この記事は、甲田光雄先生の最後について触れている貴重な記事です。
 甲田光雄先生の近しい方々を知らないと知ることができないことです。

 甲田光雄先生に救われた難病患者さんはたくさんおられます。
 甲田光雄先生を知る方はみなさん、「甲田先生は生き仏のような方だった」と言われています。
 芸能人でも、甲田光雄先生を慕われる方が多いそうです。

 よく、こう言われる方もおられます。
 「甲田光雄先生は83歳という若さで亡くなられた・・・

 これは、私にはよく理解できない言葉です。
 甲田光雄先生があと10年長く生きていて、もし93歳あたりで亡くなられていたとしたら、【長生きの太鼓判】でも押して満足するというのでしょうか・・? その満足って、一体何なのでしょう・・・?

 私が甲田光雄先生の訃報を知った時、
 「あぁ~、甲田先生の人生の役割が、ようやく今、終わったんだなぁ~」
 と率直に感じました。
 そして「長い間、本当にお疲れ様でした。ありがとうございます m(__)m」と思いました。
 私にはそれ以外、何も感じられなかったです・・・。

 医師として、医学博士として、初めて「少食」や「断食」に科学のメスを入れ、正式に医療として活かし、多くの実績を残された甲田光雄先生は、現代医療から見放され、どうすることもできず、悩んで怯えていた多くの難病患者さんを、地道に救い続けてきました。
 甲田光雄先生が茨の道を歩み続けて残してくださったその貴重な足跡は、甲田療法に救われた多くの難病患者の方々、また、甲田療法の理解者にとっては、偉大な足跡として今も心に生き続けています。

 人間は、ただ長生きをすれば良いのではありません。
 「90年以上生きれば、何かが合格ッ~!」というわけではないのです。
 自分の人生の中で、何に気づき、何を学び、何を残したか・・、これが肝要だと思います。
 甲田光雄先生の死に様は、生菜食を長年継続することで最後にたどり着くことのできた一つの境地なのです。
 「大自然のように、自然な姿のまま、人の世を去っていきたい」という願いがあったのかもしれませんね。

 当ブログサイトには癌患者さん以外にも、甲田療法ファンの方々も来てくださることもあるでしょうから、ここでご紹介させて頂きます記事に触れることで、甲田光雄という人物が人生をかけて残してくださった甲田療法の足跡を心に思い、ご自分なりに感じられてみて頂きたいと思います m(__)m

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 西式健康法も、甲田療法も、共にまだ完成したわけではありません。
 これからもっと発展・進歩していかなければなりません。
 西式健康法や甲田療法の先生方、また、実践者の方々は、
 西勝造、甲田光雄という先生が残してくださった足跡を、これから深めて開花させていきましょう!

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 甲田光雄先生の死因について
 【「I will be right here ~ いつもここにいる。」より 】



