」と考えて差し支えありません。
 寿命は無理ですが、余命が残されていれば(自然療法で)変わる(改善される)可能性が高いとも考えてください。

 嘘は、人を騙して不幸にするのは罪をつくりますが、
 子供が希望を失わないように、余命宣告を受けるような病態を告知せず、
 治るという希望を与えることは良いことなのです。

 「あの世」には、愛と徳、信念を持って行けます。
 また、悟りも持って行けるのです。

 それ以外の感情というエネルギーすべては「マイナスの世界」のエネルギーとして一切受け入れてもらえません。
 (あの世では)どんな言い訳も通用しないので、
 生きてるうちに「正しい精神性」を、学問や倫理観、教養、文化として伝えていくことが、
 私たちの時代でつくる重要な課題なのです。


 私のサイトに協力して登録してくださる先生や顧客が増えれば、
 ネズミ算式で、その志の一部だとしても広められるのですね。
 この改革をせねば、将来、日本はアメリカの最後の州になると話しても過言ではないのです。

 「精神性」を高めて産まれて来る「次元の高い子供」が、未来の日本を救えるからです。
 「精神性」を高めなければつながらないので、産まれて来れないのです。

 日本を創られた「団塊世代」の能力の高さを思い出してくださいね。
 冗談ではなく、本当に必要なことなのです。
 いつもありがとうございます。