「生命の水 -奇跡の尿療法- ジョン・W・アームストロング(著)《1》」からの続きです。
 まだ《1》を読まれていない方は、先に《1》のほうを読まれてください。 よろしくお願いします m(__)m

 この著書は「ジョン・W・アームストロング」氏(イギリス人)が1944年に出版した「The Water of Life」の邦訳で、尿療法の古典的名著です。アームストロング氏の尿療法による治療は単に尿療法だけで行なうのではなく、尿療法に “断食療法” を組み合わせた治療法です(尿療法+断食療法)。患者に「患者自身の尿」と「水」だけを摂取させて絶食させ、あらゆる難病患者を快癒させています。その絶食期間は様々で、数日、十数日、二十数日、三十数日、四十数日、中には長くて60日という症例もありました。癌患者は見事に癌が自然消滅しています。

 アームストロング氏はこの「The Water of Life」を出版する20年ほど前から「尿療法の専門医(民間療法医)」としての活動を始めましたので、この著書に書いてあるのは1920年代から1944年までの欧米の医療(癌医療を含む)の内容になります。今(2013年)から約70~90年前(概ね100年前まで)の内容です。しかし、この著書の癌医療の内容は、今の日本の癌医療にそっくりなのです。現在の日本の医療はこの著書の時代と比べると医療技術が格段に向上しましたので、悪性腫瘍の誤診などは少なくなっていることでしょう(「癌の発見が遅れた」などは今もありますね )。けれども、この著書の中に出てくる「癌の手術」の内容に関しては、今の日本の癌医療と重なってしまうところがあるのです。この著書は『癌を手術で取り除いただけでは、如何に癌を治せないか』『放射線治療だけでは、如何に悲惨な結果しか残せないか抗がん剤も同様)』を、昔の欧米の癌医療の “姿” から新たに思い知ることができる非常に貴重な資料です。

 私はこの数年間、「癌の三大療法(抗がん剤放射線手術)」だけに暴走し続けている日本の「標準的な癌医療」に強烈な危機感を感じていましたが、この著書に触れることによって、私が感じていたその危機感が正しかったことを、私なりに改めて再確認した次第です。三大療法(抗がん剤放射線手術)だけに頼れば、癌は絶対に治りません。日本では癌患者が年々増加の一途をたどっているにもかかわらず、日本政府は外国の先進国が法律で規制しているような「癌患者を減らすための政策」を何も一切実施していません。いまだ “癌の原因(食品添加物化学医薬乳製品や肉製品の過食など)” が野放し状態であり、もしかしたら、さらに拡大しているかもしれません。ですから、日本は今後も癌患者が増加して行くと見るべきです。やがて、その臨界点に達した時、日本全国で癌患者がさく裂して現われてくる日が来るでしょう。日本が本格的に癌患者で溢れ返った時に、この “悲惨な癌医療(癌をまったく治せない癌医療)” のままで突き進んで行ったなら、この先、日本人は一体どうなってしまうのか想像を絶します。

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主な死因別にみた死亡率の年次推移 (悪性新生物=癌厚生労働省より)



 この著書が出版された当時は抗生物質や抗がん剤はまだ開発されておらず、当時の癌医療は「放射線治療」と「手術治療」がほとんどでした。どちらも「最悪の結果(結局、患者は癌で死ぬ)」しか残せなかったようです。これは今の日本の癌医療も、何ら変わりありません。当然、今の日本の癌医療は昔に比べて医療技術的には遥かに向上しました。しかし、これは単に「癌を治せない医療技術」が向上しただけに過ぎないのです。今の癌医療の現状を見れば、その通りの結果(癌患者を救えていない)が出ています。日本の癌医療では今なお「三大療法(抗がん剤放射線手術)」という “誤り” が継続されており、しかも、決して「癌患者を救えてはいない」のです。

 私にとって「癌患者を救う」というのは、癌患者の延命治療などではなく、「癌からの生還(癌の克服)」を意味します。癌治療を三大療法(抗がん剤放射線手術)だけに頼れば、最後は必ず癌死して行きます。三大療法それ自体が「癌体質を深めてしまう」ことになるからです。癌患者が「癌から生還する(癌を克服する)」ためには、必ず癌患者自身の「癌体質の改善」を果たさなければなりません。癌体質を改善するには、食養(食事療法少食療法断食療法など)や飲尿療法、免疫療法以外に方法などないのです。今や食事療法・少食療法・断食療法・飲尿療法・免疫療法といった「癌の自然療法」の有効性が日本や世界の癌研究報告ですでに明らかとなっているにもかかわらず、日本の癌医療界は癌治療に有効するこれらの手段を今も無視し続けて「標準的な癌医療」に組み入れていません。このような「癌治療の根本性(癌体質の改善)」がまったく得られていない日本の癌医療では、癌患者を救うことができなくて当然なのです。日本の癌医療は「見つめる的(癌の本質)」が確実にズレています。いまだ三大療法(抗がん剤放射線手術)だけにすがりついている日本の癌医療では、癌患者を治すことなど絶対にできないのです。日本の癌医療界が様々な癌研究報告で認められている上述の「癌の自然療法」を無視し続けている背景には、製薬業界が絡む癌医療界の思惑があるのです。お金という “魔物(拝金根性)” が癌医療を歪めています。
この「癌体質の改善」や「製薬業界と癌医療界の思惑」については《1》のほうをご覧になってください

