当記事は、産婦人科医である「葉月かん菜」医師(参照)の「まぁ、お医者さんなんですけれども。」ブログからのご紹介です。葉月医師はご自身のブログにて、当ブログサイトの次の記事をご紹介してくださっています。

    癌検診は受けてはいけない【癌医療のおぞましい実態、癌は修復細胞である、癌の転移が起こる原理、
     癌治療は免疫の改善と向上が鍵、癌の自然退縮、癌の「平家滅亡理論」、他・・・】


 この記事は「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」を伝える内容であり、当ブログサイトの中でもシェアが一番多い記事です。この手の内容の記事が注目されるということは、医療に対する世間の認識にだいぶ大きな変化が現われてきた証拠でもあるのでしょう。世間が「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」というおぞましき実態が医療にあることを実在のものとして認識できるまでに成長したということです。そうでなければ、この記事が注目されるわけがありませんからね!
 なお、「森美智代」先生もご自身の Face book にてこの記事をご紹介してくださったようです(参照記事)。
 もうそろそろ、日本国民はこの記事の内容が事実であることを本気で悟っていかなければなりません。
 葉月医師、森美智代先生、また、この記事をご紹介してくださった方々に心から感謝いたします m(__)m


 葉月医師の記事をお読み頂ければお分かり頂けますが、葉月医師は「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」にすでに気づかれている医師です。今、医師の先生方で「医療の闇」「医療の正体」について指摘してくださる先生がかなり増えてきてくれました。本当に有り難いことです m(__)m

 にもかかわらず、世間ではいまだ、この医療の重大事に気づけない一般市民があまりにも多く、気づけないというか、何も考えていない人たちで満ち溢れています。それなのに、自分は何でも知っているかのようなことを抜かし、この医療の重大事に対して「オカルト」「トンデモ」とか言って蔑んでしまうのです・・。

 しかしながら、今ではだいぶ「癌医療ビジネスの闇」について気づける一般市民が増えてきた感があります。この数年間、特にそれを感じますね。これも、今まで身を削り、身の危険をさらして、無知な世間や医学界製薬業界に叩かれながら「医療の真実」を世に伝え続けてくださった医学博士医師治療家の先生方のお蔭です。本当に始末されてしまった(医療産業にとって「医療の真実を説く邪魔者危険人物」と見なされて殺された)先生だって実際にいるのですから、私たちはこの先生方に対する感謝を絶対に忘れてはなりません。私はそう思います。
 また、この先生方が説かれる「医療の真実」を事実として理解し受け止められる意識の準備が整っていた一般市民の方々が反応し、「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」に深く気づいて目を覚ます方々が増えてきたのだと思います。今、ネットの世界ではこれを指摘するブログが非常に多くなってきていますし、「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」を暴露する医学博士医師治療家医療関係者ジャーナリストの先生方の図書が多く出版されています。

 にもかかわらずぅ~!!! ここに至ってもなお、世間には「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」にまだ気づけない一般市民の方々が非常に多いのです。ここまで様々な情報がネットや書籍を通して手に入る時節を迎えていながら、なぜ「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」に気づけないのか・・、これを理解できないのか・・・。

 この答えは、心意識認識素養の成熟さなのです。
 本当の事実を見つめようとしない・・、心の奥底、いい加減に生きている虚構の人たちは、やはり、いい加減なものしか見向きしないのです・・。同類は引き寄せ合い、同気同質が寄り合うのです・・。

 「医療の真実」のみならず、世のあらゆる真実に気づける人たちというのは、心の奥底、本気で生きてきた人たちであると私は認識しています。人生の諸事に対して本気で悩み、本気で苦しみ、本気で楽しみ、本気で喜ぶ・・、自分で自分を誤魔化さず、自分で自分に嘘を付かない生き方ができている人たちです。自分の心の事実(本性)に対し、また、世間や社会の事実(実態)に対して、自分なりに本気で向き合い、悩み、よく考えて生きてきた人たちです。こういう人たちは、事実の結晶である『真実』に縁(えにし)できる心意識認識素養を身に付けていた人たちです。

