ネパールでの体験報告(飲尿療法)
 【「Japan Ayuruveda Society
より 】


 カトマンズ在住の友人から飲尿療法に関しての興味深い情報が届いたの早速掲載いたします。
 これに対する質問感想をお寄せください。



 1997年5月29日  山内宥厳 様

 カトマンズにて  秋田吉祥

 なますて(合掌)

 ごぶさたいたしております。気持ちの良い五月の頃、和尚さんにはお元気でご活躍のことと存じます。いつも遠い地まで『東光寺だより』をお送りいただきありがとうございます。楽健パンのお話を読んでおりますと、あの香ばしい太陽酵母パンの香が私の鼻のなかに広がります。

 5月号の『東光寺だより』に掲載されていました聖地サグリハワーの写真をお送りさせていただきます。この地に立つと、私はいつも往時のシャカ族の人々の痛ましい光景が脳裏に浮かび胸があつくなります。大唐西域記には「池が血に染まった」とありますが、その池(マヤ堂前の泉と同じく往時から湧き続けている大きな泉のようです)は今も静かに水をたたえております。

 ラーマグラーマストゥーパにて法要の折の写真も同封させていただきます。

sagrihawa
釈迦族滅亡の地サグリハワー


 この頃のカトマンズの医療事情を少しお話させていただきます。

 西洋医学医療関係はあいかわらずどんどん増えております。あやしい病院や様々な薬を一杯並べた薬屋が林立しております。西洋医学医師になるために、数年前よりインドに行かなくても資格が取れる医学校がカトマンズとポカラにできたそうです。大丈夫なのかなあ、と心配です。

 「もう西洋医者になっても儲からない」、というネパールです。地方には全くといっていいほど医師がいないのですが、そんな所に出向こうという医師は滅多にいないようです。

 当地に出先機関を持つ住友商事が、資生堂等とタイアップして1億円の資本でアーユルヴェーダ研究所を開きました。「ネパールの主な専門家はすべて配下に置いた」、とそこの日本人代表者は豪語していました。これまでは、当地にはアーユルヴェーダの勉強機関は2年制のものしかなく、そこを卒業したらインドへ勉強に行かなくては一人前になれないといわれています。そんな実情のなかで大掛かりなアーユルヴェーダ研究所が、日本の資本で当地に開かれたということに疑問を感じます。営利目的の事情としてアーユルヴェーダがどう発展していくのでしょうか。そこまでして化粧品が必要なのでしょうか。私にはよく分かりません。

 アーユルヴェーダに関して、私なりに新しい発見をしました。

 パタンの長老シディ・ゴパール・バイティア(93歳)に、氏の蔵書にある、2000年以前から伝わるという、さまざまな動物の尿に関しての文献を抽出してもらいました。この老医師自身は試したことがないそうですが、「もう私の湿疹は11年も続いています。考えられる限りのことは今までに試してきました。でも完治することができません」と話すと、「秋田さんのように、煙草やコーヒーなど体に悪いものを止めないで難病を治そうなんていうのが無理なのですよ。困った人ですね。では一度、雌牛の尿を試してみなさい」と言われました。古い文献に「皮膚病には雌牛の尿が効く」とあるのです。

 余談ですが、数ヵ月前に内の絵師の親戚の者が、急に気を失う、という症状に見まわれ、西洋医師では役立たず、チベット医師の所に行くと「そのような症状にはサイの尿が良いと古書に記されている」と教えてくれ、さっそくパタン動物園に行き、一瓶15Rs(相場まで決まっているのにびっくりしました)で購入し、飲んでみると数日で治ってしまったのです。

 これに似たことが昨年ありました。それも内の絵師の家族が上記と同じ症状で数年間悩み続けていたのが、私の勧めで自分の尿を飲むと、2ヵ月ほどで完治したのです。それで、私は早速、我が家の裏のバフン(ブラーマン)の家に行きガイ(雌牛)の尿を貰い飲み始めました。そして、2週間が経ちました。

 そしたら、どうでしょう。

 飲尿を初めて3年8ヵ月、どうしても回復しきれなかった症状が改善に向かい始めたではありませんか(1日40~50本の煙草と10杯のコーヒーは続けています)。まだまだ何ともいえませんが、今は自分の体に起こった変化に驚いているばかりです。