 この著書の中には、今の日本の癌医療の「誤り」に通ずる “大きなヒント” が散りばめられています。「なぜ自然療法が重要なのか?」「自然療法とは一体何なのか?」という視点についての勉強にもなります。「癌と食事」に関する記述もたくさんあり、これも非常にためになります。この著書は決して尿療法に関することだけの内容ではありません。ですから、尿療法には今はまだ何の興味も無い方であっても、尿療法の本だからといって簡単に卑下せずに、ご自分の食養観や癌医療についての理解を深めるためにも、ぜひ一度、じっくりと読まれてみてください。よろしくお願いします m(__)m



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生命の水 -奇跡の尿療法-

ジョン・W・アームストロング(著) 論創社  1994年刊



1.序説

 半世紀以上もの間、正統派(西洋医学)の癌の研究者は悪性の病気(悪性腫瘍)の原因究明と治療に従事してきたのに、いまだにメス(手術)とラジウムないしはX線(放射線)以外の治療を提案できないでいるのはなぜなのか?

 『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』誌に、ラジウム治療(放射線治療)からはきわめて不満足の結果しか得られないことを証明する手紙が多数発表されたが、そのあとでもこの国(イギリス)や他の国々においてそれが推進されているのはなぜなのか?

 癌の効果的な治療法が有資格の医者(西洋医)や非正統派(民間療法)の開業医によって発見されているのに、それらは癌研究者たちには認められず、癌研究者たちはなおも治療法の発見に対し巨額の寄付をするように世間に依頼しているのはなぜか?



4.自分で自分を治す

 本書ではなるべく第一人称代名詞を避けるべきであろうけれども、人を説得しなければならない状況においてはそうも言っていられない。なぜなら、すでに述べたように、一オンスの経験は一トンの議論にも勝るからである!
1 序説私は『事実の一オンスは理論の数ポンドに値する』という原則に立って、症例によって自分の主張を実証する!

 私の最初の患者は私自身であった。それはたまたまこういうことで始まった。第一次大戦中、私が三十四歳のときに、ダービー計画と呼ばれる医療検査に応募したが、四人の検査医によって肺結核であるという理由で拒否された。さらに私は医者にかかるように勧告された。結果として、私はある専門医に相談した。ところが彼は、私の病状をそれほど真剣には取り扱わず、私は肺結核であるよりもむしろカタル性の病気にかかっており、たくさんの新鮮な空気と日光と栄養のある食事を摂るようにアドバイスしてくれた。私は彼のアドバイスに従い、一年間で体重を十二.六キロ増やした。それにもかかわらず、自分の体調に満足せず、別の専門医に相談した。この医者は、私の両肺が病んでおり、前の専門医が言ったのとは違って、私は肺結核であり、糖分と澱粉(デンプン)に富んだ食事で体力をつけなければならないと告げた。
 結局私は糖尿病にかかり、そして全く新奇で荒っぽい食事療法を受けることになった。それは以下のようなものであった。毎週四日間冷水を一日につき約一.七リットルすするだけで絶食し、五日目と続く二日間は “スナック” を食べることを許されたが、それはむしろ私の食欲をそそるのに役立つだけであった。スナックの一片一片をよく噛むように言われた結果、私の口の中は炎症を起こし、歯は痛み、歯茎と舌は腫れあがった。これらの苦痛に加えて、私は不眠症を病み、神経が擦り切れ、非常に怒りっぽくなった。この食事療法は連続して十六週間続けられた。結果として咳とカタル症状は消え、私が病んでいた坐骨神経痛も消えたけれども、この治療は私にとっては病気そのものよりも不快であった。最終的な結果として、この治療の二年後に私は医者に対する信頼を失い、私自身の一連の計画を開始した。その多くは医者の忠告に反していたけれども。

 私はあらゆる細かい点を挙げることによってこの話を引き延ばすつもりはない。非常に衰弱し、自分は病気だということを感じていたとき、一瞬、私は、聖書の箴言第五章にある聖句を思い出したということを言うだけで十分であろう。それは「なんじ己れの水ためより水を飲め」という言葉であった(ブログ管理人注)。この言葉は、次に、ある若い少女の父親が、彼女がジフテリアを患っていたとき、彼女に彼女自身の尿を飲ませ、結果として彼は三日間で彼女を治したというケースを私に思い出させた。そしてまた、同じ方法で別の症例(黄疸もその一つであった)も私は思い出していた。
 これがすべてではなかった。私は数年前に医者に、どうして私の尿から私の肺と膵臓が病気であって消耗していると判断できるのかと尋ね、それに対する彼の答えを思い出していた。私は自分の無知から「もし私がからだの組織と糖分を自分の尿を通して失っているのだとしたら、なぜその尿を飲み、そうすることによってこれらの成分を取り戻さないのか」と医者に言ったことさえ思い出した。これに対して医者は、器官は “死んだ物質” を同化できないのだと答えた。ところがこれは、すでに私が証明したように、理論的な誤り以外の何ものでもない!