 ところが、世間には、この真逆の人たちが多いです・・。
 自分が悩み苦しむことというのは、自分が今回の人生でそれを見つめ、その答えを自分なりに見出すべき的(人生の本当の目的)なのです。それなのに、自分の悩みや苦しみに対して「なぜ、こんなことが起こるの・・、もう嫌・・」的な文句や愚痴や嘆きしか思えず、感じられずに、自分の悩みや苦しみに対して本気で向き合えないで逃げてばかりいる・・、そんなことだから、自分で自分を誤魔化す、自分で自分に嘘を付いて生きています・・。このような人たちは人様に対して平気で「うわべ」を取ります。それに対して何の罪悪感もありません。それが常識だと思っています。中にはこれを「大人の行為」だと思っている人たちさえいます。自分の本心ではない「うわべ」の言動など、それはただ単に「不実」という「嘘八百の誤魔化し行為」に過ぎません・・。これは、自分の身や姿を小奇麗に飾り守るためだけの「人生の誤魔化し運転」です・・・。

 当然、この人間界という場所は危険な諸事が起こる次元世界であり、身の危険に対して自分で自分を守るのは必要な行為ですから、この「うわべ」の言動のすべてがいけないとまで私は言いません。
 しかし問題は、そこに何ら身の危険があるわけではないのに、重要な人間関係に対してでさえも、この「うわべ」の言動を平気で当たり前顔して使いこなす人が世に実に多いということです。家族に対して、伴侶に対して、我が子に対して、親に対して、友人に対して、平気で平気で「うわべ」の言動をいとも簡単に取ってしまう・・、そこに微塵も罪悪感が湧かない・・、そんなことは当たり前・・、こういう人たちは完全に「我良し」に固まっており、自分の本性(心奥)が「いい加減」だから、そうなってしまうのです。

 心を浄化し、心が澄んでいる人たちは、この手の心の動きと行為を「自分がしてしまうこと」を嫌います。後味が悪く、この手の心の動きと行為を「自分がしてしまうこと」が何だか嫌で嫌でたまらないのです・・。
 嘘を付かない人というのは、嘘を付けないのです。こういう人は嘘を付くことができません。それは、自分が嘘を付くことに対して深い嫌悪感を感じるからです。自分が嘘を付くことが嫌で嫌でたまらず、そんな自分が許せないのです。これは、自分の本性(心奥)に「いい加減」が無いからです。

 自分の面子(メンツ)を成り立たせるために誰にでも平気で「うわべ」の言動を取り行なう人たちは、自分の本性(心奥)が「いい加減」ゆえ、罪悪感も湧かずに「うわべ」の言動をたんたんと取り行ないます。家族であろうと、伴侶であろうと、我が子であろうと、親であろうと、友人であろうと、簡単に簡単に「うわべ」の言動で誤魔化して済ませるのです。この「うわべ」の生き様が、やがて「自分の末路の質(この先の自分の姿)」を決定付けることになることも知らずに・・。
 「うわべ」の人生を生きれば、やはり、最後は「うわべ」しか残りません。これは至極当然の話です。自分の人生の中で常に「うわべ」を積み重ねてきたのですから、人生の最後に「うわべ」しか残らなくで当然なのです・・・。

 「うわべ」の人生を生きている人たちは、自分のいざという時に(日常的にも)「うわべ」の人物事しか自分に寄ってきません。自分の「心の質(本性)」と同気同質のもの(存在)しか自分に寄ることができない許されない(縁が起こらない縁起しない)という原理仕組みがこの世にあるからです。
 「縁起」とは、“縁起の良いもの” を家の中に飾っていれば “縁起の良い出来事” が起こるのではありません。
 “縁起の良い出来事” とは、“自分の「心の質(本性)」の内容” によって引き起こされるものなのです。
 これは完全に平等であり、完全に自分の「心の質(本性)」の内容如何による「自力」の領域になります。
 この世には、本当は不平等など一つも無いのです。

 自分の「心の質(本性)」の内容と同気同質の存在が、自分に縁(えにし)する・・、これはつまり、自分の人生に起こる万事はすべて自分の「心の質(本性)」の内容にかかっているということです。
 自分の「心の質(本性)」が「いい加減(うわべばっかり)」ならば、自分には「いい加減(うわべばっかり)」な存在しか寄りません・・。自分の周りに「いい加減(うわべばっかり)」な人が多いのは、自分がそう(いい加減うわべばっかり)なっているからです。これは、周りの「いい加減(うわべばっかり)」な人たちのせいではなく、自分の「いい加減(うわべばっかり)」な「心の質(本性)」に問題があるのです。