 少食活動を広く普及していた甲田光雄医師。

 しかし、あまりにも早く亡くなってしまい、しかも、死去されたこともなかなか好評されなかったり、
 死因も伏せていたりで、結構、謎が多いのですが。

 甲田先生の近しい人に聞いた話を総合すると、甲田先生は自分の死期を悟っておられ、
 自ら死に向かっていったようですね。

 まず、外出をした時に転んで足を骨折したのがきっかけで、
だんだん体力が低下し、体が弱っていってしまったとの事。

 特に病気はなかったし、健康そのものだったけれど、足が動かないことで、体を動かすことが不自由になり、体力も気力も衰退し始めた。

 そんな矢先、記憶力もだんだん落ちてきて、年齢による衰えを感じ始めた時、ご自身で自らの死期を予知した。

 「そろそろなんだなぁ・・・」と分かったのでしょう。

 そこから甲田先生は、水も食も絶って、飲まず食わずの毎日を過ごし、その後、亡くなったそうです。

 なので、近しい方々から聞いた話を総合すると、病気ではなく、老衰+餓死みたいな感じなのかな・・ と。

 しかし、自ら水も食も完全に絶って死を迎えるなんぞ、常人にはとてもできませんよね。怖くて。

 でも、本当なら20代前半で死ぬと言われていた病弱な甲田先生が、
 83歳まで元気で生きたということはとても素晴らしいことだし、これこそ奇跡だと思います。

 何より、長年、極端な少食生活をしてましたしね。

 それを含めても、やはり83歳まで生きたというのは凄いです。

 私も病持ちで甲田療法をマイペースでやっているのですが、やはり少食生活は素晴らしいです。

 尊敬するあまり、甲田先生にはもっと長く生きてほしかったと思いますけどね。

 とても残念です。。。



 甲田光雄さんの一生を振り返りながら思うこと
 【「パルシステム・セカンドリーグ支援室ブログ」より 】



 甲田先生は少食断食健康法を徹底されました。
 1日1食、夜8:00頃に食べる以外は、生野菜ジュース&生水のみの半世紀でした。

 20代前半で余命何ヵ月とか宣告されてもへこたれないで生活改善に取り組み、西勝造さんを通じて民間療法、六大法則(西式健康法の六大法則)などを学び実践しながら、大阪八尾市で病院経営をされてきました。

 先週は追悼式、息子さん(甲田勝康医師医学博士近畿大学医学部 准教授)が実行委員長。

 そうだ。工房あかねの前島さんも甲田さんの指導で肝臓直したと言っていた。
 ぼくの親父は30代前半で胃潰瘍、神経症、仕事の失敗でやばい状況になり、西勝造の道場に通っていた。

 縁って不思議だね。
 ぼくも20代から40代に、飲み過ぎ、食い過ぎ、人間関係ストレスや政治的悩みで心身がボロボロになったこともあり、時々は彼の考え方に共鳴しはまってしまいましたが、今ではぼく流にしています。

 1頭の肉牛を育てるために必要なとうもろこしで、30人以上は食えるのではないかということや、ケージ飼いで運動不足・抗生物質づけの鶏さんたちをどう見るのかとか、野球ドーム10杯くらいのゴミの山とか、BSEとすべきなのに相変わらずマッド・カウ・ディジーズを平気で使っているジャパン・タイムスの記事などを読んでいますと、たくさんのやるべきことがあると思いますね。

 あきらめない、あわてない、すこしずつ、楽しみながら続けましょう。

 甲田先生の位牌を前に合掌・・・。

 ★★★ 息子さんの追悼文です。



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 寄稿「父の死に様から学ぶもの」  近畿大学医学部 准教授 甲田勝康


 「大自然のように死んでいきたい」

 それが父の願いでした。

 私が、父の学問の中で尊敬しているのは「平等の精神」を医療に持ち込んでいることです。
 父の提唱する「少食健康法」の根底には「平等の精神」があります。

 人は食物連鎖の頂点に立ち、すべての食物に生命があることを忘れてしまっています。
 食べ物が生き物であることと、それを戴く感謝の気持ちを忘れて、グルメを貪っています。

 しかし、牛も、鶏も、米も、野菜も、全ての食物は生き物です。
 「少食健康法」の根底には、全ての食物に感謝し、全ての命を無駄にしないで戴くという「平等の精神」があります。

 現在、世界の食糧生産量に限界が見えてきました。
 そんな中、経済的に余裕のある国では様々な食糧があふれ、過食や肥満による疾病が増加しています。

 WHO の推計によると、約8億人がこれに当たります。
 逆に、FAO の推計では、7億5000万人が社会経済的理由で飢餓に苦しんでいます。
 何と不平等な事でしょう。
 父はこの解決策として「少食の思想」を提唱してきました。

 幼少期から大食であった父は大病を繰り返し、学生時代には入院している大学病院の主治医から「こんなところに入院していても無駄だから、早く家に帰って養生しなさい」と見放されました。
 そんな中、民間療法の断食と出会い、50年も寿命を延ばすことができました。
 この断食や少食を実践し続けていく中で、食物に対する「愛と慈悲」、つまり「平等の精神」に到達したわけです。

 先進国では、医療費が国家財政を圧迫しています。
 高度先進医療が進むと、医療費の負担が増えるからです。
 一方で、多くの発展途上国では、満足な医療を受ける事ができない人がたくさんいます。
 なんと「不平等な医療」でしょうか。

 父は「自然医療」を推進しようと尽力してきました。
 「自然医療」にかかる費用は僅かです。
 多くの人が受ける事のできる医療です。

 そんな信念から、父は現代の常識的に行われているような検査や治療を全く受ける事無しに死んでいきました。
 まさに、大自然のように死んでいったのです。

 死を迎える直前、父はご縁のあった皆様に感謝しておりました。
 父にかわって御礼申し上げます。



    平成20年9月19日



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