 ここでしばらく脱線することにする。たしかに聖書の任意の言葉があれやこれやのことを意味していると独断的に主張することは賢明ではないだろう。なぜなら、多くの人々は自分たちが見出したいことを聖書の中に読み込むからである。にもかかわらず、私は信じたし、今なお信じているのである。私が引用した聖句、それにほかの多くの聖句もまた、私たち自身のからだの中にあるあの生命力にあふれる水に関係しているということを。そしてそれを信じつつ、私はこの信仰と協調して行動し、結果として私の肉体の救済という形で実を結んだことを見るに至ったのである。聖書の言葉を信じることによって励まされながら、私は尿と水のほか何も摂らずに四十五日間絶食したのである。そしてこれは、食事なしに人間が耐えられる限界は一一日間であるという医者の断言にもかかわらずなされたのである。
 私はまた尿を私のからだに擦り込んだ。これはこの治療において非常に重要な要素である。これについては私は十七章で取り扱うつもりである。最後に、私は絶食を終えた後、生の牛肉を食べた。それが私に与えたものは正にがつがつした飢餓感でしかなかったけれども、それでも私は注意深くしばらくそれを食べ、自分の尿を飲み続けた。結果として私は、尿は、私が食べたり飲んだりしたものと、私の運動量にほぼ完全に依存して、その温度や量や匂いなどが変化することに気がついた。

 この治療が終わったとき、私は “全く新しい人間” であることを感じ、また実際にそうなっていた。私の体重は六十三キロで、元気に満ちあふれ、実際よりも一一歳ほど若く見え、若い少女のような膚(はだ)をしていた。当時私は三十六歳であったが、今は六十歳を越えている。けれども、自分が排出する尿をすべて飲み、バランスのとれた食事を摂り、一日につきからだが要求していると自分で考える以上の食事を決して摂らないお陰で、同年代のたいていの人よりもずっと若く見えるし、人体が受け継ぐと言われている大小の病気にもかからずにすんでいる。

 私の自己治療の不可欠な部分とこれを実行するのに貢献したことのすべてを語った今は、知識は利己的に「ますの下に置く」(マタイ伝五―十五)べきではなく、仲間と分かち合うべきだということを確信して、一九一八年に自分が経験したのと同じような方法で他の人の断食について勧告し、助言し、指導することを始めた。従って、本書以下の部分は、主として様々な病気にかかった人たちから得られた結果に捧げられている。その病気には、医学的に診断された癌、ブライト病、壊疽(えそ)、正統派(西洋医学)の見地からは不治の病というレッテルを貼られるようなたくさんの他の病気も含まれている。

【ブログ管理人注】
 この「なんじ己れの水ためより水を飲め」という聖句は、尿療法について教示しているものだとされています。
 旧約聖書の『箴言』第五章一五節から一八節には、このように記されています。
 「あなたの用水だめの水を飲め、自分の井戸から湧き出る水を。
  あなたの泉が外に流れ出し、その流れが広場に溢れぬように。
  その泉をあなたのものとして守り、他の人に飲ませるな。
  あなたの泉が祝福されんことを。」
(フェデリコ・バルバロ訳聖書より)



6.腫瘍と癌

 次に私たちはもう一つの医学上のドグマ、すなわち癌が “不治である” ということをふきとばすかもしれない証拠を提供することにする。

 一九一二年にロンドンの故F・フォーブス=ロス博士は有資格の医者(西洋医学の医師)であったが、『癌-その発生と治療』と題する本を書いた。二五年間に及ぶ施療の間に彼は悪性の腫瘍やその他の腫瘍は自然な塩分、特に炭酸カリウムを欠いた食事に原因があるという結論に達した。(私が推奨するような)よりバランスのとれた食事を患者に摂らせることによって、そして同化しやすい形でカリウム塩を摂らせることによって彼はあの恐ろしい病気の非常に多くのケースを治したのである。しかし、彼の死後、彼の同僚の一人としてあるいは一つの病院としてこの療法を引き継ぐことにはならなかった。それは癌はもっぱらメス(手術)とラジウム(放射線)のみで治療されなければならないというドグマで「医業」が固くしばりつけられているからである。彼の著作は現在は絶版である。けれども外科医のC.P.チャイルド氏による別の本 ―― これは癌の疑いがあると思われるしこりへのメス(手術)によるスピーディーな介入を推奨したものである ―― がなお発行されており、あるいは最近まで発行されていたのである(シリス・スコット『医者・病気・健康』『癌に勝つ』及び『健康・食事・常識』を参照)。

