この記事は、「In Deep」さんの「自立した人生(1)- 薬と病院と介護から脱却して、「ガンを自然治癒できる力」を持たないと未来を生きることはできない」記事の中の「ルドルフ・シュタイナー」の霊的菜食観を伝えている部分をご紹介させて頂きます。霊的菜食論とも言える、なかなか面白い内容です。

 次の記事では、菜食と肉食における霊的な食養観がもっと展開されています。
 ぜひ、ご一読されてみてください。


     スピリチュアルな生き方原典 ~ 脇長生(講述)
      【食事を「霊的栄養学」という視点で見つめる!:
       肉食と菜食では、その人間の背後で働く霊魂が違ってくる!】



 また、元記事のほうでは、癌についての内容と、薬の危険性についての内容が語られています。
 とても良い内容ですから、ぜひリンクから行かれてご覧になられてみてください m(__)m

 「In Deep」さんはここのところ急速に「菜食中心」の食生活に突入されているようです。
 「菜食中心」の食生活が問題なく行なえるならば、今の人類の時節を思えば、それが一番良いですね。
 元記事のほうを読んでみますと、「In Deep」さんは「ルドルフ・シュタイナー」の著書にいろいろと触れるうちに意識の変化が起こり、その意識の変革とともに「菜食中心」の食生活に自然と移行されたのだと思います。
 私もいろいろな食養関連の図書に触れていくうちに「生菜食」へと自然に移行し、私はもともと肉食三昧で育った口なのですが、「生菜食」を始めてから自然と肉食をほとんどしなくなりました。今では、肉食はしても、付き合い上で仕方なく年に数回する程度です。肉製品などほとんど摂らなくても、別になんてことありません。

 生化学や栄養学では「肉食は必要だ」と言っていますが、これは生化学と栄養学の視点から見た言い分です。
 もし、人間が肉食をしないと必ず病気になったり、必ず短命になったりするのであれば、なぜ、世界の長寿地域で「肉食を一切しない長寿地域」が多数あるのかを説明して頂きたいですね。
 やはり、食というものは、現代医学や栄養学や生化学を超えた視点がどうしても存在しているのです。
 こんなことは、世界中の「食の実地」を見れば明らかに分かります。
 これが分からないというのは、それはただ単に「教科書のコピー人間」に堕落しているからです。

 肉食というものは「意識の問題」が大きく左右します。
 その当人の「肉食に対する意識の在り方」次第で、その人に肉食が必要となるか、その人は肉食が不要になるかが分かれていくのです。
 例えば、その人が潜在意識から「人間には肉食が絶対に必要だ」と思い込んでいれば、肉食をしなくなると徐々に心身に問題が発生することがあります。
 逆に、その人が潜在意識から「人間は肉食する必要なんてない」と思い込んでいれば、肉食をしなくなったって、別に心身に問題が発生することはありません。それどころか、持病が改善したり、心身が健やかになったりする恩恵があります。我が家など、もろにそうです。

 ただ、肉が食べたいのに、無理して肉食を止めるのはいけません。
 肉食に対する「自分の素直な感情本心)」を大事にし、もし、肉が食べたいのであれば、それはまだ、その人が肉食を必要とする段階なので、適宜に肉食をすれば良いのです。
 ご自分の「素直な感情本心)」を大事にされてくださいね♪

 ただ、霊学的に観れば、「肉食には霊的な障害がある」のは事実です。これは、霊学のあらゆる文献で指摘されています。特に「獣肉食」は要注意です。「魚介食」のほうが霊的に安心と言えます。
 霊学的には、これから地球の人類は「ますます菜食に進む人間」と「ますます肉食に進む人間」とに二大別されていく時期に入っています。肉食三昧の人は、そろそろ覚悟を決めていく準備が必要です。どのような覚悟が必要なのかは、ご自分で確かめられたら良いでしょう。こういうことは、今の段階では科学的検証科学的立証などできないことですから、その人の個人的見解と感性に委ねられます。これもまた『自己判断』と『自己責任』になるのです。

 肉食の霊的な視点に関しましては、ぜひ「霊的肉食論」カテゴリの記事を参照にされてください。
 ご自分が感じるままに「素直な感情本心)」で見つめてみて頂けたら幸いです m(__)m

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 自立した人生(1)
 - 薬と病院と介護から脱却して、「ガンを自然治癒できる力」を持たないと、
   未来を生きることはできない

 【「In Deep」
より 】 〔[ブログの動作試験のための雑記3]引用と強調」記事の内容も加味しています


 そう言えば、それと共に、4月頃より「食事の傾向」も唐突に大きく変わりました。
 基本的には「極端に野菜中心にする」という生活になっています。
 これは、現代医学や栄養学の見地からそうしたのではなく、実は、シュタイナーの本を読んでからなのです。

 『人間の四つの気質 ― 日常生活のなかの精神科学』という中に、シュタイナーの1909年の講演が収められていて、そこに「菜食のメカニズム」が述べられていまして、それを読んだ翌日あたりから、自然と菜食傾向(あくまで傾向で、出たものは何でも食べます)になっています。



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 シュタイナーの1909年の講演『何を食べるとよいか』より

 菜食にすると、体内に摂取された植物は人体に多くのことを要求します。
 菜食は、脂肪分の多いものではあり得ません。

 人体は自分で脂肪を製造する能力を有しており、「脂肪でないものから脂肪を作る」ように要求されるのです。
 つまり、菜食にすると、人間は内的に活動を展開しなければならず、
 脂肪の製造に必要なものを使い尽くすよう、内的に努力しなければなりません。
 動物性脂肪を摂取すると、そのような活動が省かれます。

 唯物論者は「努力なしに、たくさんの脂肪を得られるなら、それは人間にとってよいことだ」と言います。
 精神的な立場からは「内的活動こそ、内的な生命本来の展開だ」と見なくてはなりません。

 自分で脂肪を取り出す力を呼び起こす必要があるとき、その内的活動のなかで、
 自我とアストラル体(感受体)が肉体とエーテル体(生命体)に対して主導権を持ちます。
 動物性脂肪を摂るなら、その結果、自分で脂肪を作り出す労力は節約できます。
 しかし、菜食にして、自ら活動する機会を得るなら、人間は自由になり、自分の身体の主人になります。

 物質的に生を味わい尽くすために自らの特性を発達させようとしている戦闘的な民族は、
 どんな生活をしているでしょうか。
 彼らは原則的に肉食をしているのが分かります。もちろん、例外はあります。

 その反対に、特に性格が内面的であり、瞑想的な生活をしている民族は、
 もっぱら菜食にしているのが分かります。





steiner-2015-10-06[1]
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ルドルフ・シュタイナー




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 ここまでです。

 結局、「野菜から動物性脂肪を作るのは大変なので、内的活動が活溌になる」というような。
 ちょうど、これを読んだ頃、「薬が良くない」ということを知ったり、今なお奮闘中ですが、めまいなど、体調不調のことなどを考えているうちに、シュタイナーが述べているような「自分の身体に対しての自由を獲得したい」と思ったのです。

 ちなみに、シュタイナーは「菜食が良い」と言っているのではなく、こういうメカニズムがあります、と言っているだけで、逆に「現在の物質的世界を楽しみたい場合は、肉食がいい」ようです。
 私はもう「物質社会は充分に楽しんだ」ということもあり、菜食傾向でもいいのかなと。