 このように、周りの人たちが自分の「心の質(本性)」を教えてくれています。
 これが、この世に実在する「鏡の原理(鏡の法則)」です。

 霊学には『自分の内にあるものが外から迫って来る』という言葉があります。
 これは、上記でお話しさせて頂きました「同気同質が寄り合う原理(類洞の法則)」「鏡の原理(鏡の法則)」を思いっきり簡単な言葉で表しているものです。
 真実の言葉というものは、本当に簡単な単語しか使いません。小難しい言葉で説明しているものは、案外と真理の本質から遠いものが多いです。

 この『自分の内にあるものが外から迫って来る』という言葉は非常に重要なものであり、ここが理解できるようになると、いろいろな疑問や悩みが氷解する手引き(羅針盤)になります。
 例えば、「自分の周りには信用できる奴がいない」と嘆くならば、それは自分が「信用できない奴」だからです。自分が「信用できない奴」になっているがゆえに、自分の周りにも「信用できない奴」が寄って来る(迫って来る)のです。
 また、「自分の周りには嫌な奴しかいない」と思うなら、それは自分が「嫌な奴」になっているがゆえです。
 「自分は人から嫌われる」と感じるならば、それは自分が「人を嫌う」からです。
 「自分は周りから陰口悪口ばかり叩かれる」と感じるならば、それは自分がいつも「誰かの陰口悪口を叩いている」からです。これは、自分が実際に陰口悪口を口に出していなくても、「心の中でいつも誰かの陰口悪口を叩いている」はずです。心が現象を引き起こすことを忘れてはいけません。
 「人から暴力を受ける」のであれば、それは自分の心の中に「暴力がある」からです。これは、自分が実際に人に暴力を振るっているわけではなくても、「心の中でいつも誰かに暴力を振るっている」はずです。

 これらは「カルマ(因果)の清算」であることもありますが、結局、「カルマ(因果)の清算」が起こるというのは「それと同等のものが自分の中にある」から起こるのです。この世は「カルマ(因果)」というシステムをもって「お前の中にこれがあるんだぞ!」という事実を現象としてその人に示し、「心を正せ! 心を成長させよ!」という意味を込めて、その人の「心の改善心の成長」を促します。
 ですから、もし、その人が悪い出来事嫌な出来事を通して自分を見つめ直し、そこから学び、自己反省によって「自分の心を本気で正した」ならば、その内容に付随する「カルマ(因果)の清算」が消え、免除されることがあります。これを恩寵とか言ったりすることもありますが、いわゆる「カルマ(因果)の清算」とは人間の「心の改善心の成長」のためにあるシステムなので、その人がその「カルマ(因果)の清算」から自分に必要なことを学んで、自分の心を正して成長させたならば、もう、その「カルマ(因果)の清算」は必要なくなるので消失し、次の学びのステップに進んで行くのです。

 ですから、自分に起こった悪い出来事嫌な出来事に対して、文句愚痴泣き言を思ったり言っているだけではダメなのです。何も進みません。
 みなさんもこれは経験したことがあると思いますが、自分の人生に同じような悪い出来事嫌な出来事が繰り返し繰り返し起こることってありますよね。「何でいつも、こういう同じ目に遭うんだよ・・、同じようなことが起こるんだよ・・」とか思うことってありませんか。これは「リピート再生」と言って、その現象を通して心を学び、自分の心を成長させるべき何かがあるから同じような出来事が繰り返し繰り返し起こるのであって、その現象から心を学び、自分の心を成長させてしまえば、その現象を起こす意味が無くなり、何度も何度も続いて起こっていた悪い出来事嫌な出来事がそれ以降は起こらなくなるのです。
 こうして、次の学びのステップに進み、また次に消化(昇華)すべき「カルマ(因果)の清算」へと進んで行き、心の学びがこの世から(カルマの仕組みを通して)提供されていきます。「カルマ(因果)の清算」というシステムは苦しむためにあるのではなく、自分の「心の質(本性)」を知り、自分の心を成長させるためにあるのです。