 私はフォーブス=ロス博士の方法のメリットやデメリットについて発言する用意はしていない。なぜなら私はそうすることを求められていなかったからである。けれども、彼の著作の扱い方は「医業」の世界において民主主義の精神がいかに普及していないかということを示している。癌が、たとえかつては確かに不治の病であったかもしれないが、今やその言い伝えはもはや真実ではないのに、今なお不治の病と言われているのはなぜかということについて、社会の知識階級層に示唆を与えるべきである。癌を病んでいるたくさんの患者たちは、癌は治らないと証明されたことに苦しんでいると言った方がより正確であったかもしれない。さらに私が他の場所で述べたように、患者たちはインフルエンザについても同じ理由で苦しんでいたのである。

 癌性の腫瘍の外科的治療に関して、ブラッドフォードの故ラバグリアティ博士は彼の経歴の早い時期、私がまだ彼を知る前に、腫瘍の手術を少なくとも五〇〇回は行ったのだが、メス(手術)では一様に成功を収めることはなく、その結果、癌をもっと効果的に治療する別の方法を探るようになったが、不幸にも結果はむなしかったということを私に告白した。

※ ラバグリアティ博士は「医学界」では有名な人で、彼の名前はわが国(イギリス)とアメリカ合衆国で発行される多くの医学書の中にしばしば出てくる。


 医学的に癌と診断された私の最初の症例は六十代後半の看護婦のものであった。彼女は自分の職務遂行の過程で、五〇以上の悪性腫瘍の看護をしていた。そして彼女自身も長らく癌を患っていたのだが、癌性の腫瘍を絶滅する方策についてほとんど語られることがなかったために、自分は決してメス(手術)のお世話にならないと心に誓っていた。手術する前に腫瘍がどんなに痛くても、癌が再発して手術したあとに比べれば痛みは比較的穏やかであることを、彼女自身が目撃した患者の苦しみから知ることのできる立場にいた一人であった。

 初めて私が彼女にあったのは彼女が腫瘍にかかってから数ヵ月あとのことであり、それはすでに両胸から両肩に広がっていた。たまたま激痛が走る以外はほとんど彼女の重荷にはなっていなかった。彼女はそれについて医者に相談していなかった。ただある日インフルエンザで床についたとき、医者を呼ばざるをえなかったのである。その医者は彼女を診察しているうちに彼女の胸の病状を発見し、手術をするには遅すぎるという事実を嘆き、あと一〇日の生命(いのち)と宣告したのである!
 このケースはやがて私のところに持ってこられた。患者自身の尿と水による短い絶食が実行された。それは一〇日間続いた。続いて一日一食の軽い食事が処方され、並行して、排出された尿も存分に飲んだ。腫瘍に対する効果は何も現われなかった。だが全体としての健康と患者の気分は驚くほど改善した。その結果、腫瘍自体はそれ以上の苦痛を彼女に与えなかった。彼女は親戚と住むためにさる海岸地方に引きこもったが、その親戚の人は私の理論を嘲笑し、医者たちは彼女の喘息を治すのに失敗しているにもかかわらず正統派医学(西洋医学)を崇拝していたのである。この人は六年後に死んだが、それはある医者が無害に見える風邪薬を彼女に与えてから二時間後であった。

 この症例は私の見地からして、もちろん不満足なものであった。けれども、ある点でそれは多くの非正統派(民間療法)の医者たちが主張してきたこと、すなわち、もし腫瘍がメス(手術)によって介入されなくても必ずしも患者を殺すことにはならないし、何のトラブルも起こさない場合さえあるということを証明している。

 ある医学雑誌に一つの症例が引用されていた。九十六歳まで生きた老婦人に関するもので、彼女は四十歳のときから癌の腫瘍を胸にもっていたのである! 彼女が小さな病気で診てもらった様々な医者はそれを切開することを勧めた。けれども彼女はそれが彼女に何の痛みも不便も与えないという理由で常に拒否した。おまけに彼女はメス(手術)を信じていなかったのである。

 私の最初の “癌” の症例以来、この病気の様々な階級にあるもの、癌性のものと診断され一層病状の進んだ多くの症例、そしてまた医学的ないしは外科的に治療されたあとでさえあったものも私は治療してきた。結果として私はこの問題に関するたくさんの興味深いデータを収集することができた。その多くは逆症療法理論(訳注)及び一般に流布している考えと衝突するものではある。しかしながら真性の癌は不治であるというドグマが形成されるのを見、そして素人が悪性腫瘍を治せるのに(あるいはおそらく治したことがあったのに)彼らがこの病気を扱うのを禁止する法律が通過したのを見たあとでは、このあと本書で言及する、「医者」によって癌性であると断定されたケースはほとんど誤診されたものであるとわれわれは見なさなければならない。

(訳注)
 逆症療法ある病気から生じた効果とは別の効果を生み出す療法や薬剤を用いてその病気を治そうとする治療体系。
      この語は同種療法家が自らの療法と区別するために通常のないしは伝統的な治療体系を指すのに用いた。


