「夢をかなえる「そうじ力」【舛田光洋さんの「そうじ力」に重ね見る、陰陽の食養力】」にて、舛田さんの「そうじ力」の記事をご紹介させて頂きましたが、舛田さんの「プラスを引き寄せるそうじ力」で重要なのが『感謝』です。

 舛田さんは「人生カンタンリセット! 夢をかなえる「そうじ力」」で、感謝を伝える『ありがとう』という言葉について、このように言われています。



 自動的にあなたを成功へと導く「感謝の磁場」

 このそうじ力には、用意するものが2つあります。
 ひとつは、感謝をあらわす「ありがとう」という言葉
 もうひとつは、そうじで必ず使うもの「ぞうきん」を用意してください。
 これだけです。いたってシンプルですね。

 「ありがとう」の言葉には、重要な意味があります。
 「ありがとう」とは、「有り難し」が語源で、「ありえないことが起こった!」という奇跡の実感が元になっています。

 本来、「仏」や「神」である自分を超えた存在に対して、「今日も私に生命をお与えくださって本当にありがとうございます」という、日々の感謝をあらわす言葉なのです。
 それと同時に、他の人に対しては「あなたが存在してくれて本当にうれしいです」という、その人を認め、尊敬する言葉にもなるのです。

 この「生かされている」ということを「感謝」として表現した言葉。
 それが「有り難きことでございます」=「ありがとうございます」なのです。
 宇宙の繁栄のエネルギーと接続するのにはぴったりの呪文ですね。

 この、「ありがとう」という言葉を用いてつくる感謝の磁場を「ありがとう空間」と名付けました。
 それでは、あなたの部屋に夢をかなえ成功へと導く、ありがとう空間をつくっていきましょう。

 (P106~107



 舛田さんがここで語られている「ありがとう」という言葉の意味は、非常に重要だと思います。もともと「ありがとう」という言葉には、人間を超えた存在に対する『生命への感謝生かされていることへの感謝)』が含まれているのです。今、私たち地球の人類は、「人間は、人間を超えた存在たちによって生かされている」という事実に気づき、これをよく悟り得て行かなければならない時節に入っています(特に地球への感謝が必要です。人類がこれ以上、地球を破壊して行けば、人類は自ずと消え失せる日が来るでしょう)。物質文明の狂気から精神文明へとシフトして行かなければ、地球の人類は自ずと滅んで行く結末をたどる事になるような気がします。地球の人類が滅べる要素など、すでに地球上に揃っているのです。各国の軍部は2013年に入ってから「第三次世界大戦」という言葉を発し始めています。私たち日本人はこういう意識が薄いかもしれませんが、世界には「第三次世界大戦へと進んで行く懸念」が確実に表面化しつつあるのかもしれません・・・。


 私は数年前、お年寄りの男性画家(お爺ちゃん画家)の死去を報じていたNHKの特集番組を視ました。そのお爺ちゃん画家は太平洋戦争を経験しており、太平洋戦争の事が忘れられず、様々な戦争の絵ばかりを描いていたそうです。番組でもその絵が紹介されていましたが、戦争で死に行く人々の無念さを強烈なタッチで描かれていまして、私はその絵を見て「ゾッ」とするような思いだけが残りました・・・。(私は日本が高度経済成長をしきったあとに生まれましたので、)高度経済成長すら経験した事がない私のような若僧には、戦争の恐ろしさは、やはり経験的には分かりません。そのような若僧の私にも、そのお爺ちゃん画家の描かれた「戦争画」たちは「戦争のおぞましさ」を真っ直ぐに理解させる事のできる力に溢れていました。まさに、そのお爺ちゃん画家の「戦争経験」と「真の平和を渇望する想い」が描かせていた「戦争画」だと感じました。
このお爺ちゃん画家が誰だかは覚えていませんが、たぶん有名な画家だと思います。NHKのニュースで死去が報じられたくらいですから・・・

 そのお爺ちゃん画家は過去のインタビュー映像で、戦争によって引き起こされる惨さや悲しみを語られ、「戦争は絶対に起こしてはならない!」と真剣に訴えられていました。そして、今も地球上で戦争が絶えない現実を嘆かれていました。

 そのお爺ちゃん画家はインタビューの最後で、このように言われたのです。

 「私たち人間は、生かされていることを忘れている。
  生かされている感謝を持たなければ、戦争はなくならない・・・。」


 私は、本当にその通りだと思いました。このお爺ちゃん画家は、戦争に苦しむ人々の絵を長年描き続けて、最後に「生かされていることへの感謝」の大切さに気づかれたのです。「生かされていることへの感謝」と言われても、忙しい社会生活を送る私たちにはなかなか気づけなくなってしまった(思う心すら生まれなくなってしまったほど)難しい感情になってしまっているのかもしれません・・・。


 「人智を超えた生命への感謝とは一体、何だろうか・・」と感じていた時期に、私はサイドバーにリンクさせて頂いています『伊勢-白山 道』ブログに出会いました。世間では『伊勢-白山 道』を非難している方々も多いそうですが、霊学をかじっていた私からしますと、『伊勢-白山 道』は簡単に非難して軽視できるようなチンケな内容にはとても思えませんでした。世間によくあるスピリチュアル関係のものには “お花畑” のような内容(スピリチュアル・ゴッコ)のものが非常に多いのですが、『伊勢-白山 道』のブログ管理人である「リーマンさん」は “霊的な専門家” として、霊的な内容(霊学)をより実質的に深く伝えてくれていました。

 そのリーマンさんが『伊勢-白山 道』ブログで常に積極的に伝えられていたのが『生かして頂いて ありがとう御座いますいかしていただいて ありがとうございます)』という「感謝の言霊コトダマ)」でした。私は「人間はこの世から生かされている」という事実を感じて意識していた時期だったので、リーマンさんの伝えられる霊的な内容に重ねて、その『生かして頂いて ありがとう御座います』という言霊に対して素直に共感できたのです。ましてや、リーマンさんの語られる霊的な内容は何も特別めいているわけではなく、昔の日本人の日常生活の中に深く深く根付いていた『自然崇拝(敬神)』と『先祖供養(崇祖)』を振り返らせてくれるような内容でした。これは「日本人の霊的な復帰」と言えるでしょう。現代の日本人がなぜか忘却してしまった大事な内容です。世間では『自然崇拝(敬神)』と『先祖供養(崇祖)』を宗教と混同している方々も非常に多いのですが、『自然崇拝(敬神)』と『先祖供養(崇祖)』とは本来、宗教とは関係なく、人間生命を学び得るための重要な(行為を通して体得する)心なのです。
この『自然崇拝(敬神)』と『先祖供養(崇祖)』は、昔の日本人には当然至極の「当たり前」に根付いていた心です


 この事につきまして、私は以前、BBSにて、『ゆっくり自然に生きよう!(癌があってもいいじゃないか^^)』(サイドバーの「癌患者さんのブログ リンク集」にリンクさせて頂いています)の「元気親父さん」のブログ記事の内容で、このようなお話しをさせて頂いた事がありました。(読みやすくするために校正しています




 元気親父さんが「ゆっくり自然に生きよう!(癌があってもいいじゃないか^^)」ブログにて、11月14日の記事で癌についての面白い内容を挙げられていましたので、ここでご紹介させてください m(__)m


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好きなことに没頭する!!

