私は以前、古武術家として著名な「甲野善紀」先生と何度かお会いされた方にメールで教えて頂いたことがあります。
その方はメールで、
「正食、マクロビオティックなどの桜沢如一系統の食養に関しては、やはり陰陽の区別が分かりづらく、
甲田先生の冷え性でも生野菜で治る例を話され、また、ご自身の生玄米食の体験から、
甲田先生の理論(生食の威力)のほうを支持されておりました。
甲田光雄先生に関しては、『生前お会いしたかった』と甲野先生は仰っておりました。」
と、私に教えてくださいました。
私はこのメールを拝見させて頂いた時、
「甲野先生ならば、そのくらいのことは軽く理解されておられるだろうなァ~」
とか思いまして、甲野先生が『食の真実』をよくご存じであられることを感じました。



甲野善紀先生の刀術は天下一です!
ただ、バンソコウが気になりますが・・・

甲野先生ご自身は、毎年、時期的に『禁糖』をされるそうで、その時に「生玄米粉」の食事をされるそうです。
甲野先生がされている「生玄米粉」の食事は、玄米を浸水させて発芽させた玄米(発芽玄米)を、生のまま、丁寧にすり鉢で摩り下ろしたものです。私はこれを「ミルサー」で作りますが、大変美味しい食品です。
私はこれを、個人的に「生発芽玄米粉」と呼んでいます。
「生玄米粉」に比べて栄養価が高く、また、食べますと “口の中で自然に溶けてしまう” ほど食べやすいです。
コクがあって、とても美味しく頂けます。
「生玄米粉」の食事は「ブドウ糖の摂取」が抑制され(なので、甲野先生は『禁糖』のために「生玄米粉」を実践されているのですね)、“ブドウ糖の代替エネルギー源” である『短鎖脂肪酸』の摂取となる優れた食品です。
ですから、その分、「ブドウ糖の摂取」によって起こる「癌が増殖する危険性」を減らすことができる主食となります。
(ここは、「短鎖脂肪酸食」カテゴリや、「短鎖脂肪酸」カテゴリなどを参照されてください)
毎日の食事からこの「糖質(ブドウ糖)の摂取」を制限することに加えて、癌を増大・進行させてしまう大きな原因となる「肉製品・乳製品の摂取」も排除することで、癌が増大・進行してしまう「体内の物理的条件」を大きく取り除くことができるでしょう。
(ここは、「ブドウ糖は「癌の最大のエサ」」カテゴリや、「肉食・乳製品の真実」カテゴリなど参照されてください)
私は個人的に「生玄米粉」を癌の食事療法の主食として推奨しています。
癌患者さんは、このことに納得することができましたなら、ぜひ、ご自身の癌治療に取り入れられてみてください m(__)m
ただ、癌患者さんの場合は「生発芽玄米粉」には注意が必要です。
発芽玄米は「発芽の過程」で「糖化(デンプン ⇒ ブドウ糖)」されているため、「生発芽玄米粉」は「ブドウ糖の粉」になっています。この「生発芽玄米粉」を「空腹時」に「単品」で摂取すると高血糖を起こします。癌患者さんの場合であれば、癌細胞に「ブドウ糖」が取り込まれてしまい、癌を育ててしまうことになります。ですから、癌患者さんが「生発芽玄米粉」を使用する場合には必ずご注意ください。
癌患者さんの場合は「生発芽玄米粉」ではなく、できる限り「生玄米粉」の食事にしましょう。
『禁糖』とは「糖質の摂取を禁ずる」ことです。いわゆる、「禁酒」や「禁煙」と同じですね。
以前、私の友人で『禁チョコ』をしていた女の子がいました。
一応、説明しますと、『禁チョコ』とは「チョコレートの摂取を禁ずる」ことです。
「チョコレート食べ過ぎて太っちゃったから、禁チョコしてるんだ♪」と言っていました(笑)。
確かに、その女の子は私の目の前で、板チョコを数秒でたいらげていました。
よほどチョコが大好きなのでしょうね。
でも、その女の子は偉いと思います。
その女の子は「このままチョコを食べ続けたら、絶対にヤバイな・・、アタシ・・・」と思ったそうです。
そして、自分(の「チョコを食べたいぃ~」という思い)と闘いながら、頑張って『禁チョコ』を実行していました。
癌患者さんも彼女に見習って、ぜひ「癌を増大・進行させてしまう肉製品と乳製品」を『禁肉』『禁乳』されてください。
土佐清水病院院長である「丹羽耕三」博士は「肉製品と乳製品の栄養は癌細胞の栄養になり、魚介食の栄養は正常細胞の栄養になる(参照記事)」と言われていました。著名な「チャイナ・スタディ-」の著者「T・コリン・キャンベル」博士(栄養学の世界的権威)も同様に「肉製品と乳製品は “癌の促進剤” である」と言われています。
今や世界中で「肉製品や乳製品を食べれば、癌をつくる原因となり、癌が増大していく原因となる」という癌研究報告が多数あるのですから、体内に癌がある癌患者さんは絶対に「肉製品と乳製品は避けたほうが無難だ!」と悟られたほうが良いです。
食事のコントロールによって体内の癌を少しでも「自然抑制する」ためにも、あの『禁チョコ』を自分に課した女の子のように、ご自分に『禁肉』『禁乳』を課されてください。
丹羽博士によると、魚介食は癌の増大・進行の原因にはならないようですから、肉食がしたい癌患者さんは「白身の魚(脂肪の少ない天然の白身魚)」や「小魚」を適量食べていれば、それで充分です。昔の日本人がそうでしたからね!
