本当の感謝とは
 【「ITスペシャリストが語る芸術」
より 】


 私はどんな言葉も素晴らしい呪文になると思っているが、「ありがとうございます」を呪文のように言うのは大嫌いである。
 そんなことをする人達を見ると、純粋に感謝するのではなく、
 「恵みを得るために感謝する」という浅ましさが感じられ、「なんて卑しいんだ!」と思うのだ。
 「ありがとうございます」「感謝します」というのは高貴な言葉なのであるから、
 よくよく、真摯な気持ちで言わなければならないのである。

 感謝というのは難しい。
 あらゆることは恵みなのであるが、人間がそれに気付くには、それなり以上に進歩していなくてはならない。
 だから、闇雲に神のようなものに対して「ありがとうございます」と言うのは、
 自分はレベルが高い人間だと自惚れていることになる。

 いかなる場合でも、優れた行いというのは自然なものなのだ。
 命の危険を冒して人を救う場合ですら、その行いは自然である。
 しかし、どんなに良いことであっても、不自然に行えば、必ず災いが起こるのである。

 感謝というのは、甘えた、修行不足の者がすれば不自然なのだ。
 彼らには、感謝なんてできないからだ。
 だから、「“ありがとうございます” と言えば、良いことが起こります」と言われて、
 それをやる者の9割は悪いことが起こるのである。
 感謝するには、力が要るのだ。
 容姿端麗に生まれた者だって、未熟なうちは、自分の容姿に感謝したりはしない。

 だが、本当に自然に感謝できるようになったら、感謝は大きな力になり、必ず成功するというのは真実である。
 有名なタレントの川崎麻世さんは、小学生の時、西洋人のような顔立ちのせいでいじめられたそうだが、
 中学生の思春期になると、その顔が実は圧倒的に美しいことに気づいた女の子達にモテまくるようになり、
 「ざまぁ~みろ!」と思ったのだそうだ。
 だが、想像だが、いじめられたことで鍛えられたことで「ざまぁ~みろ!」の中には、どこか感謝も入っていたのだと思う。
 そうでなければ、彼はこれほど長く成功しないはずだ。

 プロレスのジャイアント馬場さんともなると、
 プロレス入りするまでは、その巨体には激しいコンプレックスを持っていて、感謝どころか恨んでいたようである。
 それが、プロレスラーになって、巨体の有利さをしみじみと感じられるようになって、
 初めて自然に感謝したのだと思うが、それも、若い間に激しく悩んで鍛えられたことがあったからだろう。
 そして、感謝しているとは言え、身体の異常さの引け目が無くなったわけでもなかったらしい。
 劣等感との戦いは一生続いたのだろう。
 このように、感謝とは厳しい面もある。

 プロレス史上、最高のレスラー、ルー・テーズは、
 師のジョージ・トラゴスから伝授されたダブル・リストロックという、腕を攻める関節技には感謝していたと思う。
 この技があったから、テーズは無敵だったのだ。
 ただ、テーズには、この技にまつわる最悪の呪わしい思い出があった。
 テーズが10代の時の話なのに、そのことを彼は80歳になっても昨日のことのように思い出すというほどだった。
 すでに、かなりの年齢になっていた師のトラゴスが、この腕で若い強豪レスラーの肩を砕いたのだ。
 会場には、肩が砕けるおぞましい音が響き、その若いレスラーは腕を切断しなければならなくなった。
 その後、トラゴスはテーズに「必要なら、相手の肩を砕くことを躊躇してはならない」と教えた。
 しかし、テーズは「その寸前までやったことは何百回とあるが、それをしたことはない」と言う。
 それでも、テーズは苦しい場面で何度も助けてくれたこの技と、この技を教えてくれた師には感謝していたのだ。
 感謝とは、このように血塗られていることも少なくはない。
 不世出の柔道家、木村政彦は、ブラジルで柔術の達人エリオ・グレイシーと戦った時、
 得意技のキムラ・ロックでエリオの腕を折り、会場には異様な音が響いたという。
 このキムラ・ロックは、テーズのダブル・リストロックと同じものであるらしい。
 木村はこのグレイシーとの一戦に関し、「試合には勝ったが勝負には負けた」と述懐しているようだ。
 木村もこの技への有り難味は感じていただろうが、やはりそれは、暗い陰とともにあるのだと思う。