 癌は、過度のストレスが続いて発症するという。しかし、がんになった人は得てして “ストレスを感じていなかった” という場合もある。ガンになりやすい性格として、我慢強い、忍耐強いなどの性格があるのは、ストレスを感じないほど我慢し続けていたということも言えると思う。

 『サイモントン療法』の本の中に1971年に、サイモントン博士が初めて心理的介入を行って治療をしたエドワード・マックレーンさんの事例が載っていた。末期ガンで医学的には何もなすすべがないこの患者さんは固形物を食べられない、自分自身の唾液を飲み込むのがやっと・・・という病状だった。
サイモントン療法http://seitenno-hekireki.seesaa.net/article/291491195.html

 サイモントン博士は、この患者の大好きだった「釣り」の趣味に着眼して、外出ができない彼に毎日大好きな釣りに行った時のイメージをベットの中で描くように勧めました。マックレーンさんは、毎日1日中でも釣りに行けて、しかも実際行った時より大きな魚が釣れるので、その喜びに没頭したそうです。

 その結果、その喜びのエネルギーが「癒しの力」となって、全身にみなぎり、ガンをどんどん小さくして行ったそうです・・。この話を信じるか否かは、人それぞれですが「イメージの持つ力」が治癒に良い結果を与えることは間違いがないと思います!!”病は気から”という言葉があるぐらいですから^^

 癌になったら、患者としては家族や職場に迷惑をかけられない・・、早く良くならなくては・・と考えるのが普通です。しかし、早くよくなるには、良い意味で自己中心的で、好きなこと、心地よいことに没頭する~ということで良いのではないかと思います。

 それまでの我慢がストレスになっていたこともあるでしょう! 好きなことを気ままにさせてもらう^^、その姿勢で良いのではないかと思います・・・。そして、本当に病気が回復した時には、それまで支てくれた方たちに、本当のお礼ができるわけですから^^。

 病気の時ぐらい、我慢せずに「自己中心」で行きたいと思います^^~~!!



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 私はこのBBSで「癌とストレス」の話をしました。その中では、私は「癌の原因をストレスだけに押し付けてはいけない」とお話しました。これは、元気親父さんの上記の内容を否定するかのように思われるかもしれませんが、決してそうではありません。
 「ストレスが癌の原因の一つになっている」のは確かだと思いますが、それだけを言ってしまうと、癌になるその他の大きな諸原因に対して、世間の人は盲目に陥ってしまうことも多いのです。

 私としては、やはり「ストレスが云々カンヌン・・」と言う前に、その他の大きな「癌になる諸原因」をしっかりと見つめていかなければ、癌患者の激増化にストップをかけられないはずだと思っています。私は、ストレスよりも、ストレス以外の「その他の諸原因」のほうが、現代人を異常なまでに癌化させている根本原因であると捉えています。たぶん、元気親父さんにもご理解を頂けると思います m(__)m

 でも、本当にお話したいのは上記の記事の中にあります次の内容です。


「その結果、その喜びのエネルギーが『癒しの力』となって、全身にみなぎり、ガンをどんどん小さくして行ったそうです・・。この話を信じるか否かは、人それぞれですが『イメージの持つ力』が治癒に良い結果を与えることは間違いがないと思います!!」


 これは、私は事実だと思います。私も霊学をかじってきた者ですから、この手の話はよく聞きました。これを甲田光雄先生の言葉で表現しますと、「心の宿便まで排除する」ということになります。甲田光雄先生は「病気を治すためには、心の宿便まで出さなければ治らない」と言われていました。心の宿便とは「悪想念」のことであり、「不平」「不満」「恨み」「妬み」「憎しみ」「悔しみ」「悪心」などです。これを甲田光雄先生が言われていたということは、甲田光雄先生が「人の心の在り方が、いかに体に影響を与えているか」をよく存じていた証拠です。

 サイモントン博士が『病気と心理(心の動き)の関係』に注目できたのは、同様に「想念()の大切さ」に気づかれていたからだと思います。心の「悪想念」が病気をつくるのは事実だと思いますし、逆に、心の「善想念」が病気を癒すのも事実であるはずです。『ストレスが癌の原因になる』だって、「悪想念が病気をつくる」のうちですよね。ですから、その逆の「善想念が病気を癒す」だってあるはずです。

 では、『善想念って何だろう?』ということですが、これがサイモントン博士の事例では、「自分が心から喜ぶ感情(心の動き)」でした。食事療法だって「嫌々やっている」と良い結果が出ないことも多いです。やはり、何事も「好き好んでやる」のでなければ、結果も「好結果」にならないのだと思います。

 善想念とは何も「善いことだけを想え」というのではなくて、単純に「感謝」でいいと思います。昔の日本人は「何事にも感謝しなさい」と言われるお年寄りが多かったと思いますが、その「感謝」というシンプルな想念(心の動き)が、心身を癒すものだと思います。

 霊学的にも、癌については『感謝で癌を溶かす』というものがあります。

   ストレスが癌の原因になる(悪想念が病気をつくる
   感謝が癌を溶かす(善想念が体を癒す

 このように見つめれば、「感謝探しをすることは、もう立派な療法になっている」とも言えるかもしれませんね♪

 『感謝に進める大切さ』は、「甲田光雄」先生も、一番弟子である「森美智代」先生も、同じく弟子でありました「ひでちゃん」さんも説かれています。その他の医師や医学者でも、学者でも作家でも、著名な方々で『感謝の大切さ』を説かれる方はたくさんおられますよね。


 霊学の分野になりますが、私の応援しています『伊勢-白山 道』のリーマンさんなんて、「感謝」の意味を霊的に掘り下げて、たんたんと説かれています。リーマンさんは「生かされていること自体への感謝」の大切さを説かれていまして、その感謝の矛先は「太陽に、地球に、大地に、先祖に」という感じです。

 これは、明治大正期の日本人には当然至極の「当たり前の行為」でした。昔の日本人は、当たり前に自然(おひさま(太陽大地山々森林)や先祖に感謝を捧げていたと言います(今でも日本全国の各地域に残る様々な「お祭り」がありますが、この「お祭り」は「お祀り」であり、元は「神々や大地、自然への感謝の現われ」として起こったものです)。それはただ単に当たり前事でしていたのではなくて、「感謝すべきである」という事が感覚的に分かっていたからでしょうね。

 以前、NHKの番組で、「有名な画家(名前は覚えていないです)」の方が亡くなった時に、その画家さんの特集をやっていました(かなりお爺ちゃんでした)。その画家の方は「太平洋戦争」のことが忘れられずに、ずっと「戦争に苦しむ民衆」の絵を描き続けていたそうです。そして、年寄りになるまで「戦争の悲惨さ」を描き続けて、最後に見えてきたものは「私たち人間は生かされている」ということだったそうです。