 牛の尿は人間のものより大変スキッとした味で酸味が強いですが、飲みやすいものです。数種類の動物の尿の使い方は、アーユルヴェーダでは特効薬として伝え継がれてきたもののようです。そうしますと、2000年ものあいだ、皮膚病等動物の尿が効くと記されている病状に関しては、アーユルヴェーダは研究発展することができなかったと考えてもよいのでしょうか。

 ふと、ブッダの言葉を思い出します。出家するならば最低この四つを守りなさい、とブッダは『出家の四依』を示されました。そのなかに『出家僧は病の時、尿と便に依ること』と説かれています。当時はヒンズー系も含めてインド世界全体に普及していた普通の療法であったのでは、と考えます。それがどうして世界的に仏教徒のあいだでも顧みられなくなってしまったのか、そのことをこれから調べてみようと思っております。

 私のひらめきでありますが、もしかしたらガイの尿は人間にとっても、人間自身のものより効果が高いかもしれません。哺乳類の生体に必要な物質は、私ども人間も牛も似ていると思います。人間はいろんなものを食べますので、また複雑な思考生活を行いますので、その尿の味は複雑になります。しかし雌牛は決まったものしか食べず、また静かな精神生活を営んでいるため、その成分はシンプルなものになり、味もスッキリしたものになります。(注釈1)

 ヒンズー教徒たちが「ガイは神様だから食べてはいけない」と千年ほど前から雌牛を崇め始めましたのは、仏教の不殺生思想の影響であると聞いておりますが、もしかしたら、雌牛の尿は人間にとって万能薬であったからかも知れない、と感じています。彼等は今も重要な宗教儀式の折にはガイの尿を飲んでいるのです。

 11年前から今の湿疹に悩みだし、そのおかげでいろんな健康療法に出会うことができ、また仏教からもアプローチの道を見つけました。これからは視野を広く持ち、「健康と仏教」という視点から、現代社会、未来社会を考えていきたいと望んでおります。

 玄米中心食と飲尿を始めてからは、我が家には薬らしいものはなくなりました。頭痛を訴える者もいません。絵師たちの家族も同じです。絵師たちの様子は時々健康チェックをします。まずは操体法で体全体の歪みと緊張を取り、最後に、楽健法で体全体の筋肉の調整と気の流れを調整し、仕上げます。彼等もこのごろ、ようやく健康療法というものに興味を持ち始め、自分から家族に、私ども家族が実践している健康法を施すほどにもなりました。

 ながながと書き連ねました。お読みいただきありがとうございます。

 どうぞ、お体ご慈愛くださいますよう、お願い申し上げます。では、これにて失礼いたします。七月に帰国する予定でおります。お会いできます日を楽しみにしております。

 なますて(合掌)




 補足

 私が面白いと感じましたのは(注釈1)です。

「私のひらめきでありますが、もしかしたらガイの尿は人間にとっても、人間自身のものより効果が高いかもしれません。哺乳類の生体に必要な物質は、私ども人間も牛も似ていると思います。人間はいろんなものを食べますので、また複雑な思考生活を行いますので、その尿の味は複雑になります。しかし雌牛は決まったものしか食べず、また静かな精神生活を営んでいるため、その成分はシンプルなものになり、味もスッキリしたものになります。」

 これ、とても良いひらめきですね♪ これは、この方の言う通りだと思います。

(1)人間はいろんなものを食べますので、また複雑な思考生活を行いますので、その尿の味は複雑になります。
(2)雌牛は決まったものしか食べず、また静かな精神生活を営んでいるため、その成分はシンプルなものになり、
   味もスッキリしたものになります。



 人間の尿が臭くて不味いのは「食事に原因がある」ためです。医学的に見ても、全身を巡っていた動脈血が腎臓の糸球体に入り、ろ過されて作られる液体が尿なのですから、尿の元は血液であるのが分かります。食べたものが消化を受けて腸内で吸収されて血流に入るのですから、血液の元は食事であると言えるでしょう。食事の質が血液の質を決め、血液の質が尿の質を決めているわけです。