 感謝とは、平和なものではない。
 深い闇を隠したものであるはずだ。
 それも分からないのに、しかも、過ぎた恵みを得ようと不自然な感謝をする者が、
 あまりに卑しく見えるのは当たり前である。
 毒を飲んだからこそ、解毒剤に感謝するのであり、毒がありもしない中で解毒剤を本当に有り難く思ったりはしない。
 だが、我々は人生の中で、必ず毒を飲まされる。
 そして、毒によく耐えた時に、神に解毒剤を与えられるが、それは単なる解毒剤ではなく、無敵の力を得る妙薬である。
 だから、毒に苦しんだ後には、自然に大いに感謝することになるだろう。
 イエスが十字架という毒杯を避けなかったように、我々も神に差し出された毒から逃れようとしてはならない。




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 感想

 この記事は「ITスペシャリストが語る芸術」ブログの「Kay(ケイ)」さんが書かれた記事です。
 人気ブログですから、Kayさんのことをご存知な方も多いことでしょう。

 私は数年前、初めて食養サイトを作成した時に、作成した食養サイトを Kayさんに紹介して見て頂いたことがあります。
 Kayさんご自身は「超少食」であり、甲田光雄先生や森美智代先生のことも図書を通してよく知っている方ですから、食養に関することもご存知なのですが、Kayさんからは「知らないことばかりだ」と褒めて頂いたことがあります。まァ~、Kayさんはもう覚えていないでしょうけれど、私は今もその時の Kayさんとのやり取りをよく覚えており、懐かしく感じます(笑)

 Kayさんは、奥深い記事を毎日朝夕2回も書かれてアップしています。
 あれだけの内容の記事を毎日2回も欠かさず書かれているのですから、Kayさんは並々ならぬ方だと思います。
 Kayさんからすれば「書かずにはいられない」から書いているところもあるのでしょうし、ご自分で「必ず毎日朝夕2回書くと決めている」という信念を持っているから継続されているのでしょう。いずれにしましても、あの内容の記事を毎日朝夕2回書いてアップするということを毎日欠かさず継続されている時点で、私は「凄いなぁ~」と思います。

 Kayさんの良さは、自分の考えていることを、何でもズバズバ「ありのまま」言っちゃうところです。
 Kayさんの言葉からは「飾り」というものが一切感じられず、自分の意見や見解を真っ正直にガンガン提示してくれているのがよく分かります。しかも、その内容は非常に奥深いものなので、大変勉強になります。
ただ、Kayさんがブログでず~っと一押しされている『初音ミク』の良さだけは、私にはよく分かりません・・。Kayさんには怒られちゃいそうですが、私はどうも、あのような「きゃぴきゃぴ系」がどうしても苦手ですね・・・。私が漫画で好きなのは、いまだに「手塚治虫」や「横山光輝の歴史漫画」です。横山光輝先生の『項羽と劉邦』はマジで最高です! Kayさん的には、やっぱし、ダメかもしれませんけど・・・大涙


 Kayさんはこの記事で「感謝とは何か?」について、Kayさんらしい見解を述べられています。
 私も当ブログサイトにて『癌に対して感謝をしましょう!』というお話を何度もさせて頂いています。
 これは、癌を克服されている元癌患者さんは「癌に感謝している」方が多いからです。
 だからと言って、「癌に感謝すれば、癌が必ず治りますよ!」などというお伽話をしたわけではありません。
 癌においては「精神作用の影響」が大きく関与しており、世間の「癌の実地」に実際に現われている「癌が自然治癒している人は、癌に感謝しているケースが多い」という事実を考慮して、癌に対して憎悪不安恐怖という感情を抱くよりも、逆に、癌に対して感謝愛情という感情を持ったほうが「癌治療に有効する」というのは、癌への精神的影響上、これは言わずもがなですから、私は『癌の感謝療法』として「癌に対して感謝をしましょう!」とお話しさせて頂いているわけです。このことは、内海聡医師も次の記事にて同様に言われています。


   癌に「ありがとう」と言えば、癌は治っていく【内海聡医師の facebook より】


 また、次の記事にありますように「安保徹」医学博士も「癌を自然治癒した人は、みなさん、癌に罹って良かったって、癌に感謝するんですよね」と仰られています。


   癌を自然治癒させるには
    【樹木希林さんの事例:癌に対する感謝:癌の自然治癒を体験した人々に共通する「9つ」の実践事項:
    『善玉癌細胞』と『悪玉癌細胞』について】