 初めに五人の女性のケースについて、まとめて簡単に言及しようと思う。というのは、全員が以前の治療によって偏見をもたされておらず、みんながみんな最近の発病者だからである。彼女らの症例は少なくとも早急で正しい治療が賢明であることを示唆している。しかしながら当初はこれらの患者の中で癌であると診断されたものは一人としていなかったことを強調しておきたい。にもかかわらず、安全策をとって、私は私の方式(メソッド)でみんなに絶食させ、尿の湿布もあてがって、安全な成功をおさめた。というのも、腫瘍が消えただけでなく、絶食前に経験していたよりはるかに勝る一般的な健康状態をもたらしたからである。事実、彼女らの腫瘍はあまりにも完全に消え去ったので、彼女たちはみんな自分が悪性腫瘍を病んでいたはずがないと確信したほどであった。特に私は癌だとか悪性腫瘍だとかあるいは腫物だという言葉さえ、私が相談を受けている間には決して使わないことにしているからである。
 そうでなくても人間のからだの上にできるあらゆる “しこり” や “こぶ” が悪性の腫瘍であるのではないことは、当然認められなければならない。もちろん、それが悪性かそうでないかというレッテルを貼る能力や権威をもっているのは外科医だけだけれども。比較的無害なしこりの多くがそうではないのに悪性のものであるというレッテルを貼られ、あるいはそれらが悪性のものになるかもしれない場合に、勧められて手術という結果になることがあるのは不幸なことである。かくして何百というつまらないしこりが外科的に重大な病気だとして治療されてきており、やがて癌が発生する。なぜなら、医者も素人も理解していないことだが、悪性腫瘍を招く確実な方法は女性の胸あるいは人間のからだの他の部分を切断することだからである。

※ 例えばサンフランシスコは外科手術のはびこる都市である。内科医は少なく外科医はあふれている。従って、“サンフランシスコにおける癌の死亡率は他のアメリカのどの都市よりも高い” という文章を読んでも私たちは驚かないのである(シリス・スコット『癌に勝つ』参照)。


 それではここである夫人の症例(一九二三年)を紹介することにしよう。彼女は当時四十代の初めであった。貧血ぎみで、背は平均よりやや低く、体重も軽かった。ニワトリの卵ほどの大きさのしこりが片方の胸にあった。故ラバグリアティ博士によって癌と診断され、直ちに手術するように促されたが、きっぱりと拒絶した。彼女は毎日尿と約一.四リットルの冷たい水道水を飲んで絶食した。彼女の夫は彼女自身の尿を使って一日二時間彼女のからだの頭から足に至るまで尿を擦り込み、尿にひたしてしぼったパックを日夜両方の胸にあてがった。一〇日で治癒。ラバグリアティ博士を最後に訪れてから一二日後に彼女は博士のところに戻ったが、博士は胸に何の異常の痕跡も発見することができなかった。貧血も消え去り、患者は完全な健康体に回復した。

 もう一つ別の症例がある(一九二五年)。中年の婦人。かなり大きくなった腫瘍が腋の下の近くにあった。二人の外科医が手術を勧めたが、病人は試練に直面する前にごく軽い食事を摂って休養した方がいいのではないかという自分の娘の言葉を受け入れた。一週間後に病院で手術を行う手はずが整えられた。ところが飲尿による絶食から多大の恩恵を受けていた患者の娘が、しばらくの間尿療法を続けるように母親を説得した。そしてたった五日の間に腫瘍の痕跡は跡かたもなく消えていた。二日後に家庭医が呼ばれた。医者は彼のアドバイスと手術の手はずをこのような “勝手な” 仕方で無視されたために腹を立てていた。けれども患者を徹底的に検査してみても、彼女の体調がまったく正常であることを彼は発見した。これ以上何も言うことはなかったのである。その結果彼はこのことを説明するために同僚を呼んだ。この同僚はひどく驚いたが、やはり、全く喜んだというわけではなかった。私がこの話をつけ加えるのは、患者は回復してからあとに正式に検査を受けたことを示すためである。彼女は私がこれを書いている現在、はるかに年をとってしまったが、きわめて元気である。

 さて胸に腫瘍をもった若い女性に関する一つの症例を引用することにしよう。私がこれを引用するのは、それが悪性の腫瘍であったにせよ単なる乳腺の腫れであったにせよ、私がそれまでに目撃した中で最も短期間で症状が消え失せたからである。にもかかわらず、この患者が医者の手に自分をゆだねていたとしたら、医者たちは数百の似たような症例のときと同様、手術をするように彼女にアドバイスしたであろう。彼女にあったとき、私は直ちに彼女自身の尿を飲みながら、水道水および尿湿布を伴った絶食をするように勧めた。要するに私が勧める通常の方法である。四日たったとき腫瘍は全く消え去っていた。

 さて今度は、一九二七年に私のところにやってきた婦人のケースについて述べることにしよう。またしても手術は単に結果だけを扱って、病気の原因をからだから除去しようとはしないということを示している点で教訓的である。
 問題の婦人は四十五歳で、太り気味。左胸にかなりの大きさの腫瘍をもっていた。右の胸は二年前にこれと似たような腫瘍で取り除かれていた。彼女は私の方式(メソッド)に従って一九日間絶食し、治療を受けた。その結果腫瘍は完全に消えたことを報告してきた。彼女はなお肉づきがよかったので、絶食を続けるようにアドバイスをした。二八日目に彼女を検査したが、腫瘍の痕跡はなくなっており、はるかに若く見える、恰幅のよい一人の婦人を私は見出していたのである。

