我々は、どのくらい食べるべきなのか? 《少食のすすめ》
 【「★阿修羅♪」
より 】


  食べるべき量の目安

 食べる量も、食事法の中で重要な位置を占めています。食物の内容が良くても量が多過ぎれば、体に良くありません。常に適量を知り、それに満足することがとても大切です。では、その「適量」を、私たちはどうやって知るのでしょうか? どこにその目安があるのでしょうか?

 「どのくらいの量を食べるべきか?」の客観的目安になるものに、国が定める日本人の栄養所要量があります。これは、性別、年代別、活動量別に必要とされる熱量と栄養素量が定められたもので、栄養士が献立を立てるさいの指針になっています。例えば、20歳代の女性で活動量が軽度に分類された場合、一日に1800 kcal 必要ということになり、この数値に合うように、各食品のカロリー計算がなされ、献立が組み立てられます。

 栄養所要量は、数値によって食べる量をコントロールしようとするさいの指針です。数値があることは分かりやすくて良いのですが、しかし問題もあります。まず、一個人の必要量を性別、年代別、活動別だけでひとくくりに決められないことです。食べるべき適量は、一人一人違います。その個人の違いに、この方法では対応できません。また、数値そのものの根拠もはっきりしません。

 別の観点から、もう一つ別の目安に、「腹八分目」があります。これは、食べるべき適量を主観的に示しています。「満腹にしてはいけない」「腹八分目にせよ」というのが、その教えです。しかし、これは個人の主観に頼る方法であるので、その人の「八分目の感覚」がアテにならない場合があります。例えば、慢性的な過食傾向にある人にとっての腹八分目は、満腹であるかもしれません。



  満たすこと」と「足りること」

 栄養所要量は客観的、腹八分目は主観的な食べる量の目安です。また、栄養所要量の方は必要量を満たすことに重きが置かれているのに対して、腹八分目の方は「足るを知る」ことを説いています。「どれくらい食べるべきか?」というときに、前者の考えに従えば、欠乏を避け、満たされた状態を追求することになります。後者の考えでは、飽食を避け、少し足りないくらいを良しとします。このように、この二つは考え方が対照的です。

 このように食べる量に関して、近代日本ではおよそ第二次世界大戦をはさんで、「足りる」から「満たす」ことへ、発想が逆転したかのようです。それ以前の、例えば明治や大正生まれの祖父母は、「腹八分目」とよく言いました。一方戦後は、栄養を取ることが強調され、健康優良児などといって大きいことがもてはやされました。その頃の親は、我が子が小食であれば嘆いたものです。子どもたちは、とにかく給食を残すこともできず、「たくさん食べろ」と言われて育ちました。



  少食という「適量」

 マクロビオティック食事法では、「腹八分目」を適量としています。さらには「少食」を勧めています。「日本の伝統的な教え」では、必ずそうなります。自給自足が原則である社会では食料を分け合わねばなりませんから飽食などもってのほかであり、少食が良しとされたのも当然です。しかし、歴史上の人物の食生活などを見ていると、「腹八分目の教え」の背景には、それ以外に理由があったと思われる節があります。

「少食の達人」とも言うべき歴史上の人物が、数多く存在します。彼らの中には食べようと思えば食べられた身分であったにもかかわらず、あえて少食をつらぬく者も少なからずいました。例えば、権力者の中で「少食」「粗食」を実践していたことで有名なのは、徳川家康です。戦国時代、すでに白米は登場しており、庶民にはほど遠くても身分の高い者は口にすることができたにもかかわらず、徳川家康は決して白米を食べようとしませんでした。日常食は麦飯と、野菜、小魚のおかずの「一汁一菜」でした。同じ時期、戦国武将の中でも武田信玄、上杉謙信らもまた、食を慎んだことで知られています。藩の財政再建に貢献した上杉鷹山は、一日三食「一汁一菜」かそれより少ない粥と漬物という食事を、生涯にわたって続けました。徳川光圀の食事は、ほとんどが「一汁ニ菜」で、たまに「一汁三菜」。八代将軍徳川吉宗は、一日二食の「一汁三菜」。ここにあげた人物たちは、少食だったからといって短命だったかというと決してそうではありません。武士階級は質素を旨にしていたとはいえ、彼らが自ら少食を選んで実践するには、何か意図するところがあったのでしょう。