 元東京女子医科大学教授で『アドバンスクリニック横浜』院長の「前田華郎」医学博士も、癌治療における『心の持ち方』を重視されており、「希望を捨てない」「癌を忘れるほどの感動趣味情熱を持つ」「生に対する『感謝』の気持ちを持つ」ということを癌治療に取り入れています。ここでは「癌に対する感謝」ではなく「生に対する感謝」になっていますが、これは、いわゆる「自分の感情感じ方を感謝へと進めましょう!」という視点で捉えて頂ければと思います。
 ここは、次の記事を参照してください。


   前田華郎 医学博士が語る、癌治療と癌医療の現状
    【学会発表で「この患者は抗がん剤でこんなに良くなった」と言うのは嘘なんです!
     標準療法以外で癌が良くなっている!】



 今、世間では「感謝の重要性」に気づかれ、『感謝』を推奨されている先生方が増えてきていますね。
 この『感謝』という「心の動き」は生きて作用する『感謝磁気』です。
 私はこの『感謝』と『感謝磁気』について、次の記事でお話しさせて頂きました。


  「有り難い」を連続して唱える感謝の行で浄化する
    【ありがとう空間:生かされている感謝:黒住宗忠:心の上書き修正:素読の言霊作用:
     子供社会の事象は大人社会が大元:他・・・】



 他にも「感謝・感謝療法・癌への感謝」タグの記事を参照されてみてください。
 みなさんにも『感謝』の大切さについて、これらの記事から何か感じて頂けたらと思います m(__)m


 『感謝心』を発揮すれば『感謝磁気』が発生し、「また感謝したくなる現象を引き起こす」のは事実です。
 私はこれを『感謝療法』として捉えて、積極的に人生にも癌治療にも活かすべきであると思います。

 しかし、世間では以前から「“ありがとうございます” と言えば、良いことが起こりますよ♪」というような謳い文句で様々な「ありがとう」関連の図書が出版され、随分長らく「ありがとうブーム」が続いていますけれど、では、世間で流行っているこの「ありがとう」というのは一体何なのか・・・。

 これについて Kayさんは、この記事の前半部分で次のようにお話しされています。


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 私はどんな言葉も素晴らしい呪文になると思っているが、「ありがとうございます」を呪文のように言うのは大嫌いである。
 そんなことをする人達を見ると、純粋に感謝するのではなく、
 「恵みを得るために感謝する」という浅ましさが感じられ、「なんて卑しいんだ!」と思うのだ。
 「ありがとうございます」「感謝します」というのは高貴な言葉なのであるから、
 よくよく、真摯な気持ちで言わなければならないのである。

 感謝というのは難しい。
 あらゆることは恵みなのであるが、人間がそれに気付くには、それなり以上に進歩していなくてはならない。
 だから、闇雲に神のようなものに対して「ありがとうございます」と言うのは、
 自分はレベルが高い人間だと自惚れていることになる。

 いかなる場合でも、優れた行いというのは自然なものなのだ。
 命の危険を冒して人を救う場合ですら、その行いは自然である。
 しかし、どんなに良いことであっても、不自然に行えば、必ず災いが起こるのである。

 感謝というのは、甘えた、修行不足の者がすれば不自然なのだ。
 彼らには、感謝なんてできないからだ。
 だから、「“ありがとうございます” と言えば、良いことが起こります」と言われて、
 それをやる者の9割は悪いことが起こるのである。
 感謝するには、力が要るのだ。
 容姿端麗に生まれた者だって、未熟なうちは、自分の容姿に感謝したりはしない。

 だが、本当に自然に感謝できるようになったら、感謝は大きな力になり、必ず成功するというのは真実である。


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 Kayさんは世間で流行っている「ありがとうブーム」について、なかなか鋭いメスを入れています。
 Kayさんのこの意見は大変素晴らしく、「ありがとうブーム」に対する奥突っ込んだ見解を示しながら「ありがとうブーム」に便乗する人たちの心理をよく捉えているように感じます。

