サイードバーのリンクの『ゆっくり自然に生きよう!(癌があってもいいじゃないか^^)(元気親父さん)』ブログ・『「がん」と仲良く暮らす(自然のままに^^))』ブログの「げんき親父」さんが2月27日に急逝されました。

 ここのところ頑張って記事を作成していまして、一段落して落ち着きましたので、数日ぶりにブログのほうへ行きましたら、げんき親父さんの娘さんの「ゆきこ」さんがお父様の亡くなられた当日にご報告してくださっていました(こちらです)。

 げんき親父さんのご家族の皆様に、心よりお悔やみ申し上げます m(__)m
 そして、おつらいでしょうに、当日にご丁寧にご報告してくださったゆきこさんに、本当に感謝申し上げます m(__)m

 私はげんき親父さんの急逝に驚きまして、少し落ち着いたので、今、こうして書いています。

 げんき親父さんは当ブログサイトのリンクを張ってくだされていましたので、当ブログサイトに来てくださる方々も、げんき親父さんをご存知な方が多いかもしれませんね。

 私は、げんき親父さんとは以前の食養サイトの時に知り合わせて頂きました。

 げんき親父さんは膵臓癌の手術をされてから色々と癌のことを調べられていた時に、私の以前の食養サイトに来てくださり、そこではじめて食の重要性を知るきっかけとなった、と言ってくださいました。

 げんき親父さんが生と死の狭間で必死に生きることの意味を探し求められて、命の尊さ、感謝の尊さに進まれて行かれる姿に、私も励まされていました。

 げんき親父さんは、同じ膵臓癌で不安になられている方々をはじめ、多くの癌患者さんの心の支えとなり、癌患者さんを励まされ、勇気づけられ、ご自身ではとにかく「生きることの意味」「死ぬことの意味」を必死に見つめられ、ご自身の癌を通して貴い死生観へと進まれたようです。

 げんき親父さんは、私の父とほぼ同年代です。

 ですから、叔父を失ったような気持ちになっています・・・。

 げんき親父さんはご自分の癌治療に対して「何もしない」と言われていました。

 抗がん剤や放射線の実態をよくご存じであられたげんき親父さんは、当然、抗がん剤も放射線もされていませんでした。
 それは、私も賛成します。

 しかし、残念なことに、げんき親父さんは食養の大切さ、癌と食事に関係のあることをよくご存じであられたはずなのに、げんき親父さんはほとんど食養を実践されていなかったご様子でした。

 昨年は、土鍋で玄米ご飯を炊いて食べたり、ジューサーを購入されて生野菜ジュースを手作りされていたものの、あまり続いていなかったご様子でした。

 そして、食べることが大好きなようで、どこどこに行った時に美味しい料理を食べたとか、美味しい獣肉料理を食べたとか、甘い餡蜜のようなものを食べたとか、写真付きでブログでご報告されていました。

 私は癌と食事について知っている身ですから、そういう時にはいつも、

「げんき親父さん、本当は癌患者がそんなもの食べたらいけないんだよ・・、危険なんだよ・・・。
 手術後は必死になって、食養で癌体質を改善しなきゃ・・。
 癌は気を抜いたら、いつまた癌が再発するか分からないんだよ・・・。
 体力があるうちに、食養をするべきなのに・・・」


 と、かなり心配になるところがありました。

 げんき親父さんは、どうしても現代食を止めきれなかったご様子でした。

 でも、食養のことは知っているげんき親父さんであり、ご自分の癌治療を「何もしない」とご自分で決めておられたので、それもげんき親父さんの選択された道だったのかもしれません。