では、ここで、甲野善紀先生が以前、ツイッターで『禁糖』と「生玄米粉」について語られていた “ツイート(つぶやき)” を見てみましょう。とってもためになることをつぶやいてくださっています。
ぜひ、『禁糖』と「生玄米粉」を知る一環としてご覧になられてみてください m(__)m
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◆ 甲野善紀の禁糖まとめ
◆ 甲野善紀の禁糖まとめ(続)
● 人間には思いがけない機能や働きが隠されており、それらを全く使わないのも勿体ない話なので、
ご縁のある方は『禁糖』を実行され、
そうした、今まで触れてこられなかった潜在機能のスイッチを入れられるのも、いいかもしれない。
● 米はできれば、その一部を「生玄米を水に浸けたもの」を磨り潰し、
デンプンを吸収し難い形で摂れれば、さらに良いだろう。
● ただ、生玄米(の食事)は感覚が鋭くなり過ぎて、雑多な都会で生活していると精神的に辛くなる恐れはある。
ただ、火を通したものと併用すれば、問題はないと思う。
● 4月10日から『禁糖』を始めたから、今日で3日目だが、すでに変化が現れてきている。
まず、睡眠時間が減った。口の中がいつもより爽やか。これは、ひとつは生玄米の効果かもしれない。
● ただ、厳しくやると本当に浮世離れした人になるだろう。
何しろ、身体の快適さを追及していけばいくほど、
ゴテゴテと料理をしたものが厭(いと)わしくなってきて、シンプルなものが良くなってくるから・・・。
● しかも、そのシンプルたるや、世の常識のシンプルさとは桁が違う。
生玄米、生大豆、生胡麻、それに生野菜といった形になってくれば、
ちょっと普通の生活を送ることは難しいだろう。
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甲野先生は『禁糖』『潜在機能の開発』という理由で、生玄米食にされているようですね。
甲野先生は「浸水させて発芽させた生玄米(生発芽玄米)」を磨り潰して食べています。
甲野先生も「生玄米食」に着目して実践してくれているのは、私にとっても大変嬉しいことです。
「甲野先生も、生玄米食をやっているのかァ~」って感じですね!
甲野先生は今、古武術を活かした介護を指導されています。
身体の使い方一つで介護が楽になるというのは大変素晴らしいことです。

どんな分野にも言えることですが、「あれはあぁ~、これはこぉ~」と決め付けてしまう先入観は、とっとと自分の意識の中から取り除いてしまったほうが良いと思います。この意識は本物と出会う時の障害になるだけで、ほとんど意味を成しません。
世間の先入観に流されて「米は炊いてから食うもの」と決め付けてしまうと、その先入観が邪魔をして「玄米の生食の価値(生玄米粉食・生発芽玄米粉食)」への理解に進めなくなってしまいます。
少しでも「価値ある手段」と出会うためには、そういった「無意味なる先入観」は自分の中からとっとと捨て去ってしまい、まだ自分が知らない(自分がたどり着いていない)『本物との出会い』を最優先にされてください m(__)m
「生玄米粉」につきましては、次のカテゴリを参照されてみてください m(__)m
●「生玄米粉食(生玄米食)」カテゴリ
●「発芽玄米(浸水生発芽玄米)」カテゴリ
「生玄米粉」の食事を食べるのが難しい癌患者さんは、ぜひ「玄米クリーム」を考えてみましょう!
玄米クリームは胃腸の薬にもなり、生玄米粉をものの4~5分間しか煮ていないので、生米のベータデンプンが完全にアルファデンプンになりきっていませんから、「糖質(ブドウ糖)の摂取」を抑えることができます。
「玄米クリーム」につきましては、次のカテゴリを参照されてみてください m(__)m
●「玄米クリーム(生玄米粉で作った重湯)」カテゴリ
ご自分のできるところから、少しでも「癌を自然抑制できる食事」を考えて実践していきましょう!