 次の症例は、全く同じ方法が、外見上互いに何の関係もない病気の治癒という結果をもたらすことを示している。右胸が腫れ、そのほぼ中央に不潔でいかにも疑わしげな外観をしたしこりのある若い婦人が私のところにやってきた。腋の下にも二つの大きな潰瘍があった。彼女は家庭医から検査のために病院に入院するように勧められていたが、彼女の母親が同じような勧めに応じて手術を受け、結果として死んだことを知っていたので、彼女はそれを断った。さらに彼女自身は慢性の腹膜炎にかかっていて、虫垂は切り取ってあったが、腹膜炎は治ってはいなかった。
 彼女は私のシステムに従って四日間の絶食から始めたが、強硬に反対する親類を満足させるために絶食を中断しなければならなかった。にもかかわらず二一日後に絶食を再開し、この二度目のときには一九日間絶食した。一〇日が過ぎるとすでに著しい回復が見えていたが、一九日が終わったときには胸のしこりも腋の下の潰瘍もいかなる痕跡を残すことなく消えていた。傷跡一つなかった。けれども腹膜炎は完治しておらず(多分虫垂の手術の結果傷ついた組織のためであろう)、そこで、しばらくたってから彼女は三五日間絶食した。そして望んだ結果が得られた。

 この症例は「自然」は手術を伴ういわゆる科学的な方法よりもはるかに有能な「治療者」であることを示すのに役立つはずである。もし自分のからだに疑わしいしこりを発見した人々が、私が概略説明したこのような自然な方法に訴えさえすれば、しかも直ちに訴えさえすれば、「自然」は彼らを裏切ることはないであろう。だがぎりぎりまでほうっておくと、その遅延のために代償を支払わなければならないかもしれないのである。

 それでもなお癌による死は避けられないというドグマはなかなかなくならないと私は考える。なぜなら、どんな方法によってであれ、ある症例が治癒するや否や、“じゃあそれは癌であったはずはない” と主張するのが一般の傾向だからである。このような文句に逃避する医者たちは、正統派(西洋医学)の医者や外科医の診断力に関して反省が足りないことを忘れているのである。
 『胸』という本でディアラー博士とマクファーランド博士は次のように書いているが、著者自身による以下のような証言をどのように私たちは解釈すればよいのだろうか。
 “私は一〇〇例ほどの癌を手術してきたが、七例を除いてすべてが再発した。そしてその七例は癌ではなかったのである。さらに、いかなる種類の癌にせよ、その外科手術によって得られた貧しい結果は、この職業にとっては周知のことなのである”ボルティモアのハワード・ケリー病院のワード G.E.Ward 博士)。
 けれどももしこれらの貧しい結果がそれほど周知のことであるならば、なぜ医者はメス(手術)を推奨し続け、そしてフォーブス=ロス博士と彼の死後他の人たちが手術なしで行なって得たよい結果を無視するのであろうか。デトロイトのコッホ博士についてここで言及しておくべきかもしれない。この人は二〇年以上にわたって体内体外双方の何百という癌を微妙な化学的方法によって治してきた。けれどもアメリカ合衆国における正統派(西洋医学)の癌研究者たちからは認められるどころか、嘲笑され迫害さえされたのである。どうしてそうでなければならないのだろうか。

 結論を引き出すのは賢明な読者にまかせて、医者がメス(手術)を推奨しながらも、きわめて貧弱な回復の見込みしか提出できなかったケースを引くことに進もう。これまでは私は胸部の症例についてしか言及してこなかったが、これらのケースはからだの他の部分における腫瘍も含んでいる。読者は今や(私の)治療法についてよく知っているので、記述は最小限にとどめる。

 二十八歳の若い男性。三日の生命を宣告される。咽頭癌から性病に至るまで様々な診断を受ける。完治。今なお健在。

 六十二歳の婦人。大腸癌と診断。医者に結腸切開を勧められたが拒否。体重は約三八キロを切ったが、さらに急速に消耗に向かう。三週間で治癒。本書執筆時八十四歳。

 四十二歳の婦人。胸部癌と診断。切開とそのあとの厳格な食事療法を勧められる。けれども医者は治癒に関してはほんのかすかな希望しか与えてくれない。患者は手術を拒否。飲尿による絶食療法で完治。二一年後の現在もなお元気に生存。

 四十歳の婦人。一九三五年に、時には “ロープ・キャンサー” と呼ばれるタイプの腫瘍が発生。外科医は早く切開するようにせきたてたが、完治の希望は与えない。腫瘍の再発と拡大は実際上避けられないと言うだけである。二二日間の飲尿による絶食その他で治癒。今なお元気であるだけでなく、若々しく美しくさえある。


 かの、フランクで、聡明で、心の広い医師、故ラバグリアティ―博士は、医学的に癌あるいは腫瘍と診断された病気について私が概説した方法による治療について述べているが、これは読者にとっても興味があると思われるので、以下に引用する。