 その画家の方は、

「私たち人間は生かされている。 生かされている感謝を持たなければいけない。
 そうしなければ、戦争などなくならない・・・。」


 ということを言われていました。 私は頷きながら、その言葉を聞いていました。

 『伊勢-白山 道』のリーマンさんは、『生かして頂いて ありがとう御座位いますいかしていただいて ありがとうございます)』という「感謝の言霊コトダマ)」を、太陽に、地球に、大地に、先祖に、縁ある人(家族や周りの人たち)に捧げていくこと、つまり「生かされていること自体への感謝」が大切だと言われています。これはその通りで、私たち人間は明らかに「生かされている」ようにしか私には見えません。

 サイモントン博士の事例は、明らかに「感謝」と「喜び」の大切さを教えてくれています。「感謝」と「喜び」が、すべてを癒すのでしょう。
 20世紀に破壊し尽くされた感のある「地球」にも、破壊され汚されてしまった「大地」にも、必死に生きて代(生命)をつないでくれた「先祖」にも(先祖は人としては死んでいますが、他次元の霊的生命環境で今も生きています)、育て生かしてくれた「両親」にも、共に生きてきた「周りの方々」にも、『生かして頂いて ありがとう御座位います』という感謝の気持ち(言霊)を向けて発露させることは、最も「自然な感謝」に思えましたので、私は『伊勢-白山 道』のリーマンさんの言われることに素直に同意できました。


 「感謝」という心の動き(想念霊的磁気)は、生きて様々に作用します。
 霊的には、心の動きは「磁気」なのです。

 この「人間の心の動きから発生する磁気」を、実験で確認している学者もいます。大勢のクリスチャンが一斉に祈りを捧げた時に、そのクリスチャンたちの頭上には『大きな磁気の巨大な渦』がとらえられた、という記録が残っています(当然、このようなものは世間一般には知られていません)。「感謝」や「喜び」の心の動きから発せられる磁気が、自分の体を癒すことは大いに有り得ることなのですね!

 ただ、やはり、これだけを言うのでもいけません。化学物質や化学化合物の害が「癌の激増化の根本原因になっている」のは事実ですから、表(「化学物質や化学化合物の害」の側面 )と、裏(上記の「心の在り方」の側面)と、表裏一体で見つめていってほしいと願っています。




 上述の『感謝で癌を溶かす』につきましては、「自分の思いを大切に活かす(感謝で癌を溶かす)」にてお話しさせて頂きました。私は今でも「感謝は立派な『想念療法』である」と理解しています。これは真面目な話であり、決してオカルト話をしているのではなく、スピリチュアル・ゴッコをしているわけでもなく、脳内がお花畑に咲き乱れている(実質と空論が混同して判別がつかなくなっている)わけではありません。感謝する心から発せられる磁気には、ちゃんと実質作用があるのです。この「感謝の心」から発せられる『感謝磁気』は、癌治療においても、ちゃんと「生きて作用する力」を有しています。おそらく、食養や自然療法の「人体に潜む大自然の力」を感じて理解しておられる方には、何となくでもお分かりになって頂けるはずだと思います。

 この『感謝で癌を溶かす』については、感謝が【天然癌】を応援する力となり、感謝が【化学癌】の駆除を加勢する力になる、と私は思っています。感謝は「免疫を元気にする(免疫を活性化する)」はずです。
【天然癌】と【化学癌】については、「」記事や、「【天然癌】と【化学癌】タグ」を参照してください


 ここで、こういう方がおられるかと思います。

「感謝の価値はよく分かるけれども、自分はどうも感謝を持つのが苦手なようで、どうしてよいやら分からない・・。
 感謝を持てるようになるのには、一体、どうしたらいいんだろうか・・・」


 今の日本人には、こういう方も多いかと思います。実は、私もそうでした(笑)。
 そこで、この「感謝を持てるようになるには、どうすればよいのか?」について、ちょうどよい資料があります。
 以下にご紹介させて頂きますので、ぜひご参考にされてみてください m(__)m



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太陽の神人 黒住宗忠
その超逆転発想は、激動の時代を生き抜く処方箋


山田雅晴(著) たま出版  1996年刊

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黒住宗忠 翁


「有り難い」を連続して唱える感謝の行で、潜在意識を浄化する

【質問】
 心の底から有り難いという心がどうしても起きません。
 寝ても覚めても有り難いという心境には、どうしたら進めるでしょうか?

【黒住宗忠:答】
 たとえ真似でも口先でもよいから、まず目がさめると第一に『有り難い』と言ってみることです。
 それから顔を洗うとまた、そこで『有り難い』と言う。
 次に日拝をして『有り難い』と礼拝をします。
 それから、自己の天職について手足の自由に働かれることを『有り難い』と言い、
 見るもの聞くもの何につけても、『有り難い、有り難い』と言っていれば、
 自然とお心が有り難くなってまいります。

 「真似でも口先でもよいから」と述べているところが重要である。何につけてもとにかく『有り難い』と言葉に出していると、感謝の気持ちがどんどん蓄積されていく。濁った水が入ったグラスの中にきれいな水を注いでいくと、グラスの中に入っていた汚れた水がグラスからあふれ出て、やがてグラスはきれいな水へと変わっていく。
 それと同じように、明るい感謝の思いを充満させれば、それが習慣(くせ)になる。《習慣は第二の天性》という格言があるが、その方が快感になる。いわば『有り難い』が口グセになれば、心が自然と感謝の思いに包まれるというわけである。



         太陽の神人 黒住宗忠 - その超逆転発想は、激動の時代を生き抜く処方箋



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 これは、幕末に実在した聖人「黒住宗忠くろずみむねただ)」の資料です(歴史上の人物です)。私は、黒住宗忠に関する図書は、「太陽の神人 黒住宗忠 - その超逆転発想は、激動の時代を生き抜く処方箋」と「いのちの教え - 黒住宗忠に学ぶ自然体の生き方」の2冊持っています。

 宗忠翁は「感謝」を一番大事にされていました。「感謝が持てないぃ~」という方には、上述のような実践的な指導もされています。著者の「山田敏雄」さんは、このように言われていました。

「『真似でも口先でもよいから』と述べているところが重要である。何につけてもとにかく『有り難い』と言葉に出していると、感謝の気持ちがどんどん蓄積されていく。濁った水が入ったグラスの中にきれいな水を注いでいくと、グラスの中に入っていた汚れた水がグラスからあふれ出て、やがてグラスはきれいな水へと変わっていく。
 それと同じように、明るい感謝の思いを充満させれば、それが習慣(くせ・癖)になる。《習慣は第二の天性》という格言があるが、その方が快感になる。いわば『有り難い』が口グセになれば、心が自然と感謝の思いに包まれるというわけである。」


 この「濁った水が入ったグラスの中にきれいな水を注いでいくと、グラスの中に入っていた汚れた水がグラスからあふれ出て、やがてグラスはきれいな水へと変わっていく」というのがポイントです。今までは不満ばかりであった人であっても、意識的に感謝を蓄積して行けば、不満心に満たされていた心が(上述のグラスの水のように)やがて感謝心へと置き換わって行く、という事です。

 実は、これは食養でも言えることです。現代食を止め、食事療法や少食、断食を始めて行くと、上述のグラスの水のように、汚れた体内が清まって行くのですね。真理はどれも同じで、心も体も、改善して行くためには『浄化清まる事)』が必要なのです。何事もそうですが、浄化してこそ、次のステップの『改善』に進んで行けるのですね。浄化 改善 です。