よろしくお願いします m(__)m
ところで、私は甲野善紀先生のことが大好きなので、もう少し語りましょう (^-^
甲野善紀という人物は、古武術を通して「人間を探求した人」です。
そのご著書に触れますと分かりますが、甲野先生は非常に『高度な哲学』を有されている方です。
甲野先生は最初、合気道から武術の道に入られました。
一般的に、武術や武道を始める人は「強くなりたい!」という願いを持って始めるものです。
あの「ブルース・リー」だって、「いじめられっこを卒業したい(強くなりたい)」という思いが、武術(詠春拳)を始めた動機だったのですね。
しかし、甲野先生が合気道を始めた動機は「人間がどういう存在なのか知りたかった」という思いからでした。
甲田光雄先生も、甲野善紀先生も、ブルース・リーも、そして、他の人物でもみなそうなんですが、何らかの “高度な境地” にたどり着いている人物は、必ず『高度な哲学』にまで達していますね。本物にたどり着ける人物は、その道に重ねて、必ず「+哲学」の要素が組み合わさっています。結構、ココは “重要なパターン” として見つめるべき視点です。
“高度な境地” へとたどり着くためには、どうしても『高度な哲学』に達した「心質」が必要なのでしょう。
その自分の「心質」が、自分の『理念』と『信念』を形成させていくのだと思います。
人間は「心で生きている存在」ですから、自分の中に確固とした『理念』と『信念』がその後の自分の歩み方にも深く影響を及ぼし、自分の「心質」の如何が自分の人生を大きく左右していくのでしょうね。
まァ~、人間は「心で生きている」のが正体ですから、「心質」の如何がが重要な役割を担っているのは言わずもがなです。
つまり、『哲学性』を無視するような人は「真実にはたどり着けない」と思われたほうが良いと私は思います。
本物になるような人物は、必ず「哲学を見つめる」というパターン(類似性)があります。
ですから、みなさんも、ぜひ『哲学家』になっちゃいましょう(笑)。
その自分の「心質」が、自分自身を『本物』『真実』と出会える縁(えにし)へと結び付けてくれるでしょう。
これが本当の『縁起(えんぎ:縁が発生して起こる)』です。
『縁起』とは、“縁起が良い品物” を置いて眺めていても無駄です。
本当の『縁起』とは、自分の「心質」の如何によって発生するものなのです。
自分の「心質」と “同類の存在” へと、自分で自分を縁(えにし)させているのが真相です。
「質の悪い心」ならば “質の悪い事象” へと、「質の高い心」ならば “質の高い事象” へと、自分の「心質」が導きます。
ここは完全に「平等」なのですね(同類引寄:類同法則:類友法則:ココ超重要!)
甲野先生は合気道が上達し、「道場の指導員になってほしい」という申し出を断り、自分が納得できる武術探究(人間探究)の道へと進まれました。
それから(確か)数年後のある日・・、(必然でしょうけれど)偶然、合気道の先生にお会いした時に、甲野先生はこのような質問を合気道の先生に投げかけました。
「先生・・、合気道では、師匠の技が上手くかからないと、
弟子に向かって “お前がちゃんとやらないから、技が上手くかからなかったんだ!” と怒りますが、
弟子が上手くやらないと技がかからないような合気道を、先生はどう思われますか?」
この質問に対して、その合気道の先生は「それはもう言わないでくれ・・」というようなことしか言えなかったのです。
合気道は、“技をかける側” と “技をかけられる側” のタイミングの取り方で、上手く技がかからない時があります。
甲野先生は合気道界で長年問題とされきたこの素朴な疑問をありのまま提示し、その合気道の先生に対して、
「合気道は、“技をかけられる側” の人が “技をかける側” の人に上手くテンポを合わせてあげないと
技が上手くかからない・・。果たして、これで武道と言えるのでしょうか・・・?」
と率直に問いかけられたのです。
これは合気道をされている方々にとっては、真面目な疑問として誰にでもあることなのですが、これについて真剣に考える人はなかなか少ないようです。なので、「合気道は実践には通用しない」とまで言われることもあり、今では「実践合気」という合気道が現われています。
私は合気道をしたことがないので想像しかできませんが、とにかく私は、甲野先生のこうした『素朴な疑問を真面目に持ち、先生に対して、その疑問を真っ向からありのまま投げかけることができる』ところが好きですね。
素朴な疑問に対して、どこまでも真面目に、どこまでも誠実に、どこまでも真剣に向き合えるところが好きです。