 食事によって血液が決定づけられ(食事が良ければ血液も良くなり、食事が悪ければ血液も悪くなる)、その血液の一部が尿として出て来るのですから(腎臓で血液から濾し取られることで生産された液体が尿)、食事 血液 尿 という流れがあるわけです。つまり、食事の良し悪しによって血液の良し悪しが決まり、血液の良し悪しによって尿の良し悪しが決まる、と言えるのですね。尿が臭くて不味い「不浄な尿(汚い尿)」になっているとすれば、それは血液が臭くて不味い「不浄な血液(汚血)」になっている証拠であり、血液がそのような「不浄な血液(汚血)」になっているのは、日々食べている食物が「不浄な食物(汚れた食物)」であるためなのです。「自分の尿が臭くて不味い “不浄さ(汚さ)” を感じる人は、自分の血液も(その汚い尿と同様に)臭くて不味い “不浄な血液(汚血)” になっている」ことを決して忘れてはいけません(尿は血液の一部血液=尿)。

 尿の元である血液をそのような “不浄なもの” に堕してしまっているのは、日々の「間違った食事が原因」です。尿を清浄にしたければ血液を清浄に、血液を清浄にしたければ食事を清浄にせねばいけません。ご自分の尿が臭くて不味い人は、ご自分の血液も同様になっていますから要注意です。ご自分の尿がきれいでは無く「臭くて不味い汚い状態」になっているならば、ご自分の血液もその「汚い尿」と同じ状態になっていると理解されたほうが良いです。東洋医学で「万病一元、血の汚れ」と言われているように、血液の質が「身体の良し悪し」を左右し決定づけていくのですから、その血液の質の「バロメーター」である尿がきれいで清浄になるような食事を選択していきましょう! 清浄な血液が心身を守り、育むのです。

 (1)は、人間は「多種多様な複雑な食事」を取るために血液が悪化して、その悪化した血液のまま「悪化した尿が出て来る」ということを言っています。「尿の味が複雑」というのは、たいていは「臭くて不味くて塩辛い尿」ということでしょう。これは何も、尿が勝手にそのようになっているのではなく、尿がそのような「臭いニオイ」と「不味い味」になってしまうような食事を取っているのが原因です。決して、尿が悪いわけではありません。

 (2)の「雌牛は決まったものしか食べず、また静かな精神生活を営んでいるため、その成分はシンプルなものになり、味もスッキリしたものになります」ですが、これはまさにその通りで、「生菜食者の尿」も同じです。生菜食を中心とした食生活をしていますと、尿は非常に「シンプルな味」になります。私は生菜食中心の食事ですが、朝の尿は少し酸味のある時があり、薄いローズヒップティーか梅茶のような美味しい酸っぱさです。生菜食を食べたあとに出る尿はほろ苦い時があり、これは薄い緑茶のような味がします。その他の尿は基本的に無味無臭です。私は自分の尿を見る時、「尿は汚い排泄物」だというイメージがまったく湧きません。尿を「汚い汚物」に堕させてしまっているのは、間違いなく「人間の間違った食生活が原因」なのです。

 この記事では「牛の尿は人間のものより大変スキッとした味で酸味が強いですが、飲みやすいものです」とも言われていますが、これはおそらく、インドの牛は天然の草を食べているので、生菜食者と同様に「飲みやすい尿になっている」のだと推測できます。生菜食者の尿は「酸味が強い」まではいきませんが、尿に酸味のある時は(私の場合ですが)上述のように「薄いローズヒップティーか梅茶のような美味しい酸っぱさ」になります。無味無臭の尿よりも、ハーブティーのように美味しくてグッドかもしれません(笑)。尿があまりにも無味無臭ですと、何と言うか、味にパンチが無さ過ぎて、飲尿療法が味的につまらなく感じる時もあります(我がままですね・・・)。