 「意識的に感謝心を蓄積していけば、不満心に満たされていた心はやがて感謝心へと置き換わって行く」というのは、霊的には「心には『上書き』できる性質がある」という事になります。

 『伊勢-白山 道』のリーマンさんは、この「心の『上書き』の性質」について、次のようにお話しされています。
 簡単に説明しますと、人間の「心の動き」である想念の正体は「霊的磁気」であり、ゆえに人間は「霊的磁気の塊」とも言え、「感謝の想い(感謝想起)による “感謝磁気” の蓄積」がこの先の自分を変えて行きます、という内容になっています。




 蓄積した霊的磁気は、あくまでも、過去の磁気だと言う事です。今から自分の思いの磁気も、同様に「上書きして蓄積できる」視点を忘れては生けません。人間は生きれば生きるほど、「他人に対して抱いた感情」が自分自身を構成して行く「自動設定の法則」が在るのです。

 今の自分は、今までに「自分自身が他人に対して発した感情の磁気の表れ」です。今の自分の状況の責任は、やはり自分自身にあります。「自分が生かされている感謝の思い」だけを捧げるのが、その場に蓄積した感謝磁気を引き寄せ、自分が未来に感謝をしたく成る現実の物事が到来します。この世は、あなた次第で変わって行く法則が在ります。運気や幸運とは、自分で創れる物です。

 要は、これの正体とは「感謝の霊的磁気」なのです。「感謝の磁気」を貯めますと、類同の法則により、感謝をしたく成る現実を呼び寄せます。磁石の様に、感謝磁気には幸運が来ます。自分の日常生活に感謝の磁気が無い、不満な磁気が多い、先行きの不安な磁気、呪う磁気が多いと、似た物しか寄らないのが現実なのです。

 では、どうすれば良いのか?
 感謝の磁気を、日常の生活で貯めれば良いのです。

 朝に「感謝の先祖供養」と「神棚の水交換」。これは、現実界で効率良く「感謝磁気を物理的に貯める装置」だと思っても良いです。水や線香は、霊的磁気との相性と関係が粒子的に深いのです。

 そして、日常生活の中で「生かして頂いて ありがとう御座位ます」と思いながら生活をします。
 すると、体内の水分粒子に、感謝の磁気が蓄積していきます。

 これを「継続」していますと、心のダムに感謝磁気が満ちて来ます。
 その量に応じて、感謝をしたく成る現実が現れます。いや、「気付く」とも言えます。




 水は「言葉や波動を記憶する性質」があります。人体は半分以上が水分で構成されており(参照)、体内の水分は約2週間で入れ替わるそうです。感謝の中で暮らしていますと「感謝磁気」が体内の水分粒子に蓄積され、心身に良い作用をしてくれるでしょう。
 今までは不満ばかりで「不満磁気に覆われていた」人であっても、体内の水分は約2週間で入れ替わるので、感謝想起(自ら感謝を想起する)を2週間も真面目に継続していれば、2週間後には「感謝磁気に覆われた」人になっているはずです。

 細胞も生命体であり、生命としての意識もあるでしょうから、人間が感謝に励まされる事があるのと同様に、体中の細胞たちも感謝に励まされて元気付く事もあるでしょう。生命による感情とは、人間だけの現象だと決め付けてはいけません。生命あるところには、相応なる感情が存在しているからです。自分の体を「感謝磁気」でコーティングして包み込み、体内の水分粒子に「感謝磁気」を蓄積させて、癌に対応してくれている自分の体を応援してあげましょう!


 また、心の『上書き』については、「おひさまがとうございます」ブログの「まる(=・3・=)ぞう」さんが、以前、このような面白い見解をお話しされていました。



 想念磁気考察

 「感謝の磁気」という言葉がよく使われます。人間の想念とは、磁気の性質ととても良く似ています。今の物理学では証明されていませんが、未来には、人間の想念も繊細な磁気であり、この時空間自体が、その繊細な想念磁気の記録媒体であることが証明されるかもしれません。

 私たちの生活で使われている実際的な磁気媒体とは、カセットやビデオの磁気テープや、パソコンのハードディスクなどがあります。もっとも、今やカセットやビデオはほとんど使われませんが・・・。私が若い頃だったついこの間のちょっと前までは、音楽はカセットテープに録音して聴くものだったし、テレビ番組や映画はビデオで録画して観るものでした。

 さて、磁気テープやハードディスクに記録された音楽や映像やファイルのデータ等は、実態のあるものです。だから、何回も再生することができます。しかし、磁気媒体の最大の特徴は、そのデータを消したり上書きすることができることです。

 私たちの人生における「自我の縛り」もまた、過去の想念磁気によって記録されているものです。ある方は、「お前はダメな人間だ」と、子供の頃に刷り込まれて育ったかもしれません。しかしその自己否定も、元をたどれば、親や教師自身が、やはり彼らの過去に受けた自己否定の磁気記録のリピートかもしれません。あるいは、かつて家系にいらっしゃった「俺はダメなやつだ。なんて否定されたくなかった」という無念のまま亡くなった御先祖さまの想念磁気が、家系に保存されているのが原因かもしれません。縁ある子孫が、その磁気記録をリピートします。

 また「自我の縛り」には、自己否定ではなく、他者否定の磁気もあります。強いものに奪われるなら、自分はもっと弱いものから奪い返す。勝たないと愛されない。そういう弱肉強食の法則を子供の頃に刷り込まれて育ったかもしれません。それもまた辿っていくと、親や教師や社会全体の、弱肉強食の磁気記録のリピートかもしれません。そして、家系に残留している無念の磁気記録かも。

 このような磁気記録は、何度でも忠実に再生します。それは、カセットテープやハードディスクと同じです。ですからたとえ、「自分の自己否定は、過去の無念の残留磁気なんだな~」と頭でわかったとしても、それだけでは解決することはできません。

 たとえば、あなたの嫌いな曲が録音されているカセットテープがあったとして、それが再生されれば聴こえるのです。「ああ、この曲は磁気記録に過ぎないんだよな」といくら頭で理解していたとしても、そのテープが再生されれば、聴こえるのは現実です。「自我の縛り」は空間に刻まれた記録ではありますが、それが再生される間は本人には「現実」なのです。

 しかし、しかし、この「自我の縛り」の原因であった過去の誰か(自分を含む)の無念の想念磁気は、磁気であるがゆえに、消去することも、上書きすることも可能です。もし、その無念磁気が長い期間をかけて繰り返し記録されたものであれば、また反対に、長い期間をかけて感謝磁気で上書きしていけば良いのです。それは磁気ですから、必ず上書きできます。

 そう、無念の磁気の正反対の磁気が、感謝の想いです。幸せになる価値のない自分であっても、また、理不尽な親や会社であったとしても、その不満だらけの不幸な境遇に対して、形式的にでも感謝磁気を発することが上書きの始まりです。




 「心の動き」というものは「霊的な磁気」なので、『上書きできる』という性質があり、この磁気の性質は、私たちの生活で使われている実際的な磁気媒体として、カセットやビデオの磁気テープ、パソコンのハードディスクなどに現われています。このような形で、「霊的なもの」が「物理的なもの(物質的なもの)」に共通して現われているのです。