 この「癌医療ビジネスの闇」「医療ビジネスの闇」に気づかれた人たちは、現代医療や癌医療に対して文句ばかり言っています。その想いは私も同様に持っていますし、その気持ちは私にも充分に分かります。

 しかし、これではダメです・・・。

 なぜ、人の生命を救うべき場所である医療界が「ビジネス根性」「商売根性」という「金儲け」中心に傾いて堕落している側面があり、癌医療、及び、その他の医療に甚だインチキが存在しているのでしょうか・・。
 これは、日本国民の本性が「ビジネス根性」「商売根性」という「金儲け」中心に堕落しているからであり、日本国民の本性にインチキが深く根付いているからです・・・。

 「え~っ!?」とか思われますか・・。
 ここが理解できなければ、何も変わることはないでしょう・・・。

 よく考えてみてください・・。

 「ビジネス根性」「商売根性」という「金儲け」中心、また、甚だしいインチキに堕落しているのは、何も医療界だけのことではありません。もう、ほとんどすべての分野業界において、これが深く根付いているのです・・。

 農業界、畜産業界、食品業界などは今も危険な化学物質を使用し続けています。農薬化学肥料化学飼料化学添加物などが危険であることはすでに科学的に明かされているはずなのに、自分たちの都合によって、いまだに平気な顔して使用し続けているのです。これらが日本人の心身を蝕み続けているのは言わずもがななのに・・。

 欧米では「殺人油」と呼ばれて法で規制がかけられている「人工トランス脂肪酸」は、日本ではいまだに使用され続けています。この「人工トランス脂肪酸」が使用される理由は安くて便利だからですが、「人工トランス脂肪酸」がありとあらゆる病気を引き起こしている事実はとっくに欧米で科学的に検証が済んで明かされているというのに、日本では「人工トランス脂肪酸」が法で規制がかけられていないために、日本の食品業界ではいまだに安くて便利な「人工トランス脂肪酸」が使用され続けているわけです。

 ここに、日本人の一つの心を見抜かなければなりません。

 食品業界を引っ張っている方々は、ご立派な肩書を持たれている大人たちですよ・・。
 食品を専門にしているのですから、食品業界を担うこの大人たちは「人工トランス脂肪酸」がどれだけ危険であるか、すでに知っているはずです。欧米では「人工トランス脂肪酸は非常に危険である」という科学的医学的事実はすでに常識化しているのですから、食品業界の専門家たちが「人工トランス脂肪酸の危険性」を知らないわけがないのです。もし、この「人工トランス脂肪酸の危険性」のことを一切知らないのであれば、その人は食品の専門家ではなく、単なるアホです。食品業界の専門家たちは「人工トランス脂肪酸の危険性」のことを知っていながら、経営上の都合で(さも問題ないかのように)「人工トランス脂肪酸」を今も使用し続けているのです・・。
 日本国民は無知なお馬鹿さんが多いために、この「人工トランス脂肪酸の危険性」に対して何の問題定義もせず、毎日「人工トランス脂肪酸」を喰らい続け、自らの無知により様々な病気を引き起こしています・・(涙)

 いわゆる「真面であるはずの大人たちが、正常な判断がまったくできていない」ということです。
 これは言葉を変えれば「日本の大人たちは、一見、真面そうに見えるだけ・・」という事実を、ありのまま暴露しているのです・・・。日本民族の健康や生命を患わせる「人工トランス脂肪酸」を使用し続けるなどという狂気は、心根が「いい加減」だからできることです。人間の生命を脅かすものを平気で使用し続けるというのは、本当にそういうこと(いい加減)なのです。

 食品業界以外の他の分野業界においても同様なことが多々あるはずです。
 これらの諸問題を一切無視し、まったく正しもしないのに、医療業界製薬業界の悪態だけを正すなんていうことは、まずもってできないことです。なぜならば、日本国民の本性であるこの「いい加減」な「我良し根性」が根本に根付いているからこそ、日本人の生命を助けるべき場である医療製薬に「いい加減」な「我良し根性」が末端現象として色濃く現われているからです。日本国民の本性に医療業界製薬業界のやらかす悪態と「同気同質の精神」があればこそ、医療製薬に悪質なる悪行が現われているのです。