 そして、昨年の後半に急に様態が悪化されて、入院をされました。

 当人のげんき親父さんも「こうなるとは思わなかった」と言われていました。

 しかし、それが「癌」という生き物なのです。

 癌患者さんは忘れてはなりません。

 癌は、病気というよりかは『生き物』なのです。

 癌は生きている細胞です。紛れもなく生き物です。

 その癌という生き物を育てるのも、追い込むのも、ご自分が日々している食事の在り方次第で決まります。

 甲田光雄先生のお弟子さんも、様々な食事療法の医学博士や医師の諸先生方も、みなさん口を揃えて「癌は食事療法が基本」と言われるのはこのためです。

 私がなぜ、分からんチンな父に怒鳴ってまでして、食養(玄米食生菜食が中心の食事週末一日断食)を焦るように父に課してきたのか・・。それは、現代食をしているうちは、癌はいつブリッ返して勢力を増してくるか分からないからです。癌は絶対に油断してはならないのです。

 げんき親父さんは、やはり、そこまでは気づけなかったのかもしれません。

 私が一番心配しましたのは、げんき親父さんが入院してからです。

 入院をしてから、毎日、散々、栄養点滴をされていました。

 それは、げんき親父さんが「食事が取れなくなっていた」からです。

 急に「食事が取れなくなった」というのは、体が『もう食べるな!』と言っているんですね。

 現代食のような欧米食や甘いものを食べると、血液が汚れます。

 げんき親父さんもご理解されていたようですが、癌は浄血装置でもありますから、血液の汚れが進めば癌は進行します。

 現代食や甘いものを食べ続ければ血液はさらに汚れる一方となるため、癌がますます進行してしまい、もう癌が限界に達し、これ以上食べて癌が進行すると、もはや命の危険に陥る状態にまで進んだ時に、体は自然と「食べられなくする」ことで、癌の進行を抑制しようとするのです。

 そして、この時には『悪液質』と呼ばれるものが出ています。

 この悪液質は、食事が取れなくなった時に出るものです。

 現代医学は「悪液」などと呼ぶので一般的には「悪いもの」と思われがちですが、この悪液質は「癌の進行を抑制している」働きをしていることが医学的に分かっています。

 つまり、食べれば癌が進行してしまうため、これ以上、癌を進行させないためにも、体は自然と「食事が食べられない」状態にさせて、同時に悪液質を出して癌の抑制に努める、という連携反応を取るのです。体はこのように連携して働き、自然と癌の進行を阻止しようと働くのです。

 そのような状態で入院されたげんき親父さんに対して、病院の医者は何と『栄養点滴』を散々投与してしまいました。

 この栄養点滴には当然、ブドウ糖が入っています。

 ブドウ糖は「癌の最大のエサ」なのですから、このブドウ糖の入っている栄養点滴をたくさん投与してしまったら、一体どうなるでしょうか?

 癌がますます進行することになるのです。

 ブドウ糖の入っている栄養点滴を投与すれば、確かに体は楽にはなるでしょう。

 しかし、体が楽になるということは、どういうことだか分かりますか?

 癌細胞も楽になっているのです。

 癌細胞が楽になるということは、一体どういうことでしょうか?

 それだけ、癌に「進行させる力」を与えていることになるのです。
 癌の増殖を後押しすることになります。

 つまり、癌が進行して食事が取れなくなっている癌患者さんの体に、ブドウ糖の含まれている栄養点滴を散々投与してしまうということは、それだけ癌の進行に加担してしまう、癌の増殖を手助けしてしまうことになるわけです。

 私は、癌患者に対する「ブドウ糖入りの栄養点滴」の投与については、まったく理解できません。

 必ず癌を悪化させ、癌をさらに進行させてしまい、患者の命を危険な状態へと陥れることになるからです。

 「ガンの最大のエサは「ブドウ糖」である!【糖質制限食のススメ】」の最後のほうでお話ししましたように、私の恩師のM先生は散々抗がん剤治療を受け続けて末期癌まで進み、余命一年を言い渡されて、すぐにご自分で安心して最期を迎えられる癌専門病院に入院しましたが、その癌専門病院に入院した途端に、強引に病院食を食わされ、それが食べられないと嘆くM先生に対して、病院はすぐさま栄養点滴を散々投与してしまったようです。