 このような視点に立ち、もし「心の動き」の重要性と価値にたどり着けたならば、自分の不平不満などの悪想念の心癖を自ら矯正・修正して直し、感謝想起で『上書き修正』して、感謝磁気による『上書き保存』を活かして行きましょう! これは実際に『心治し』とも言えます。「病気治しは心治し」という言葉があるくらいです。心(の磁気)という「目には見えない部分」の改善が案外と重要なのです。人間だって、目に見える「外面(そとヅラうわべの心)」よりも、目に見えない「内面(うちヅラ本心)」のほうが重要です。みなさんだって、相手の「うわべ」よりも「本心」が気になるはずですよね。内なるもののほうに「本当の答え」が在るのが分かっているからです。なかなか目には見えない(自分の)心を改善すれば、やがてそれが目に見える(身体的な)姿形となって現われて来るでしょう。「心の変化」が「身体の変化」と成ります。感謝する事に何も失うものなんてありません。ぜひ、ご自分なりの『心づくり(心の磁気による磁場づくり)』を、ゆとりを持って楽しみながら実践されてみてください m(__)m


 ただ、癌治療は「心だけぇ~」でもダメです。
 ちゃんと「物理的な側面(人間を癌に至らしめている物理的な要因)」もしっかりと見つめてください。

 例えばですね・・・、よく霊的な事を言う人で「癌は悪想念からできる」とだけ言う人がいますが、これでは絶対にダメです。私も霊学をかじっていますから「癌は悪想念からできる」というのは正しい事実である事も知っていますが、しかし、まさか「癌になる原因は悪想念だけであり、悪想念以外の原因はない」とまで言うのには絶対に反対します。こう言う人の頭の中は、恐ろしいくらいの「お花畑(実質と空論が混同して判別がつかなくなっている)」になっています。霊的な事を理解されている人たちであっても、こういう「お花畑」脳には注意してください。
私も一応、頭の中が「お花畑」にならないように気をつけています・・・。もしかして、すでになってるかも・・・大汗

 現代医学でも「ストレスが癌の原因になっている」と言われています。確かに、これは正しいです。動物の癌実験でも「ストレスを与えた続けた動物は癌になりやすかった」との報告もあります。医師の中には、まるでストレスだけが癌の原因であるかのように謳っている医師もいるくらいなのですが、こういう医師は頭の中が「医学的なお花畑」になってしまっている先生です(涙)。ストレスも癌の原因の一つではあるでしょうけれど、今よりもストレスが大きかった昔の日本に癌がほとんどなかったのですから、ストレスを言うよりも前に、現代社会を巣食ってしまっている化学汚染(化学物質・化学化合物の大汚染)のほうが「巨大な癌化原因」になっている事を理解せねばなりません。

 「癌は悪想念からできる」というのは、「心が癌をつくる」という事実的側面を言っています。それも確かにあるのですが、しかし、そんな事よりも、それ以外の癌化原因(化学汚染間違った食事など)のほうがよほど深刻な「癌化の要因」になっているのです。

 これは、落ち着いて考えて見ればすぐに分かる事です。
 癌の動物実験では、動物を「人工的に癌化させて」実験しています。つまり、動物を「人工的に癌患者に仕立て上げている」という事実です。動物にも心(感情)があります。動物の心は人間のように歪んでいませんから、動物の心は無垢だと言えるでしょう。しかし、心が無垢であるはずの実験動物たちは「物の見事に癌になっている」ではありませんか・・・。ここから見える事は、ストレスだとか悪想念だとかを言うよりも先に、「癌化させる物理環境」を改善するほうが先だと言えるのです。
 もう、お分かりになられますよね。例え心が無垢であったとしても、物理的な癌化作用を身に受けてしまえば、善想念や悪想念やストレスの云々カンヌンなど関係なしに、誰でも癌になってしまうのです・・・。

 では、精神作用はまったく関係ないのかと言えば、そうではなくて、この記事でお話ししました通り、精神面の良し悪しは体の良し悪しに大きく影響して行きますから、「精神的な側面」と「物理的な側面」は表裏一体で考えるべきです。精神面も、物理面も、どっちも大事です。世間に多くある「これだけぇ~」根性(どれか一つに原因を決め付けたがる過ち)はもう止めにして、精神面と物理面はどっちも重視して行きましょう!


 ここでご紹介させて頂きました黒住宗忠翁の「有り難い」を連続して唱える感謝行を通して、身の回りに溢れている「感謝の対象」に気づいていくのも良い事だと思います。

 感謝ならば、黒住宗忠翁の「有り難い」でもいいですし、舛田さんの「ありがとう」でもいいですし、『伊勢-白山 道』のリーマンさんの伝えられている「生かして頂いて ありがとう御座います」でもいいと思います。

 昔の日本では、江戸時代までは『素読(すどく)』という勉強法がありました。子供たちが論語などの教科書を声に出して何度も繰り返し読んでいると、最初はその意味が分からなかったとしても、言霊の作用を通じてその意味が自然と分かって来る、という勉強法です。これを昔から『素読』と言いました。声に出して言霊を発する事で、言霊の作用によってその意味が自ずと分かって来るようになるのです。言霊にはそういう働きがあり、言霊の作用によって、その意味の理解が自然と得られてしまうのです。

 「有り難い」「ありがとう」という “感謝の言霊” を声に出して発していれば、ご自分がすべき「感謝の対象」が自然と脳裏に浮かんで来る事でしょう。これがもし「生かされていること自体への感謝」を感じて行きたいのであれば、「生かして頂いて ありがとう御座います」をお薦めします。私は『伊勢-白山 道』を押し付ける気は一切ありませんが、この「生かして頂いて ありがとう御座います」という “感謝の言霊” だけでも、『素読』的に活かされてみてほしいと思います。これは素直にやってみると「おぉ~、ホントに生かされているじゃないか・・、俺!(あたしぃ~♪)」となってもらえるんじゃないかなァ~と思います(笑)。


 大人の方々であれば、昔の日本人のように、ご自分の子供たちや周りの若い人たちに「感謝の大切さ」を説けるような人であってほしいと願います。感謝の欠けてとがった世間になって行くなど、私はまっぴら御免です。感謝のまったく欠けてしまった「よどんだ社会」はお好きですか? そんな人はまずいないとは思いますが、もしそうなるのが嫌ならば、大人たちのほうから若人子供に「感謝の大切さ」を積極的に伝えて行かなければなりません。これは、年代的な当然の流れです。

 私は以前、脳内で『上流濁りけり、下流いかにせん』という言葉がずっと鳴っていた時がありました。これは「上流が濁ってしまった・・、下流は一体どうすればよいのだろう・・・」という意味でしょうが、この「上流」と「下流」とは『川の流れ』ではなく、『年代の流れ』を言っているものだと思いました。当然、上流と下流の間には「中流」があります。上流とは「高年代(お年寄り)」で、中流とは「中年代」、下流は「若年代(若人子供)」でしょう。