 もし、日本国民が本当に安全な医療製薬を望むなれば、この大本(本質)に気づかなければなりません。
 本(もと日本国民の本性)が正されなければ、末(すえ医療や製薬)は正されません。
 日本国民の生命を守るべき、信頼されるべき医療業界製薬業界の悪質なる悪行が平然と現れているというのは、日本国民の本性の質がよっぽど酷いのです。人間社会にとって一番重要である医療業界製薬業界に日本国民の本性と同気同質のものを現わして「早く自分たちの本当の姿に気づけ!」とこの世から促されているのです・・。
 若僧としてまた生意気なことを書いてしまったかもしれませんが、これは日本国民のみなさん一人一人に真剣になって深く感じ取って頂きたい事実です・・・。


 葉月医師はこの記事の中で、このように言われています。

    多分ですけど、そのためには「今のあなたが信じてないもの」を信じる必要があるのかもしれません。
     人は、人生の「ステージ」が上がるとき、今までの常識が非常識になると言います。
     今まであなたが信じていたこと、それが「常識」だと思っていたことが、
     実は「常識ではなかった」ということ、
     (人生の)ステージが上がったとき、今までの「非常識」が「常識」になることを知るんです。


 葉月医師はとても分かりやすくお話しされています。
 葉月医師がここで言わんとされているのは、私が当ブログサイトでよくお話しさせて頂いていました「常識という名の非常識」に気づいてほしい!ということです。世間の人たちが今まで当たり前に信じていた「常識」などは所詮「非常識」に過ぎなかったという事実に・・・。

 ただ、この葉月医師の「信じる」ということに対して一つ補足したいことがあります。
 みなさんは果たして本当にそれを「信じている」のでしょうか・・。
 残念ながら、私は違うと思います・・・。

 私が世間を見るに、世間の多くの人たちは、それを「信じている」のではなくして、それを「鵜呑みにしている」だけに過ぎないように映ります。
 「信じる」というのには『それを理解する』という内訳があるはずなのです。
 「理解していない」ものに対して「信じる」なんていうのは、私にはとても考えられないことです。
 それを「信じる」に値する「理解」があればこそ、「信じる」に値するものとして、それを「信じた」はずです。
 それを「理解」もせずして「信じる」というのは、私からすれば「鵜呑みにした」に等しいのですね・・。

 世間のみなさんは、本当に「それを理解している」のでしょうか・・。
 その「常識」を本当に「理解している」のでしょうか・・。
 ただ単にそれを「鵜呑みにした」だけではないのでしょうか・・・。

 内海聡医師が言われる『グーミン自分の力で考えることを放棄し、優生学者の奴隷へと堕してしまった愚民)』の意味を、日本国民は今こそ真剣に見つめていかなければなりません・・。ここを理解しなければ、いつまで経っても世の『真実』に覚醒することはないでしょう・・・。


 この人間界に起こることは、すべて「人間の心の学び成長」のために起こります。
 この人間界に生まれている人はみな、心を学び、自分の心を成長させるために、この雑多な人間界に勇気を持って自ら望んで(志願して)生まれて来るのです。そして、自分が今回与えられた(授与された)人間人生を通して心を学びながら生き、心を成長させ、最後はこの人間界で得た(ように見えていた)すべての所有物(財産土地家屋肩書名誉愛車など)の一切を置き去りにして、成長させた心と経験と智慧だけを背負って元来た霊的生命次元世界にまた帰っていきます(帰幽します)。肉体的な死をもって人間人生を終了し、この人間界を去った時に、自分の本当の所有物は「自分の心」だけであった事実を思い知るのです(思い出します)。

 しかし、この事実を人間人生中に気づける人は稀です。多くの人たちが、この事実に気づけずに「心を無視して」生き、死の終わりに至るまで「心の重要性」に気づけません・・。


 「空海」は、このような言葉を残されています。

    三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識()らず。
     生れ生れ生れ生れて生(しょう)の始めに暗く、
     死に死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し。


 この一般的な訳文はこうです。

    心、驕れる者は、己れの総べてが正しいと思い、
     知恵無き者は、正しくものを見ることが出来ない。
     然るに、何度も生れ変わりながら、何処より生れ来たった自分であるかを知らず、
     生まれては必ず死んでいながら、死の意味を知ることが出来ない。