 私的に説明しますと、「ありがとうブーム」に便乗し、「良いことが起こる」ことを目指して「ありがとう」を使いこなしている人たちは、みな、この「ありがとう」を『ご利益』としているのです。これでは、本質的には、いまだに世間に多い、霊的に非常に危なっかしい『ご利益宗教』と同じです。

 世間には今も『ご利益宗教』が多数ありますが、この『ご利益宗教』での祈願が通って希望が叶ったら、後日、それと「同等のもの」を何らか「失う」ことにより「プラス・マイナス・ゼロ」の帳尻合わせが起こります。これが「エントロピー保存の法則総和は一定)」による、この世の仕組みです。ですから、『ご利益宗教』で「祈願が叶う」などと人気があるような、信者が多い新興宗教ほど、内情は非常に危なっかしいのです。『ご利益宗教』に浮かれて調子に乗り、祈願が通り、願いが叶えば叶うほど、それと「同等の大事なもの(自分や家族の健康生命仕事など)」を後日「失っていく」のです(総和は一定」であるため、帳尻合わせが起動して、結局、プラス・マイナス・ゼロになります )。実際に『ご利益宗教』に夢中になっている方々を見れば分かりますが、内実は「トータルで見れば、全然、幸せになっていない」のが真相です。こういう方々は、願いが叶えば叶うほど、後日、問題が定期的に自然と発生して「プラス・マイナス・ゼロ」の帳尻合わせを受け続けているものです。
 一見、祈願でお願い事が叶って「得していた」ように見えて、実は「何も得していなかった」のが真相なのですね。それは、ここには「徳」なるものが何一つ無いからです。「徳」の無いところには、本当に「得するもの」など一切ありません。本当に「得するもの」とは、必ず「徳」とセットになっています。真の「得」は、必ず「徳」とセットです。「お徳」が備わっている(含まれている)ものこそが、本当に「お得」になるものです。

 本当の神仏観を持たれている方は、神仏に対して祈願(お願い事)など絶対にしないものです。
 神仏への祈願(お願い事)とは、神仏に対して「これを叶えなさい」と指示を出していることになります。
 人間は、神仏を操る指揮官なのでしょうか・・。こんなのは茶番もいいところです・・・。
 神仏に対し、こんなことを平気でするのは異常な行為です。
 本当の神仏観を持たれ、敬神精神のある方は、神仏に対しては、日々、ただただ『感謝』だけを捧げているものです。
 敬神精神もなく、祈願ゴッコ(お願い事ゴッコ)に明け暮れれば、子孫を道ずれにして身を滅ぼすことになるでしょう。
 神仏が滅ぼすのでは決してありません。
 自分のその「不徳」なる「腐敗行為」によって、やがて自ら滅んでいくのです(自滅します)。
 こういう人は、自分で気づかぬうちに、すでに人間として腐っています・・。

ちなみに、こういうことはここではあまり話すべきではないことかもしれませんが、『ご利益宗教』を散々やってしまうと、後日、たいてい病気になって健康を失うものです。その病気には「精神病」「脳の病気」「癌」が多いです。癌患者さんの中には、この『ご利益宗教』を散々やってしまった結果として癌になっている方も結構おられます。『ご利益宗教』など本当に早く辞められたほうが身のためです。上記の内容がご理解できるならば、『ご利益宗教』から早く脱却することをお薦めします

 「ありがとう」の『本質』を何も考えることなく、「ありがとう」とは何かについて何も見つめることもせずして、ただ単に「何か良いことを引き起こす」ために「ありがとうブーム」に便乗し、「良いことを起こす」こと「だけ」を目的として利己的に「ありがとう」を使いこなしている人たちというのは、案外と上記の『ご利益宗教』のケースに似ているかもしれませんね。これは、『ご利益宗教』の「神仏」が「ありがとう」に置き換わっただけであると、私には映ります・・・。


 私は、癌治療における一つの有効手段として『癌の感謝療法』を推奨しています。
 しかし、上記のような『ご利益』を得るために『癌に対して感謝をしましょう!』と言っているのではありません。
 癌に対して『感謝』というキーワードをもって意識を向け、癌と自分の関係を振り返り、癌にまでなった自分を見つめ直し、その「過程」の中で「癌とは何か?」について学んで頂きたいと私は思うのです。このように「癌に対する感謝とは何か?」について考える中で「人生の気づき」がいろいろと得られるはずです。