  水野南北の少食観

 江戸時代に活躍した観相家、水野南北(1757~1835年)は、少食を実践しつつ、少食を健康と運命開運法に結び付け、理論を確立しました。彼の運命は、まさに食によって改善された格好の見本のようです。熊太こと水野南北は、孤児でやくざな前科者。ある日人相見から、あと一年の命であると言われ、難を逃れるために仏門に入らんと寺の門を叩くのですが、相手にされません。その時住職から、麦と大豆だけの食事を一年間続けられたら寺に入れてやると言われてそれを実行し、一年後、再び人相見のところへ行きます。すると、食を慎むという徳を積んだおかげで命の危険が去った、とのこと。こうして、食事と人の運命に開眼した南北は、観相家になる決心をします。「食が運命を左右する」という彼の信念は、伊勢神宮での断食修行中に神より啓示されたものといわれていますが、それ以来、南北は食を慎み、元々貧相で短命であった自らの運命を変え、病気や災難にも遭わず78歳まで生き、財も残しました。生涯を通じて彼が食べていたものは、一日に一合半の麦飯の「一汁一菜」のみで、米は食べなかったといいます。

 南北の説く運命開運の鍵は、「少食」と「粗食」です。なぜなら、人には「生涯に許された食物の量」が決まっており、これを貪り食えば命を短くし運命は凶へと流れるが、食を慎み小食にすれば、命長らえ運命も吉に転ずるから、といいます。南北の説く「食と運命」の関係は、だいたい次のとおりです。
「少食を守る者は、人相が不吉でも運勢は吉で長命の傾向。大食する者は、人相が吉でも運勢は凶になりがち。少食の者は、生命が尽きても食が尽きないので、死病の苦しみがなく自然に死ぬ。大食の者は、天与の食が尽きても生命が尽きないので、食べることのできない状態で長患いして死ぬ。人品の良しあしは、飲食を慎み少食するかしないかで決まる。」・・・ 云々。



  食物の摂取量をめぐる法則

「食べる量は少なめが良い」というのはなぜか? 別の観点からその理由を探ってみましょう。まず、広い意味で食物には2種類あります。ひとつは目に見える物質的な食物と、もうひとつは目に見えない非物質的な食物です。非物質的な食物とは、光線、放射線、波動といった目に見えないけれど私たちが取り入れているものを指します。

 物質的な食物と非物質的な食物は、量的に補い合う関係にあります。すなわち、物質的な食物を多く取ると非物質的な食物は少なくなり、非物質的な食物を多く取ると物質的な食物は少なくて済みます。また、物質的な食物の摂取量が増えれば増えるほど、空気の摂取量も増えるので、呼吸も大きくなります。

 このことから、食べる量が少なければ 呼吸が落ち着き、より精神的な傾向を高めることができます。反対に食べる量が多ければ 呼吸が荒くなり、より物質的な傾向が強まります。人は食べる量をコントロールすることで、精神的に活発になるか肉体的に活発になるかを、ある程度意のままにすることができるのです。少食が奨励されるのは、多分に「精神的な傾向を重んじてのこと」でした。

 このように見てきますと、「食べるべき適量」というのは「あってなきが如きもの」という感じがします。「少なくても足りる」と決心して実行すれば、案外 病気にもならず、長生きもできそうです。しかし、過食は体に良くありません。現在、日本は国全体が飽食をしているかのようです。このような状態の中では、過食することは簡単にできても、食べる量を少なく保つことはとても難しいといわねばなりません。
 とりあえずは、「腹八分目の適量を守ることが、食べるべき量の目安」ということでしょう。