 また、このように超訳される先生もいます。

    あなたが正しいと信じている情報、世界観、生き方は本当に正しいのでしょうか。
     それが正しいかどうかということを、あなたは考えてみたことがありますか。
     もし間違っていても、間違っているかどうか検討したこともない、
     それは眼の見えない人が、自分が眼の見えない者であることに気がつかないのと同じことなのです。
     こんなことを考えたくないあなたも必ず死にます。
     そして、また生まれて、同じように眼の見えない状態で生きていくのでしょうか。


 この先生の超訳は素晴らしいですが、私の場合、このように超訳します。
 これは、上述の内容をまとめた内容です。

    人間は、心を学び、「自分の心」を成長させるために、この雑多な人間界に生まれて来る。
     しかし、多くの者が、この事実に気づけず、この事実に対して暗いまま(無知のまま)であり、
     闇(無知)の中で「心の重要性」に気づけずに自分や他人の心を無視してしまう・・。
     人間界で自分が得たもの(財産土地家屋肩書名誉など)が、
     まるで自分の本当の所有物であるかのように錯覚して生きてしまう・・。
     ところが、肉体の死とともに人間人生を終了して帰幽した時に、
     自分にとって本当の所有物は「自分の心」だけであった事実を思い知るのだ・・(思い出すのだ・・)。
     この時、多くの者が、自分や他人の心を重視せずに「心を無視してしまった」ことに嘆き、
     心の成長に帰着せず、「自分の心」の成長を怠ってしまったことに心底後悔する・・。
     人間界に生きているうちは重要だと思っていたもの(財産土地家屋肩書名誉など)が、
     肉体の死とともに帰幽して自分の目の前からすべて消え去り、
     最後に「自分の心」だけが残ったことを実際に知る(実感する)に至って(目前にして)ようやく、
     本当に重要であったのは「自分の心」や「人様他人の心」であったこと、
     自分が人間界で得ていた本当の財産とは、
     『成長した心』と『経験』と『智慧』だけであったことを真に思い知る・・(思い出す・・)。
     そして、人間人生中にこの事実に気づけなかったことを本心から嘆く・・。
     このような者たちは、人間界に生まれてから死の終わりに至るまで、
     人間人生の最後の最後まで(この事実に対して)暗いまま(無知のまま)なのだ・・。
     そろそろ人間は、この狂った闇(無知)を卒業してはどうだろうか・・・。

 私は上記の「空海」の言葉から、以上のように感じます。私はこのことをいつも意識しています。
 私のこの超訳の内容から何か大事なことを感じ取れる方は、本当に幸いな方だと思います。
 自分が今回与えられた(授与された)人間人生を本当に有意義に活かしきれる素養をお持ちだからです。

 この人間界で自分が得た所有物(財産土地家屋肩書名誉など)は所詮「自分の心」を成長させるための方便、トリックに過ぎません。これらの所有物を得てきた「過程」における「自分の心の内容」が大事なのです。これらの所有物がいくら小奇麗であっても、「自分の心の質」が綺麗でなければ、まったくお話にならないのです。これが人間界の『真相』であり、人間界が課せられている役割の一つです。

 小奇麗で美しく眩い所有物(財産土地家屋肩書名誉など)をたくさん得た人間人生をいくら過ごしたとしても「自分の心(自分の本心本性)」が小汚ければ、その人が肉体の死後に帰幽して行くその場所は、やはり小汚い場所(霊的世界)でしかないのです。
 人間は、肉体の死後、生前の(死ぬ時の)「自分の心の質(自分の本心本性)」と同気同質の存在ばかりがいる場所(霊的世界)に「引力によって」引き寄せられて行きます。これは誰もが平等であり、誰一人としてこの仕組みから逸脱できる(逃れることのできる)人はいないのです。


 まァ~、上記のような死生観につきましては、人によっては嫌悪感を示される場合もありますので、何となくでも何か感じて頂けたら有り難いと思います。
 しかし、人間社会に潜在している「常識という名の非常識」に関しましては、私たちは早急に悟っていかなければなりません。自分が今まで「常識」と思い込んで鵜呑みにしていた「常識という名の非常識」に気づき、世の専門家等が演ずる馬鹿劇場から目を覚まして、自分や家族を正しく導ける智慧を身に付けていきましょう!