 この「癌に対する感謝とは何か?」「なぜ、癌に対して感謝なのか?」につきましては、これは癌患者さん一人一人がご自分でたどり着かなければならない「答え」ですから、私がここでお話できるものではありません。癌患者さんに共通する「答え」はあるにしても、癌患者さんは一人一人、ご自分なりの「違う答え」を見出されていくはずです。そこには「自分オリジナルの答え」が必ずあります。みな、それぞれ「自分オリジナルの答え」で良いのです。いいえ、「自分オリジナルの答え」こそが、ご自分の人生にとっての重要な「道標」となるのです。ご自分の頭と心と意識でしっかりと考えて「自分オリジナルの答え」を見つけ出し、もう、誰かの「コピー」に堕するのは卒業しましょう!

 「癌に対して感謝する」には、癌に対して感謝する「理由」「動機」があります。
 癌に対して感謝する「理由」「動機」が見出せれば、「癌への感謝」はできるものです。
 「癌への感謝」ができるような方は、おそらくは「生への感謝」もできるでしょうし、他にも、ご自分に関わる周りの多くの存在に対して「自然と感謝ができる」ようになられていることでしょう。


 私は『感謝』とは、相手に「捧げるもの」だと思っています。『感謝』は「捧げ物献上物供物)」です。
 つまり『感謝』は、基本的に「自分のためにするものではない」はずです。
 ですから、「ありがとう」という『感謝』を『ご利益』のために利己的に使うなどという行為は、根本的に間違っています。そのすべてを否定しようとまでは思いませんが、『ご利益』のこと「しか」考えていないのであれば、それは『感謝心』という『本質』があまりにも欠如し過ぎた虚しい世界に映ります・・。

 私は、個人的に『本心』の抜けた「誤魔化し心」が嫌いな奴なので、そういうのはどうも好きになれません。
 「誤魔化し」を積み重ねた先には、やはり「誤魔化し」しか残らないと思うからです。
 人生の最後に「誤魔化し」だけが残ってしまうだなんて、そんなの、本当の「人生の敗者」にしか私には観えません。
 例え貧しいままであろうとも、例え苦しいままであろうとも、ご自分の『本心』と『本性』を大事にして生き抜いた人こそが、本当の「人生の勝者」であると、私はマジで思っています。なぜならば、肉体の死後、その人は今回の人生で鍛え抜いた『本心』と『本性』を大いなる手土産にして、本当の自心(自信)を持って帰幽できるからです。

 この人間界の『本性本当の姿)』は「心」です。
 この人間界がこの世に置かれている(設置されている)真の意味(役割)は、人間の「心」を育てるためです。
 この人間界とは、そのような意図の下で存在している環境(世界)なのです。
 この人間界に有る「物質的なもの(地位名誉肩書き財産お金家屋物品など)」はみな、所詮は「精神的なもの()」を育てるための「トリック」に過ぎないのです。人間から見ると「物質的なもの(地位名誉肩書き財産お金家屋物品など)」は一見、まるで「実在している」かのように見えますが、実は、本当はすべて人間の「心」を育てるための「方便」としての「非実在(トリック)」なのです。本当には「心」だけが存在しており、「心」だけが真の実在なのです。
 だからこそ、人間は肉体の消滅後(死後)には、自分がこの人間界で得てきたはずの「物質的なもの(地位名誉肩書き財産お金家屋物品など)」をすべて置き去りにして、この人間界で培った自分の「心」だけになって、自分の「心質」に見合った同気同質なる「心の世界(霊的生命次元世界)」に帰っていきます(帰幽します)。こうして人間は、最後の最後に、この人間界の『本性本当の姿)』を垣間見ることになるのです。

 この人間界の仕組みをよく知り、よく理解すると、人間時代(人間界に人間として生きている期間)に自分や他人の「心」を無視し、『本心』の抜けた「誤魔化し心」で生きて「物質的なもの(地位名誉肩書き財産お金家屋物品など)」に溺れて良いのかどうかを本気で考えさせられるものです。
 世の中には「物質的なもの(地位名誉肩書き財産お金家屋物品など)」よりも「精神的なもの()」を自然と重視して生きられる人がいますが、そういう人は例え以上のような「霊的なこと」を何も知らない人であっても、自分の奥の奥のほうでこれをちゃんと理解している人です。だからこそ、「精神的なもの()」のほうをより重視しようとする思いが出るのです。