 『川の流れ』では、上流が濁れば中流も自然と濁り、中流が濁れば下流も自然と濁ってしまうものです。もし上流に問題が発生していて川の水が濁っているのであれば、中流を通して下流の水も自然と濁ってしまうでしょう。その下流の水の濁りを清めたいのであれば、真っ先に上流の水を濁らせている原因を取り除かなければ、下流の水の濁りは解決しません。これはこの世のあらゆる面で言える事であり、『川の流れ』という自然現象を通して、自然界が人間に教えてくれている摂理です。こういう『川の流れ』の摂理が、人間社会の『年代の流れ』にも潜んでいるのです。

 つまり、この言葉はこう告げているのでしょう。

「高年代の年寄りの心(上流)が濁ってしまった・・。
 だから自然と、中年代の大人たちの心(
中流)までが濁ってしまっている・・・。
 それが原因して、若年代の若人子供の心(
下流)まで濁ってしまっているというのに、
 なぜ、年寄りや大人たちは、このことに気づかないのか・・・。
 年寄りや大人たちは、自分の身姿を律し正すこともせず、平気で若人子供の身姿の不服を申している。
 川の流れを通して現れたる『年代の流れ』という摂理を知らんのか・・・。」


 私は、私の脳内に現れた『上流濁りけり、下流いかにせん』という言葉を、このように受け止め、理解しました。
 この言葉の意味は、私が今の世間を見る限り、あまり否定できない内容です・・・。

 私は今まで、お年寄りと話をさせて頂く機会がたくさんありました。お年寄りは話し慣れてきますと、だいたいのお年寄りが「今の若者や子供は、あ~だの、こ~だの」と、現代の若者や子供に対する文句や愚痴を言い始めます。中には「今の若い人たちが税金を納めてくれるから、私たち年寄りは年金を頂いて暮らして行く事ができるんだよ。若い人たちには有り難いと思っているんだよ」と語られるお年寄りもいましたが、残念ながら、若者や子供の文句や愚痴をこぼすお年寄りのほうが断然多かったです。そして最後は、とどめの名ゼリフ「今の若者や子供は、親が悪いからねぇ~」と、まァ~ こう来るわけです。

 そうすると、私はそのお年寄りに対して「今の若者や子供の親が悪いのは、その親の親が悪いからでしょうね・・。その親の親って、今のお年寄りの世代に当たりますが、どう思いますか?」と言うと、「ま・・ まぁ~ 、それはそうだろうけれど・・・」と言葉に詰まるのです。どうやら、自分たち年寄りには「何も問題がない」と思い込んでいるようです・・・。

 人間は無垢で生まれて来ます。子供や若者は生まれたその社会に染められて成長するのですから、もし、子供や若者の心質が悪いとするならば、その子供や若者を染め上げた社会の心質自体が悪かったという実態を打ち明けているようなものです。もともとその社会を築いて来たのは、今のお年寄りの世代であったはずです。『年代の流れ』という摂理から見れば、今のお年寄りの世代が「まったく無問題である」と思っている事自体が大問題なのです。まるで、自分たち年寄りとはま~ったく関係なく、勝手にどこかで社会の心質が悪化してしまったとでも思っているのでしょうか・・・。

 年代を大樹に例えれば、高年代(お年寄り)は「根っ子」であり、中年代は「枝葉」、若年代(若人子供)は「実」です。
 若人子供とは、大人社会(高年代から中年代)という木に成った「実」なのです。
 私は「癌を改善するためには、「火に油を注ぐ人」になってはいけない!」にて、ナザレのイエス(イエス・キリスト)のこの言葉を挙げました。

「あなた方は、彼らの様々なその実によって彼らを見分けることになる。
 人は茨(いばら)から葡萄(ぶどう)を、あざみから無花果(いちじく)を集めるだろうか。
 そのように、すべて善き木は良き実を結び、悪しき木は悪しき実を結ぶ。
 善き木が悪しき実を結ぶことはできず、悪しき木が良き実を結ぶことはできない。
 良き実を結ばない木は、ことごとく伐り(きり)倒されて火に投げ入れられる。
 そのように、あなた方はその実によって彼らを見分けることになる。」

 (新約聖書『マタイによる福音書』第7章 7:16~7:20)

 今回は、「善き木=善き大人社会」「良き実=良き若人子供」とし、「悪しき木=悪しき大人社会」「悪しき実=悪しき若人子供」と置き換えて、私はこのように言い変えてみます。

「あなた方は、その地域社会の様々な若人子供の姿(その実)によって、その地域社会の大人たちの本性()を見分けることになる。
 人間社会は、愛情から虐めを、感謝から犯罪を生み出すだろうか。
 そのように、すべて善き大人社会(善き木)は良き若人子供(良き実)を生み出し(結び)、悪しき大人社会(悪しき木)は悪しき若人子供(悪しき実)を生み出す(結ぶ)。
 善き大人社会(善き木)が悪しき若人子供(悪しき実)を生み出す(結ぶ)ことはできず、悪しき大人社会(悪しき木)が良き若人子供(良き実)を生み出す(結ぶ)ことはできない。
 良き若人子供(良き実)を生み出さない大人社会(結ばない木)は、やがてことごとく腐敗しきって社会崩壊へと進み行く。
 そのように、あなた方は、その地域の若人子供の良し悪し(その実)によって、その地域社会の大人たちの本当の姿()を見分けることになる。」


 木(大人社会)の一番根っ子に位置するのが高年代であるお年寄りなのです。そのお年寄りの良し悪しによって、最終的には実(若人子供)の良し悪しが決まると言っても過言ではないはずです。

 お年寄りの役割と立場を考えれば、もはや社会の労働力から卒業された反面、下の年代に大事な事を伝えてあげる「人間としてのお勤め」があるような気がします。自分たちお年寄りが文句や愚痴をこぼす必要がなくなるくらいに、下の年代に精神的教養を与えてあげてほしいと思います。しかし、これができないお年寄りが多いのです。下の年代に対する文句や愚痴を言いながら、本当に大事な事ができないわけです。「若い人は何を言っても分からない」と決め付けているお年寄りもいますが、これは「ご自分に伝える力がないだけ」であるのが実態(実際の有り様)です。その「伝える力」を有する人は、もとより文句も愚痴も言いません。

 こういう問題を解決するのには、実際には非常に難しいです。しかし、小難しい事は何も考えずに、お年寄りから若人子供に至るまで、年代に関係なく、それぞれの人の心に「生かされていること自体への感謝」が理解できて染み入ったならば、文句や愚痴で終わるような社会的習慣が解消されるのではないかと、私には思えてなりません。

 太平洋戦争も激動の昭和期の高度経済成長も知らない私のような若僧がクソ生意気な事を申しましたが、私はここでお年寄りや大人たちの文句や愚痴を言いたかったのではなく、『年代の流れ』という摂理がこの世には存在しているという事、そして「生かされていること自体への感謝」に進めて行く事の大切さについて、当ブログサイトにご縁があってくださった大人の方々に何か実質として感じて頂けたらいいなぁ~、と思ってお話しさせて頂きました。

 まァ~、もっと本音を言いますと、「また、こんな話しちまった・・」という感じです・・・(涙)。

 今のお年寄りの世代の方々が太平洋戦争を乗り越え、敗戦の苦汁を「臥薪嘗胆」の想いで貧しい日本国を盛り立ててくださったお蔭で、日本は激動の昭和期を経て、豊かな国へと成長することができました。例え、太平洋戦争や高度経済成長を実際には知らない若僧の私であっても、そのご苦労は並大抵ではなかった事くらいは分かります。私たち日本人が今の日本の豊かさを味わえるのは、今のお年寄り世代が若い頃のどん底の苦労を乗り越えてくださったからです。本当に感謝しています m(__)m