 日本国民の一人一人が、今まで自分が信じていた・・、いや、自分が信じ込んでいた・・、いいえ、実は自分が鵜呑みにしていただけだった「常識という名の非常識」に対してメスを入れて手入れをし、世の『真実』に覚醒されんことを、私は切に願っています・・。世の大人のみなさん、とにかく、これはマジでお願いします m(__)m
これがマジだから、若僧が生意気にも、これだけお話しさせて頂いています・・・

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 「情報」で何を「感じるか」
 【「まぁ、お医者さんなんですけれども。」
より 】


 ちまたに溢れている「情報」。

 お友達が FB でシェアしていたので、こちらに転載してみます。


    癌検診は受けてはいけない


 この記事は2013年に書かれたものです。

 この記事が書かれた当時を思い出すと、私はここまでストレートに、

 こーいう事を伝えることはできませんでした。

 今は結構、いろいろストレートに言っちゃいますけどねw


 んで。

 この記事を読んでどう思ったのか、ってことなんです。

 どう思ったのか、だとちょっと違うな。

 どう「感じたか」ってところにフォーカスしてみてください。


 あ、「フォーカス」は「焦点」。

 そこを集中して感じる、って感じですね。


 この記事に書かれてることって結構センセーショナルというか、

 「衝撃の事実!」的な感じで書かれてるし、

 「悪魔」とかそーいうキーワードがガッツリ出てるし、

 「殺.人」なんてのもありますよね(アメブロ的にちょっと工夫w)。


 この記事を読んで、

 その内容が事実かどうか、ということを話したいのではないんです。

 あなたがこれを読んで何を感じたか。

 情報って本当に「そこ」なんです。


 私の個人的な意見としては、

 癌検診は正直要らないと思ってるし、

 医療関係の利権やらなんやらっていうのもあるのはわかってるし、

 抗がん剤に限らず、薬は基本的に不要だと思ってるし。


 だからまぁ、いわゆる「健康保険」には入ってません、わたくし。

 国民健康保険にも、社会保険にも。

 民間のは「死亡保険」のみ。

 死んだときに誰かに手間をかけるので、そのためだけです。


 ってのはさておき、

 癌検診要りませんよー、って

 医療の「くいもの」にされるだけですよー、って言われて


 「そうなの?」だったり、

 「そんなわけがない」だったり、

 「騙されてる」だったり、

 いろいろとご意見はあると思うんですけど、

 「意見」じゃなくて、「感情」ね。

 「イライラした」「不安になった」「憤った」「悲しくなった」だったり。


 でも今日は、この記事を読んで

 「反発した」か「受け入れた」か「なんとも思わなかった」か。

 そーいうでっかいくくりで感じてみてほしいんです。


 自分の意見と「同じ」なのか「違う」のかによっても感情は変わります。

 もし「同じ」だったら後押しされたと思うかもしれません。

 「違う」っていうとき、「へぇ~」と思うのか「そうなのか!」と思うのか、

 「そんなわけがない!」になるのか。


 その感情で「あなたが信じていること」がわかります。

 そして、「あなたが信じていないこと」もわかります。


 もし、あなたが「今のあなたのままで良い」と思うなら、

 今信じていることを全力で信じていれば良いと思います。

 でも、もし、今のあなたよりも、もっともっと素晴らしいあなたになれるとしたら。


 多分ですけど、そのためには、

 「今のあなたが信じてないもの」を信じる必要があるのかもしれません。


 人は、人生の「ステージ」が上がるとき、

 今までの「常識」が「非常識」になると言います。

 今まであなたが信じていたこと、それが「常識」だと思っていたことが、

 実は「常識ではなかった」ということ、

 (人生の)ステージが上がったとき、今までの「非常識」が「常識」になることを知るんです。


 だからこそ。

 違和感のあるところに敢えて行かなきゃいけなくなることもあるでしょうし、

 今までだったら拒否、拒絶してしまったようなことにも

 飛び込んでいかなくちゃならなくなるかもしれません。


 でも、そういう場所への扉がもし開かれているのなら、

 あなたにはその準備ができているってことです。

 全ては必要な人の元にしか届かないんです。

 だからこそ、もし、その扉が見えたなら、ぜひ飛び込んでみてくださいね。