 M先生は癌専門病院に入院したことで、入院してからわずか2~3ヵ月で亡くなられてしまいました。

 余命一年であったはずのM先生の寿命は大幅に削られ、余命三ヵ月になってしまったのです。

 この「癌患者に対するブドウ糖入りの栄養点滴の問題」は、本当に深刻なのです。

 「何も食べられなくなっている末期癌患者に栄養点滴をすれば、さらに癌を増殖させてしまう」にありますように、癌患者に栄養点滴を投与しない医師もいます。これが正しいのです。癌とブドウ糖の関係を理解している医師であれば、ブドウ糖の入った栄養点滴を投与すれば、ますます癌を進行させてしまうことになるので、そのような栄養点滴の投与などは絶対にできないはずなのです。

 私はこの栄養点滴については、「末期癌患者への「ブドウ糖点滴」は、殺人医療行為になってしまう! 妥協策としての「生玄米粉 団子」」や、「ブドウ糖を摂取すれば、癌を育てて進行させる原因になることを忘れてはならない!【ブドウ糖点滴:ノンカーボ栄養療法:森美智代:宿便:他・・・】」にて、私の考えを書いたりしました。

 癌患者さんは「栄養点滴を投与すれば、体は楽になっても、確実に癌は進行する」という事実を忘れてはなりません。

 医者がこういう医療ミスを平気で犯すのですから、癌患者さんはご自分で身を守らねばなりません。

 だからこそ・・、だからこそ、ご自分の癌をそこまで進ませないためにも、体力のあるうちに、自ら進んで食養に手を出して、全力で癌体質を改善していかねばならないのです。癌は部分病なのではなく、癌はあくまで全身病(癌体質が癌の正体)なのですから。

 私の知る限り、癌をキチンと克服されている元癌患者さんは、みなさん、食養、自然療法(食事療法少食療法断食療法飲尿療法など)にしっかりと手を出した方々ばかりです。

 食養、自然療法に手を出さなかった癌患者さんは、悲しい結果を迎えてしまうことが本当に多いです。

 癌と食事には密接な関係があること、癌は食原病でもあること、つまり、癌の原因が「食に関わること」にあるわけですから、食に関わる『食事療法(食べる方向性)』と『少食療法・断食療法(食べない方向性)』を駆使した治療を基本に置かないと、なかなか癌体質は改善できない・・、つまり、癌は克服できないのです。

 癌は免疫能力にも関わっているわけですから、ご自分の免疫能力を向上させるためにも、『食事療法(食べる方向性)』と『少食療法・断食療法(食べない方向性)』が功を成してくれるのです。

 また、『飲尿療法』による「自己免疫の改善と強化(癌免疫の改善と強化)」を活かすことも、重要な『癌治療の母体』のひとつとなります。

 ゆえに私は、癌治療においては『食事療法』『少食療法』『断食療法』『飲尿療法』の4つを重要な『癌治療の4柱』として位置付けています。どれも特別にお金などかかりません。この4つを『癌治療の基本・土台・母体』に置き、ご自身の癌体質を全力で改善していくことこそが、安全に癌を改善して生還するための唯一無二なる道筋なのです。

 げんき親父さんは食養の価値を理解していたはずだったのに、最後まで食養に手を出しきれなかったため、食事が食べられなくなるところまで進んで行ってしまったのだと思います。

 とても残念です。

 でも、げんき親父さんが退院されて、これから少しずつ回復されていくだろうと思っていた矢先、げんき親父さんの様態が急変されて亡くなられてしまいました。

 それが、膵臓癌の手術の後遺症が原因なのか、ブドウ糖入りの栄養点滴を散々投与されてしまったことが原因なのか、私にははっきりとは分かりません。

 本当は、このようなことを今さら書くべきではないと私は思いました。

 しかし、げんき親父さんの「闘癌の足跡」を私なりに残したいと思い、このようなことは私のような奴でなければ、なかなか書けないので、当ブログサイトに来てくださる癌患者さんに、また、げんき親父さんをご存知な方々に、げんき親父さんの「闘癌の足跡」から何か大事なことに気づかれてほしいと願って、あえて私は、このようなことを書かさせて頂きました。