 人間人生の最後の最後に自分の目の前からすべて消えて無くなる「物質的なもの(地位名誉肩書き財産お金家屋物品など)」に溺れ、人間人生を終了して帰幽したあと(死後)から本格的に始まる「精神的なもの()」を一切疎かにしてしまった人は、帰幽したあとで(死後に)必ず後悔します。帰幽したあとに(死後に)気づいても、その時はもう遅いのです。だからこそ、人間人生中にこそ、この大事に気づかなければなりません。こういう人は、この世が提供していた「トリック」に最後まで気づけず仕舞いで、貴重な人間人生を終えてしまうのです。この「トリック」も、その人間の『本性本当の姿)』を暴露させるために、どうしても必要な役割があるのです。


 新約聖書の中の「ナザレのイエス(イエス・キリスト)」が残された言葉の中に、このようなものがあります。

    富を持つ者たちが神の御界(みくに)に入って行くのは、何と難しいことであろう。
     まことに、富める者が神の御界(みくに)に入るよりは、
     らくだ(駱駝)が針の孔(あな)を通り抜ける方が、まだ易しい。 〔ルカによる福音書18章24~25節

 これは非常に有名な名句ですが、この言葉こそ、上述の「トリック」に流される人間が何と多いことか知れん・・・、残念ですなぁ~、と打ち明けている、高次元から人間を見た時の率直なる感想なのでしょう。
 やはり、いつの時代も、この「トリック」に負ける人間ばかりであり、この人間界における “ 人間人生の『真相』” にたどり着ける人は圧倒的に少なかったのです。これは人間にとって、なかなか気づけるものではないかもしれませんが、以上のような人間界の仕組みを見つめれば、「精神的なもの()」の価値を見出せる人間人生を送ったほうが確実に得策(有効)のように思えてなりません。「心」こそが、私たち人間の『本性本当の姿)』であることに気づけるか否かで、自分が歩んだ人間人生の真の価値が決まるのです。

 「中村天風」のじっちゃんが「例え、身に病があっても、心まで病ますまい」と言っていた意味は非常に大きいと思います。ご自分の「心」こそがご自分の「本当の所有物」ですから、この唯一無二なる「本当の所有物」である「心」を正しく育てて、正しく守ることこそが、人間の人生の中で一番重大なる仕事(果たすべきこと成すべきこと)だと心得ます。その「心」を『ご利益』が如き利己的な「誤魔化し心」で堕落させるなんて、私には到底考えられないことなのです・・・。

 ただ、『感謝心』が発揮する『感謝磁気』による「力学的な原理」は実在していますので、『感謝心』とともに『感謝磁気』を正しく活かすという発想は必要です。このような『感謝の原理』を知っておくことも、重要で有効する「生きた知恵」です。あとは、ご自分で『感謝』に関わる「心」と「原理」を総合的に見つめ、バランスの取れた「答え」を見出すべきです。

 そして、何事に対しても、ご自分なりに『感謝』に「気づく」ことが、上述の「トリック」に流されないで済むための処方箋にもなるでしょう。『感謝心』とは、やはり『ご利益』を狙ったり、お伽話であったりするのではなく、人間の「心」を育てるための「根本原理」なのだと思います。ですから、日常生活において『感謝』に「気づく」こと、これによって、ご自分なりの『感謝心』に出会うこと、こうした日常の積み重ねの末に、ご自分の「心」が地道に育ち行くこと、人間にとっての『感謝』の役割とは、実は、ここらへんにあるのではないかと私は思っています。
 これが「本当の感謝とは何か?」に対する私なりの(若僧として小生意気な)「自分オリジナルの答え」です。

 『感謝』における様々な視点を持ちつつ、『感謝』について総合的に見つめながら、Kayさんがこの記事を通して提議された「本当の感謝とは何か?」についてご自分なりに考えてみて頂いて、みなさんにも『感謝』に対する「自分オリジナルの答え」を発見して頂けたらと思います。それは必ず、ご自分の人生にとって大事な「道標」となってくれることでしょう!

 やはり「自分オリジナルの答え」こそが、ご自分にとって最善のものです♪