これは「2012年の黙示録 ~ 日本人はなぜ日本を愛せないのか」記事からのご紹介です。
 「日本人はなぜ日本を愛せないのか」という図書の中の「家畜か、魚介か、肉食の違いにより、民族の精神的性質に違う影響を与え、その民族の性格個性を決定づけている!」のではないか・・、という内容になります。

 日本人がすべき肉食につきましては、日本人が明治以降に始めた「肉製品(獣肉食乳製品」が良いのか、あるいは、日本人が昔から継続してきた「魚介食」が良いのか、これは人それぞれに意見が異なることでしょう。
 今の日本人ならば「そんなの何だっていいじゃんか!」と思われる人も多いはずですし、もちろん、それも当人の『自己責任』による『自己判断』ですから、私はそれで構わないと思います。

 この記事で話されている内容は「日本人はどのような肉食にすべきか」といった食養的な内容ではなく、もっと奥突っ込んだなかなか面白い話をされています。家畜か、魚介か、その違いによって精神作用が決まり、その精神作用によって民族の性格や個性が決まる、というようなお話をされています。

 私はこういった話が大好きな口ですが、肉食における「医学的栄養学的な視点」しか持ち合わせていない人にはなかなか受け入れ難い内容かもしれません。でも、ぜひ、ご一読されて頂き、肉食にもこのような視点があることを何か感じて頂けたらと思います。

 肉食に関しましては、もちろん「医学的生化学的栄養学的な視点」は大事ではありますが、それ以外の視点を併せ持つことも、人間として非常に重要だと思います。
 人類が肉製品(獣肉食乳製品の食事を継続していくには、環境汚染や環境破壊の問題がたくさんありますし、道徳的な問題もありますし、人間の精神性(人格性性格性)に影響を及ぼす問題もあります。人類が今後も肉製品(獣肉食乳製品の食事を継続していくためには、人類は地球規模での「数々の問題」を実際に抱えている現実があるのです。これらを少しも考慮せず、何の懸念も抱かずして、単に「医学的生化学的栄養学的な視点」だけで「肉食万歳!」音頭に浮かれていてはいけないのです・・・。

 私は上記で「(獣肉食が)人間の精神性(人格性性格性)に影響を及ぼす問題」と言いましたが、これについてはまだ多くの方々がご存知ない視点であり、ここは「心と食物と人相と  谷口雅春(著)【肉食の霊的な害】」記事に詳しいので、ぜひ参照して頂けたらと思います。
 「2012年の黙示録」の管理人である「なわ ふみひと」さんも、これに重なる意見をこの記事の最後にコメントされています。短い文ですが、私にはよく分かる事実です。

 肉製品(獣肉食乳製品の生産から生まれるこれらの問題をバランスよく見つめ、自分なりの答えを出せるようになりたいですね! 人類の肉食問題に関しましては、この記事を読んで、ちょいと「大人っぽい意見」を発言できるようにしておきましょう♪
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日本人はなぜ日本を愛せないのか

鈴木孝夫(著) 新潮選書出版  2005年刊




動物性食料源の違いに由来する世界観の相違

日本とユーラシア文明の根本的な違いは、一言で言って、どこにあるのでしょうか。

 本論に入る前に、ひとつ私がいつも疑問に思っていることを言いましょう。
 それは、今の日本がこれほどまで何もかも欧米化しているのに、どうしてキリスト教だけは全くといっても良いほど広まらないのかということです。皆さん、お分かりになりますか。 それに対する私の答えは「日本に羊がいないから」なんですよ。
 つまり、日本の文化の基層にユーラシア文明に特徴的な「牧畜遊牧の要素」が完全に欠如していることが最大の原因なのです。「神が牧者で信者はその命じるところに従う羊の群れ」という捉え方というか仕組みが、一般の日本人にはどこかピンとこないのですね。でも、これだけでは何のことかよく分からないでしょうから、順を追って詳しい説明をすることにします。

 最近の政府の宗教別統計を見ると「日本のキリスト教徒の数」は全人口のわずか0.8%で、これまでとほとんど変わりません。日本でのキリスト教はどうしても人口の1%を超えられず、これを「1%の壁」と言うのだそうです。
 しかし、明治以後の日本は、宗教の点でも全く自由の国となり、キリスト教は従来の仏教などと違って、どちらかと言えば、文明開化の匂いのする、「ハイカラ」で高級な感じをもった宗教だと一般には受け止められてきたと思うのです。教会に行くからといって昔のように差別されるわけでもなし、敬虔なキリスト教の信者ですということは、知識人の間などではむしろプラスの価値を持って受け止められているのではないでしょうか。

 それどころか、キリスト教的な風俗や行事はクリスマスにしても賛美歌や結婚式にしても、庶民のレベルではますます人気が高まっているようです。そして、各地にあるキリスト教系の私立の小中学校には、どちらかと言えば、経済的に裕福な家庭の子女が毎年数多く入学します。キリスト教系の伝統ある大学は全国にいくつもあります。それなのに、肝心の宗教としてのキリスト教の信者はさっぱり増えないのだから何とも不思議でしょう。