 じゃぁ~、どうしてこんな話をしたのかと言いますと、だからこそ、もっと日本人らしさを推し進めて求めれば、お年寄りや大人たちが苦言するような若人子供の有り様に対して、ただ単に文句や愚痴を吐き出すに終始するだけのお年寄りや大人たちであってほしくないのです。もしかしたらこれは求め過ぎかもしれませんが、やはり、若者から見て光るお年寄りや大人たちであってほしいのです。光とは決して外見などではなく、口から溢れ出る「言葉の光」です。言葉は「心の倉」から出てきます。「心の倉」こそが「光の源」なのです。本当に激動だった太平洋戦争や昭和期を乗り越えて来られたお年寄りや大人たちだからこそ、太平洋戦争や昭和期を知らない若い世代に伝え残す事ができる「心の倉」があるはずです。どうか、今の若者や子供たちでは決して手の届かないその「心の倉」を、若者や子供に縁あるごとに、ご自分が無理なくできる範囲内でよいですから、地道に手渡してあげてほしいと思います。

 私は一応、お花畑になっているつもりはないのですが・・(汗)、大人のみなさん、よろしくお願いします m(__)m




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 追記

 私は「人間の「心の動き(想念)」とは何か?」にて、子供社会に現われている「いじめ」の問題について、次のように書いたことがあります。この記事でお話しさせて頂きました「年代を大樹に例えれば、高年代(お年寄り)は『根っ子』であり、中年代は『枝葉』、若年代(若人子供)は『実』です。若人子供とは、大人社会(高年代から中年代)という木に成った『実』なのです」の部分に重なる内容ですので、参考になるかどうかは分かりませんが、ぜひご一読されてみて頂いて、何か感じて頂けたら有り難いと思います。よろしくお願いします m(__)m


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 昨今は、また「子供のいじめ」が問題になってきています。大人たちも色々な意見を交わしあっています。TVでも、子供の教育を徹底し、子供をいじめから守るにはどうすれば良いのかを真剣に論じています。

 しかし私から見れば、まだまともな意見を一度も聞いたことがありません。みなさん、子供だけに意識が向き過ぎているようです。また「学校が悪い」「教師が悪い」など教育機関の責任にばかりしている向きもあり、さらに「親が悪い」と部分的なところしか見ていません。確かにそれらも要因として挙げるべきなのでしょうけれど、もっとその背後にある「全体性」を見つめる視点を持ち得なければ、真の原因は見えてこないはずです。現代の大人たちは、自分たち「大人の姿」の有無に、真剣に帰着できていない方がとても多い気がします。

 なぜ、子供社会に「いじめ」がなくならないのでしょうか? 子供への教育が足りないからでしょうか?
 教育機関の問題、親御の問題、当事者の問題など、部分的なところに原因があるのでしょうか?
 それもあるかもしれませんが、あくまでそれらは「表層の現われ」に過ぎないのです。本当の答えはもっとその奥にあります。子供社会に「いじめ」が発生してしまう真の原因は、子供以外のところ、大人社会の奥の奥に潜んでいるのです。

 実は、この答えは簡単に得られるのです。率直に答えを言えば、「大人社会にいじめがなくならないから」です。上記でお話ししましたことと素直に重ねられる方には、ピンッとくることでしょう。そうです。今もって、大人社会に「いじめ」がなくならず、その「大人社会の心の態度」が、そのまま「子供社会の心の態度」として、本当にそのまま現われているだけの現象、それが「子供社会のいじめ」なのです。大人社会の陰湿な「いじめ」のあることは、私もよく耳にします(2013年はパワハラの相談件数が5万件を超えたと NHKのニュースでやっていました)。これに苦しんでいる大人の方々も、(全国規模で)大勢おられることでしょう。こういう大人社会の実情は、みなさんだって、よくよく御存じのはずです。当人に直接何もしていなくとも、陰で「悪口・陰口」を叩けば、霊的には立派に「いじめの成立」となっているのです。

 ま・・ まさかですよ・・・、「大人社会のいじめ」は社会的に黙認し、「子供社会のいじめ」は許可が下りないなんてこと・・ ないですよね・・・。もし「大人社会のいじめ」を認めるならば、「子供社会のいじめ」も認めなければなりません。こういうことは、年齢の差で決まることではないのです。「大人社会のいじめ」は放任して、「子供社会のいじめ」だけは認めない・・・、こんな馬鹿げた(あまりにも幼い)発想はありません。この「大人社会のいじめ」を一切無視してですね、「子供社会のいじめ」だけを何とかなくそうとしたところが、「そりゃぁ~ 無理な話ですよ!」って言いたいです。

 だってですよ、子供社会に現われる「いじめ」の原因元は、大人社会に現われ続けている「いじめ」なのですから(ここまで真剣に読んでくださった方には、これが分かるはずです)。「元」を正さなければ、「末」は何も変わりません。あくまで、大人社会のいじめが「元」であり、子供社会のいじめは「その末の現象」です。大人社会に現われる現象が「根っ子」であり、子供社会に現われる現象は「枝葉」です。これは、親・先祖が「根っ子」であり、子供・孫・子孫が「枝葉や実」であるのと同じ姿です。親の姿(中身)がそのまま子供に乗り移って行くように、大人社会の姿(中身)がそのまま子供社会に乗り移って行き、子供社会は見事なまでに「大人社会の転写」を受けてしまうのです。大樹の「根」の状態が「枝葉や実」の状態を決するのと同じ仕組みが、人体にも、人間社会にも在るのです。

 子供社会とは、まさに大人社会の「生き鏡」です。大人社会に「いじめ」が発生しているのであれば、その「大人社会にある、いじめの栄養分(霊的磁気)」を、枝葉に当たる子供社会がしっかりと吸収してしまい、大人社会の「いじめの姿」が子供社会にそのまま乗り移って現われている・・・、これが「子供社会にいじめが発生してしまう真の原因」です。こうして、大人社会の「巨大な心(想念の “巨大な集合体”)」が、無意識のうちに、子供社会を「大人社会と同じ色」へと確実に染め上げて行くのです。大人社会の心の質が、子供社会の心の質を決する材料になります。大樹の根の質が、枝葉や実の質を決するが如くにです。

 つまり、子供社会に現われている現象を見れば、その国や地域の奥に見え隠れしている「大人社会の実情」を知ることができます。大人は自分の本心を上っ面で隠して誤魔化せますが、子供は(特に幼児には)それがなかなかできません。子供は自分の本心をダイレクトに発露します(自分の気持ちを上手く表現できずに、モジモジしたり、グジュグジュ言ったりすることも、そのままの気持ちを発露している姿です)。子供の姿は、大人社会の「鏡」として、大人社会の「本当の姿」を映し出してしまうのです。

 「元(大人社会)」と「末(子供社会枝葉や実)」の関係をしっかりと認識しましょう。この世には「原因と結果」という揺るぎない仕組みのあることを忘れてはいけません。「元()」を正さなければ、「末(枝葉や実)」は正されようはずがありません。それが「天地自然のシステム(仕組み)」であり、誰も逃れることのできない真理なのです。この日本社会から「子供のいじめ()」をなくしたいのであるならば、まずは「大人のいじめ()」からなくしていきましょう! 順序を履き違えてはいけません!