 もし、不愉快に思われる方がおられましたなら、本当に申し訳ありません m(__)m

 私なりの、げんき親父さんへの感謝なんです。

 げんき親父さんは亡くなる前日、「感謝や「心」を伝えることは難しい(≧ω≦)b」という、このような記事を書かれておられました。

 「昨日は暖かい1日で気持ちが良かった (^O^)

  久しぶりのお風呂にも入れていただきます、感激しました。

  お風呂担当の介護師さんにも「言霊御守り」をお礼に差し上げた。

  看護師さんや介護師さん、先生にお礼を差し上げるのも大変です!

  もちろん金品を禁止している病院が普通だが、感謝心や気持ちを伝えることも誤解を生じることが多い。

  お風呂担当の介護師さんも最初は固辞していたが、最後は受けていただけました。(*^_^*)良かった。

  『やる気』も継続中です! うっしっし 手(チョキ)


 ご存知の方は知っておられると思いますが、げんき親父さんは『感謝』を大事にされるようになられていました。

 とにかく、感謝の想いをご自分の周りの方々に届けることに夢中になられておられました。

 げんき親父さんは癌を通して、必死に死生観を見つめ、最後には「感謝の偉大さ」を知る境涯へと達しておられたように思います。

 「人生の最後を感謝で終える」ということができる方は、本当に本当に少ないんです。

 私はこのような話を聞いたことがあります。

 あるお坊さんが言われたそうです。


 「人生で味わう喜び、悲しみ、楽しみ、苦しみ、人生の喜怒哀楽、

  そのすべては、所詮、感謝に気づくための方便に過ぎない。」


 この言葉は、
 
 「人間の人生で起こる喜怒哀楽は、嬉しいことも、悲しいことも、楽しいことも、苦しいことも、

  そのすべては『感謝に気づくため』にあるだけだ。

  人生の喜怒哀楽のすべては、所詮、感謝に気づくための方便に過ぎないんだよ。」


 という意味ですが、私はこれが人間人生の意義の真相だと思っています。

 なぜ、人間として自分はこの人間界に生まれ来たのか・・・。

 その答えのひとつが「感謝に気づくため」にあると思うのです。

 そのような認識のある私にとって、げんき親父さんが人生の最後にたどり着いた感謝という境地・・、ここに人生の深い尊さを感じずにはおれません。

 げんき親父さんは「感謝の偉大さ」に気づき、そして、自らの意思で、損得勘定の一切ない心境で、お世話になった人たちに大切な想いを「伝える(与える)」ことの大切さに到達されていたのだと思います。

 もしかしたら、げんき親父さんは、食養を選択して寿命を延ばすことを選ぶよりも、感謝を悟るための道筋を無意識下で選ばれていたのかもしれません。

 私には、そう感じられました。


 げんき親父さん、本当にお疲れ様でした。

 ご冥福をお祈りいたします m(__)m

 げんき親父さんは霊的なこともご存知でしたから、「人間には死がない」という真相を、今、目前にされて驚かれているでしょうね!

 49日間、ゆっくりと休まれてくださいね。

 そして、また、歩み出さなければなりません。

 たんたんと、心の生命を生き続けなければなりません。

 げんき親父さんがこの人間界で会得された心、想い、知識、知恵、そのすべてを背負って、

 また、新たな生命を生き続けるんですよね。

 げんき親父さんならば早く目が覚めて、すぐに身動きがとれることでしょう。

 ご家族のことも守れるでしょう。

 今少し、49日間のバルドゥー期をゆっくりと休まれて、本当の『自由自在なげんき親父』となって、

 ご家族や、縁(えにし)あられた友人知人の方々を支えてあげてください。

 よろしくお願いします m(__)m

 げんき親父さん、本当にありがとうございました (^-^