 ところが、かつては日本と同じく、いや、日本以上に厳格な儒教国、仏教国だった韓国では、独立後の一時期キリスト教が全人口の40%を越すほどまで一気に広まり、現在でも約25%、全宗教人口の半分がキリスト教徒であることを考えると、これも不思議ですね。
 韓国でキリスト教が広まった理由としては、よく日本の統治抑圧への対抗といった政治的な要因が指摘されたりしますが、私の考えでは、同じ東洋人だ儒教国だといっても、韓国人や中国人は文化の基層にユーラシア大陸のすべての文明に共通するある特質を持っていて、それをまったく欠く日本人とは精神構造が違うために、このような相違が生まれるのだと考えています。よく欧米人と日本人はなかなか話が通じないけれど、韓国人や中国人は欧米の人と互いの意思疎通が速いなどと言われるのも、このことと関係があるのです。

 その特質とは、人間生活の土台が古くから今に至るまで【家畜穀物(主として小麦)複合体】だということです。
 これに対して、日本人の基本的な生活基盤は、つい20~30年前、経済が豊かになるまでは、過去千年以上もの間【魚介穀物(米と雑穀)複合体】だったのです。
 この違いが現在の世界で圧倒的な強さを示しているユーラシア的文明、これにはヨーロッパはもちろんのこと、アメリカ文明も中華文明も含まれますが、この系統に属する諸民族と、これまでの日本人を大きく区別する要因となっていたのです。
 そして、究極的には、この違いに基づく人間観世界観の違いが、はっきり意識されてはいなくても、なんとなくキリスト数的な世界観を日本人に受け入れ難くしているのだと私は思うのです。

 考えてみるまでもなく、人間は典型的な雑食動物ですから、いつどこでも適当な割合で植物と動物の両方を食べる必要があるのですが、ユーラシア大陸の人々は古くからこの動物性の食物を、野生の獣を獲ることに加えて主に家畜化された動物の乳や肉から摂ってきました。その結果、これらの人々は長い間のうちに家畜と密接に共生する生活文化体系を作り上げたのです。

 ところが、伝統的な日本人の生活は、風土条件や宗教上の理由などによって家畜に依存することが非常に少なく、したがって、家畜を主な食料源とする文化は成立しませんでした。そのかわり、日本人は海や川から取れる水産物、すなわち、魚介類や海藻類を極度に利用する文化(現在でも約80種の海藻が何らかの形で利用されていて、これは世界一です)をつくり出したのです。これを私は簡潔に【魚介穀物複合体】と呼んで、ユーラシアの【家畜穀物複合体】と対比させることにしたのです。

 実は、この動物性食料源が家畜か魚介かという相違こそが、ヨーロッパや中近東、そして、東北アジア諸民族の持つ動物観や人間観、そして、世界観までが、日本人のそれと非常に違っていることをかなり上手く説明できると、私は考えています。



魚介文化と家畜文化の決定的な違いは何なのでしょうか。

 一言で言って、相手(対象)を支配しようとする「意思」の有無です。
 魚介文化の日本人には、「他者(対象)としての生き物を支配下において、その行動を制御する」という観念が生まれなかった。もしあっても、ユーラシアの人々に比べると非常に希薄なのです。

 考えてみればすぐ分かることですが、魚介類は人間が支配し命令を下して、その行動を意のままに操ることのできる対象ではありません。魚や貝はただそこにいるものを採取するか、あるいは追いかけて捕まえるだけのものです。

 これに対して、家畜は、人間が自分の支配下に置いて命令を下し、その行動を制御しなければ、家畜を飼う目的が達せられません。ですから、家畜となる動物は、人間が(いろいろと手を尽くせば)言うことを聞かせることのできる性質を持った動物だけが、何時どこでも選ばれるのです(人間の思うままにならない動物や、人間に刃向かってくるような動物が、家畜に向かないことは言うまでもないでしょう)。

 「動物性食物としての生き物を支配し、その行動を制御しようとする強い意思が、人々が生存していくために絶対に必要であったか、そうで無かったか」という違いが、やがて、他者としての人間を支配の対象とするときの意思の強さの違いとしても現れ、それは同時に、支配者と被支配者との間に明確な区別、意識の上での対立や断絶を生むことになりました。
 これが、ユーラシア大陸の人間と日本人を截然(せつぜん)と分ける最も重要な相違となっているのだと、私は考えているのです。





 

ひとくちコメント
 著者の洞察力に感服いたします。
 この章のタイトルは「魚介か家畜か」となっていますが、家畜を食べることのなかった日本人が、明治維新を境として肉食の習慣を身に付け、また戦後は占領国アメリカによって日本人の食生活が【家畜穀物(主として小麦)】へと計画的に変えられてしまったことによって、今日の殺伐とした日本社会が誕生したと見ることもできそうです。
 〔なわふみひと