「正統派(西洋医学)の療法では一方ないしは両方の胸の除去に終わったかもしれない病気を持った女性を私は検査した。この幸福な婦人は私のアドバイスを拒絶して飲尿による絶食療法を採用し、私の相談室に傷跡一つ残さずに戻ってきて、“不治の悪性腫瘍” が治ったことを示した。」

「これらの婦人たちの多くは、一つないしは複数のしこりが二週間、中には四日という短い間に消えるのを発見した。これらのすべては、ほとんどのしこりが外科的ないし薬物的介入のあとまでは悪性のものではないこと、初期の段階ではいわゆる “恐怖の王様” も早急に対処し、そして正しい方法 ―― 疔(ちょう)・潰瘍・腫瘍や癌を壊して血流に送り込む方法で対処すれば、ごく普通の出来事であるという点において、アームストロング氏が多分正しいことを示している。」

「ところで、どんな素人であれ一つの方法によってたくさんの症例を治したと主張したり実践したりしても、私の同業者に感銘を与えるかどうかについては私には疑問がある。というのは、癌の患者を少しでも良くしたという主張でさえ公然と笑いものにされ、無視されるからである。医者という私の職業が、病気や、公然と世間を騒がせる非人間的なプロパガンダや、自分の職業も他の職業も長い間利用してきた病気に対して、明日を約束し、数日先を約束し、あるいは全く約束しないことで繁昌しているのだと考えると、私は悲しくなるのである。」


 癌の原因についての諸理論

 症例の引用ばかりやっていても単調なので、しばらく癌の原因に関する様々な理論に目を向け、それらと私の主張に何らかの関係があるかどうかを見てみることしたい。

 癌はベジタリアン(菜食主義者)の間では発生率が少ないために、熱心な肉食否定者の中には肉を食べることがこの悪性腫瘍の主要な原因であると主張する者がいる。だがもしこれが本当だとすれば、ベジタリアン以外のすべての人々(癌が発症すると通常言われている年齢以前に彼らが死なない限り)は例外なく癌の猛威に屈することになってしまう。ところが非肉食者の中にも癌で死んだ者がおり、かつ死んでいっているのである。ベジタリアンたちは主張する。「そう、いずれにせよ肉食は人体に病気を引き起こす。そしてサー・アーバスノット・レーンが主張したように、癌は健康なからだの中では発症することができない。長い間ベジタリアンであった人がもし突然肉を食べ始めたとしたら、結果として障害が起こる。あるベジタリアンの次のようなケースを引用しよう。彼は次のように主張している。あるビスケット製品はかなり奇妙な味がするが、動物性脂肪が入っているに違いない。なぜなら彼がそれを一片でも食べるといつでも必ず軽い発熱に襲われるからである」と。そうかもしれない。けれどもそれに反するものとして、私はある若い男性のケースを引用することができる。この人は肉を含んではいるけれどもペーストリーとチョコレートを含んでいない食事で長年生活したあとで、それらの食物を食べるや否や皮膚に疔(ちょう)や腫物が出現したのである。もし本当にペーストリーやチョコレートがこれらの障害を生み出し、病気に有利に作用したのであれば、それらが癌の原因であることに同意してもいいだろう! かつてトマトが癌の原因であると信じた人がいたのと同じように。

 他の長らく議論されている問題の場合と同じように、真実は悪性腫瘍の問題においても希望的観測が重要な部分を演じているということである。ベジタリアンたちは肉食が「あらゆる悪の根源である」と信じたいのであり、そして悪性腫瘍と他の病気の主役であると言って肉食を非難する。けれども、もし私たちがこの事態に良識をもって対応すれば、別の説明がはるかに合理的なものとして出現する。よく物ごとを考えているベジタリアンたちは一般の肉食者たちよりは変性度の少ない食事を摂っており、従って癌が発症する可能性も少ない。他方いわゆる “非科学的” なベジタリアンたちはたいがいマカロニ、澱粉質の食物、蒸す代わりにゆでた野菜、そして精白した小麦粉から作られたペーストリーやプディングなどを食べており、従って彼らはそのようなくだらない食物そして肉 ―― しかもしばしば缶詰の肉などに大部分依存している人々と同じように、変性した食品で生活しているのである。

 癌の原因は「子どものようになれる人」、それに似非(えせ)科学的な学問の目隠しによって真実が見えないようにさせられていない人たちにとっては明らかであるに違いない。しかし学問のある人たちは複雑なことにとらわれているために、単純なことを見すごしがちなのである。そうであるにしても、中には結局は単純なことに依拠せざるをえなくなる人もいるのである。

 正統派(西洋医学)、非正統派(民間療法医学)双方の癌研究者たちの相反する理論とドグマチックな意見であふれる膨大な書物を書いたあとで、アメリカのホフマン教授は驚くべき()結論に達したのである。つまり、食物そのものが癌の発生に何らかの関係があるのだ!という結論である。

 これが真実だと仮に認めるとしても、たいていのケースでは人々が食べる食物が原因であるのではなくて、すでに述べたように、人々が食べない食物の中に見出される必須不可欠な無機酸塩の欠如が原因なのであって、これらは血液と組織を健康な状態に保つために食べられるべきなのである。