 実は、これは食養と似ていて、不健全な「元(美食過食飽食)」を断って改善していかなければ、いつまで経っても、不健全な「末(体の病気)」は全く変わらないということと同じなんですよ。真理は同じく、共通しているのです。

 「子供のいじめ」に関しては、私はこういう視点のあることを常々感じていましたなので、大人のみなさんにも何か感じて頂けたらと思い、生意気にもお話させて頂きました。


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 この内容を書いた時には、私は子供社会を「枝葉や実」と表現していましたが、この記事の「年代を大樹に例えれば、高年代(お年寄り)は『根っ子』であり、中年代は『枝葉』、若年代(若人子供)は『実』です。若人子供とは、大人社会(高年代から中年代)という木に成った『実』なのです」と重ねますと、子供社会は「実」と表現したほうが良かったのかもしれません。

 いずれにしましても、私がここで言いたかった事は、

「若人や子供の社会に現われている諸々の事象は、大人社会とはまったく関係ないように見えて、実(じつ)のところ、
 大人社会の中身(本性)が、若人や子供の社会の姿となって『そのまま』現れているに過ぎない真相がある。
 これが人間社会の実相なんだ。」

 ということでした。

 若人や子供を責める前に、まずは「大人社会の内容」にこそ反省すべきところが多々あるはずなんです。
 ここを「チェッ、しゃらくせぇ~」で無視していたら、子供社会にはいつまで経っても「いじめ」がなくならず、やがて大人社会をも巻き込んだ異常事態に発展して行く事だって考えられます。これは結局、大人社会の「自己責任」なのです。

 子供を与る大人社会の一員として、子供社会から本気で「いじめ」をなくしたいのであるならば、子供社会の「いじめ」を非難している一方で、肝心の大人社会の「いじめ」を暗黙に容認しているという、これが無問題だと言い張る人がいたとしたら、このチンプンカンプンなほど恐ろしい身勝手に陥ってしまっている愚かなご自分に早く気づく事です。

 もしかしたら、(私のような)若僧がクソ生意気な事を抜かしているように聞こえる人もいるのかもしれません。でも、もしこの大事が本当に「生意気~ッ!」で済むとお考えの方が大人社会に多いとしたら、子供社会の「いじめ」問題は絶望的になるでしょう。だって、子供社会の健全さは、あくまで「大人社会の健全さから生まれて来る」のですから・・・。
 子供社会とは「大人社会の内に包含されて初めて存在できる」わけですから、「子供社会は暗黙のうちに、大人社会が有する色(内容)そのものに確実に染め上げられて行く」という原理があるのです。大人社会の中身(本性)を無視して、子供社会の矯正や修正はまず不可能です・・・。

 若人や子供の心に「大人たちに対する感謝」を持たせたいのであるならば、まずは、大人たちの心から感謝に染め上げなければなりません。それが順序であり、この世の摂理なのです。この順序を履き違えれば、間違いが続いて行くばかりになります。

 もうお分かりになって頂けると思いますが、大人社会に本当の感謝が根付けば、若人や子供の心には、何もしなくとも感謝が根付いて行くものです。「大人社会から子供社会へと転写して行く」という霊的な事実を理解すれば、これが「お花畑(実質と空論の混同)根性」ではないことが世間にも分かる日が来ると思います。

 あの「お爺ちゃん画家」が戦争画家人生の最後にようやくたどり着いた「人間は生かされていることに対する感謝が大事だ」という心を、まずは、大人社会のほうから大事に育んで行きましょう! 大人社会から発露して現れ、日本社会を覆い尽くした「感謝想念の巨大な集合体巨大に渦巻く感謝磁気)」が、若人や子供の心にも自然と転写して行くはずです。

 人は社会に暮らしながら、日々、休む事なく心を動かしています。人の心が動けば、その心が「想念の霊的磁気」としてその場に残存しています。決して消えないのです。これは、目に見えず確認が取れないから分からないだけです。昔の人間が原子の存在が分からなかったのと同様ですね。

 社会に暮らす人間ひとりひとりの心が日々動き、そのひとりひとりの心が社会の空間に残存して合流し、その社会の上空で(次元を異にして)巨大な「想念の集合体」を形成しています。これは人間の心から独立して、一つの霊的な生き物として渦のように動いているのです(霊的磁気の巨大な渦)。そして今度は、社会に暮らす人間ひとりひとりの心が、その巨大な「想念の集合体」の巨大な渦の動きに知らず知らずのうちに無意識に流されて行く・・・。人間社会にはこのような『個と全、全と個の間で行われる、霊的磁気の循環』があります。これが、人間社会をまるで一つの生き物のように動かしめている「心の摂理(心を通して起こる現象の仕組み)」なのです。多くの人たちは、まさか自分の心が自分の意識とは関係なく、社会に形成されている巨大な「想念の集合体」に流されて動かされているとは思いも寄らないでしょう。こういう「人間社会の心の仕組み」は、精神医学でも「大衆心理」だとか言われていますね。人間は、自分の心を「自分でコントロールしている」かのように見えて、案外と自分以外の存在に簡単に流されている、という実相があるのです。

 社会に暮らす人間ひとりひとりの “日々の心質の在り様” が、社会の巨大な「想念の集合体」の質を、日々、時々刻々と決定して行くのです。ですから、その巨大な「想念の集合体」の内容は毎日少しずつ変動しているわけです。良くも変われば、悪くも変わります。日本社会に暮らす私たちひとりひとりの心質の良し悪しで、日本社会全体の心質が決まって行くのです。それはそのまま、子供社会へと伝染して行くのです。自分の心も、日本社会の心質の内容を決める一要素(一員)なのですね。

 ただ、これを難しく考えてしまうと、本当にどこまでも複雑になってしまいますから、ここは難しい事など一切考えるまでもなく、単純に「生かされている感謝」ひとつに集約していけば良いと思います。ここが、社会の心質を高めて行くための重要な「柱」であり、「土台」と成ります。もしここが一切ないのであれば、その他をいくら気にしても、まったくお話しにならないでしょう。日本社会に渦巻く「感謝想念の巨大な集合体巨大に渦巻く感謝磁気)」は悪さなんてしやしません。巨大な改善力になるだけです。


 大人社会であれ、子供社会であれ、本当の感謝で満たされているところには「いじめ」など存在できません。
 大人社会が感謝想念で満たされた時、必ずや「いじめ」は、社会から自然に消滅して行くでしょう。
 必ず・・・、私はそう信じます。

 物理法則が、物理の世界を支配しています。
 化学法則が、化学の世界を支配しています。
 同様に、霊的な法則が、この世を見事に支配しているのです。
 霊的法則である「霊的真理(宇宙を貫く摂理)」こそが、この世を支配している『真の法則』なのです。

 みなさんも、この記事でお話しさせて頂きました「感謝の霊的法則」を、ご自分なりに味わってみてください m(__)m