これは一見「何でもないこと」に見える人が多いかもしれませんが、しかし、ここにこそ、自分を世の『真実』と縁起させるための重要な「心質」が潜んでいるのです。世間には、ココが見事に抜けてしまっている人がやたらと多いです。世間の多くの人たちが、このような、物事の『本当の姿』を見つめ解くための一番「重要な部分」が欠如して抜けています。ここに、世間の多くの人たちがいまだ『真実』へとたどり着けないでいる根本的原因があるのではないかと、私には感じられます。
世間には、権力の情報操作の魔の手が深く入っている「常識(という名の非常識)」を無思考に鵜呑みにし、それがさも当前であるかのようにしか思えない人がやたらと多いです。
世間で私たちが平気で信じている物事の中には、この手の「常識(という名の非常識)」が無数に含まれています。
『本物』『真実』は、権力の情報操作によって上手く誤魔化されて闇に伏せられ、蚊帳の外に追いやられたり、潰されたり、最悪、始末されてしまう(抹殺されてしまう)こともあります。
「牛乳・乳製品の危険性」について、まだ世間が何も知らなかった頃、「牛乳・乳製品の害」に関する内容をまとめて週刊誌に掲載した、ある勇敢なジャーナリストがいました。そのジャーナリストは後日、飛び降り自殺をして亡くなりました。自殺をした動機など何もありません。なぜならば、自殺を装った他殺であるからです。牛乳・乳製品の『真実』を知られては困る権力などたくさんいます。この権力によって、そのジャーナリストは始末されてしまったのです。
(これは外国で起こったことではなく、実際に日本で起こった実話です。結構、有名な話です)
この世間のあまりの無知に対して、内海聡医師は今の日本の大人たちのことをわざと『グーミン(愚民)』と呼び、世間が『真実』に目覚めて覚醒できるように促しておられるのでしょうね。私も同感します。
当ブログサイトに来てくださる癌患者のみなさんも、日本の標準的な癌医療に対して、甲野善紀先生のような『素朴な疑問』を持てるようになられてください。きっと、自分を『癌の真実』『癌の真相』へと縁起してくれる「心質」が、自分の中に自然と育まれて来ることでしょう! その「心質」こそ、自分を「本当の癌治療」へと導くための、重要な羅針盤となるのです。
最後に「ブルース・リー」についてお話ししたいと思います。
上述しましたように、ブルース・リーは「いじめられっこ」でした(東郷平八郎もそうでしたね)。
ブルース・リーは「いじめられっこ」を卒業したい一心で一念発起し、詠春拳という武術を死ぬ気になって習いました。
やがて、ブルース・リーは強くなり、高校生になる頃には番長を張るほどになりました。
ブルース・リーは「いじめられっこ」だったので、いじめられる者の気持ちが痛いほど分かっていました。
番長でしたが自校の生徒には優しく、自校の生徒に何かあると、夢中で守り抜きました。
そのため、自校の生徒全員から『キング・ボス』と呼ばれ、愛されたそうです。
弱者の気持ち、そして、強くなった時の気持ちの両方を知っていたブルース・リーは、偏りのない強さを身に付けていたのでしょう。
ブルース・リーは香港からアメリカに渡り、武術家、哲学家として知られるようになりました。
(ブルース・リーはアメリカ生まれの香港育ちです。父親は香港の喜劇王なので、小さな頃から映画に出演していました)
そして、父親の訃報をきっかけに香港に戻り、世界的なアクションスターへの道を歩み始めます。
ブルース・リーがアメリカに渡った理由は、香港の警察から逃亡するためでした。
ブルース・リーはかなりの暴れ者だったので、警察から目を付けられていたのです。
しかし、アメリカに逃亡する時に働いた暴力沙汰も「酔っぱらったイギリス兵たちに暴力を受けそうになっていた若い香港人女性を助けるために、そのイギリス兵を叩きのめしてしまった」という事情からでした。
ブルース・リーもまた「他がために」「他者に与える」という精神を身に付けていた人物です。
まァ~、基本的に性格に問題があったそうですけれど・・、「人に大事なことを伝える」という精神は並外れた人物であったと、私は思います。
ブルース・リーが残した言葉の中に、
「常に自分自身であれ! 自分を表現せよ! 自分の中に信念を持て!」
という言葉があります。
これは「ラルフ・ウォルドー・エマソン」の、
「他人の言葉を信じるのではなく、自分が感じた思いを信ぜよ!
誰かの真似ではなく、自分の言葉を語れ!」
に通ずるものを感じます。
日本の癌医療の正体を見抜くには、この精神が必要です。
製薬業界の支配を受けた日本の医療界全体が、医療ビジネスまっしぐらの状態の中、患者は患者として自ら学び、その医療が本当に正しいものなのかの判断を下せるように成長しなければ、我が身、家族の生命を守り抜くことは難しいでしょう。