 地下水の上に位置した家に長期間住んでいて、やがて癌が発症した人がいるということが最近発見された(癌研究者によってではない)ことを私は知っている。これはいわゆる “癌の家” と言われるものを説明する意見かも知れない。けれども、そのような人々がもしバランスのとれた食事を摂っていたらこの恐ろしい病気が発症したかどうかをなお私たちは確かめてみなければならないのである。癌性の腫瘍が “自然に” 消えたケースが、別の家に住みかえたことによって起こったのかどうかを確認することも有意義であろう。一九二五年にそのようなケースについて有名な外科医のヘースティングズ・ギルフォード氏は重要な意見を書いている。「癌は生命とりになることが避けられないと一般に見なされがちであるけれども、“自然に” 消えてしまう多くのケースが記録されている。これら記録されたケースは記録されないまま放置されているケースに比べてきわめて少ないということ以上に確実なことは他にはないのである」()。さらにまた、エリス・バーカー氏などがすでに示唆しているように、「医業」に携わる人や癌研究者たちは悪性腫瘍についての真実を一般大衆から隠そうとしてやっきになっているのかもしれないと思わせる告白もある。

 もう一つの理論をここに引用しよう。つまり普通の塩(これは食物ではない)の摂り過ぎは癌になりやすいというものである。
 『薬の生化学的システム』によれば、健康な血と組織の中には一二の重要な無機酸塩があるとのことである。従ってこれらの塩の一つを「自然」が意図しなかったような生(なま)の形で、そして自然の食品の中に存在しないような量で施してみてはどうか。さらにもし癌が言われるようにポリープ性の腫瘍であるならば、園芸家がより多くの収穫を得るためにキノコの床に温めた塩と水薬を含んだ水を撒くという事実から警告を引き出しうるかもしれないのである。
 もう一つの示唆的な点は、塩を生(なま)の形で多量に摂っているにもかかわらず、バランスを欠いたり変性した食事をしている人々の組織は、塩化ナトリウム(普通の食塩)の不足を示しているということである。塩化ナトリウムは野菜やサラダなどに見出されるほどに少量ならば組織にとって必要であり、それ故にもちろん無害であるが、調味料として体内に取り入れると有害である。同じことが鉄分についても相対的にあてはまる。鉄剤のリン酸塩は一二の無機酸塩のうちの一つである。けれども『薬の生化学的システム』の実践家たちは、最小限の鉄剤リン酸塩を与えることによってしばしば貧血を治すが、逆症療法家はそれを多過ぎるほど与えて患者の消化を妨げるだけではなく、病気の治療にも失敗するのである。

 これらすべては再度単純な真理を指し示している。貧血から癌に至るすべての病気は、もしそれらが生体構造の変化とか根深い心理的な原因によって生み出されるのではないとしたら、その原因は間違った食べ方にあるということである。

 恐怖感がどの程度癌の原因になるかを決定するのは難しい。けれども、とにかく恐怖感は不愉快な感情であって、もし長く続けば有害でもある。ところが不幸なことに、マリー・ストープス博士が一九三八年八月四日付の「ザ・ヨークシャー・ポスト」紙への手紙の中で言っているように、「医者」は彼らが一番手として軽減に取り組まねばならないそれを宣伝という方法によって逆に育てているのである。彼女は偽医師に関するホーダー卿によるスピーチの報告に言及しながら次のように書いている。

「私はそんな薬は使わないし、イギリス流のフェアプレーを信じているので、私は読者に次の点を考えるようにお願いしたい。()ホーダー卿は偽の宣伝によって作り出される “恐怖” に本質的に反対であった。けれどもそのような小さな恐怖が束になっても医者によって作り出される癌の恐怖ほどには重大ではない。その恐怖の宣伝は彼らの手と公認の病院の手によるものである。()どんな偽薬でも単に飲み込まれたり擦り込まれうるだけであって、それは医者による血管や組織への生きたビールス(ウイルス)や汚物や解毒剤の注射がわれわれの民族に与える恐るべき傷害の何分の一かしか与えることができない。ホーダー卿は “非良心的な宣伝” に反対する。けれども私がこれまでに見た最悪の非良心的な宣伝は、腐敗した毒である低温殺菌した牛乳を世間に奨めるという、医者自身によってなされた宣伝である。
 ホーダー卿のスピーチはなべがやかんのことを黒いと呼んでいるような類いの(自分のことは棚上げしている)第一級の例であることは明らかである。」

 この手紙はそれ自身で語っている。そして偽医者についても語っている。言葉の最も悪い意味における本当の偽医者は、彼自身が治せないことを知っているにもかかわらず、それを治すと公言する人である。癌を治療することが私にとって違法になる前には、私はラジウム治療(放射線治療)を受けた人を治すと言ったことは一度もない。癌それ自身はラジウム(放射線)の後遺症に比べると治療するのは児戯に等しい。そして、もし私がこれらの病気が治る望みを抱かせたとしたら、私は最も厚かましいタイプの偽医者であったことであろう。



                 生命(いのち)の水 - 奇跡の尿療法



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