 また、「ガイの尿は人間にとっても、人間自身のものより効果が高いかもしれません」というのは正しい見解だと思います。生菜食者の尿は、普通食者の尿よりも遥かに質が高いはずだと思っています。私が生菜食を実践してきた中で、甲田療法に対して気がついたことは、『玄米・葉菜野菜・根菜野菜・豆腐・黒胡麻・自然海水塩』という非常に「単純な食物」を、(豆腐・黒胡麻以外は)単純に「生食」するという「自然界に一番近い単純な食べ方」をするところに「高い効果がそのまま単純に現われてくる」ということでした。食物を火食(調理)をしたり、加工したりする必要はないのです。いや、むしろ、その火食(調理)や加工が単純さを失わさせ、治療効果を遠回りさせます。

 そして、「雌牛は決まったものしか食べず」という部分が大きなポイントです。「決まったものしか食べない」、これは案外と重要な食養観です。日本の長寿村でも、世界の長寿郷でも、長寿地域に共通する点は「決まった単純な食物を年中食べている」ところです。だからこそ、腸内細菌はまったく乱れず、必要な栄養だけを得て、不要な余剰物質を発生させず、過不足ない「食の在り方」が健康を実現するので、それが自然と「無病息災の長寿の姿」として現われているだけなのですね。何でもかんでも多種多様に複雑に食べれば良いのではありません。多種多様な食物を複雑に食しているのは先進国の国民ばかりですが、そういう地域では必ず様々な病気が発生して来ます。食物を多種多様に複雑にする、こういう自然から逸脱した「間違った食事」をしていると、人間の心身にも「間違い」が起こって来るのです。食物や食べ方は「単純でシンプル」が一番良いです。やはり、長寿という実地として現われている「長寿地域の食の姿」が正しいのです。


 釈尊(ブッダ)の言葉『出家僧は病の時、尿と便に依ること』、これは素晴らしい言葉だと思います。尿は『飲尿療法』として昔から世界中で活躍して様々な病人を救って来ましたが、便、つまり糞は、これはあまり聞かない人も多いはずだと思います。食糞などと言うと、眉間にシワを寄せる人ばかりでしょう(笑)。でも、食糞行為は自然界では「普通の行為」なんです。

 ペットのワンちゃんでさえ、平気で自分の糞尿を口にします。犬は腸が短いので、糞にまだかなりの栄養が残っています。犬の糞は汚くはなく、犬は栄養摂取として自分の糞を食べるのです。

 また、自然界の象の赤ちゃんは母親象の出した糞を食べて育ちます。母親象の出した糞には栄養がたくさん残っており、腸内細菌も含まれています。哺乳類は母乳を飲んで栄養を摂取し、同時に母親から腸内細菌を受け継ぐのですが、象の赤ちゃんは母乳が飲めませんから、象の赤ちゃんは母親象が出した糞をすぐに食べることで、母親象の糞にたくさん残っている栄養を摂取し、母親象の腸内細菌を受け継いでいるのです。これは、自然界の「通常の営み」に過ぎません。

 インドや中国では、現在も糞を薬として使用しています。大昔から、糞が薬として利用されて来たのです。釈尊が『病の時、尿と便に依ること』と言われたのは正しいことで、医療も薬も何もない場所では、自分の尿と便を正しく活かせば、それが療法となって治病に役立つからなのです。


 そして、「玄米中心食と飲尿を始めてからは、我が家には薬らしいものはなくなりました」とありますが、これは我が家も同じです(笑)。これは、やってみれば分かります。食養実践者はみなさん同じだと思いますが、経験的に「玄米菜食の良さ」が分かってしまうと、単純に「あぁ~、なるほどなァ~」くらいなもんです。玄米菜食を中心にした食事にして、肉食がしたい時は魚介食(白身の魚・小魚など)にすれば、普通食をしていた時と比べて、心身は丈夫になってくるはずです。これを経験して初めて、「食事の在り方が “心身の良し悪し” を大きく左右している」ということが身をもってよく分かってくるのです。

 一般的には、甲田療法の『生菜食療法』を厳格にやれる人は非常に少ないでしょう。しかし、玄米食の副食として「生菜食(多種多様な生野菜食)」を多食することくらいは、誰にでも即日からできるはずです。生野菜食が胃腸に負担となる方は「生野菜ジュース」でも良いです。食事で生野菜を多く摂取すれば、誰でも必ず「飲みやすい尿」に変わります。「飲尿療法の価値」をご自分の癌治療に活かすために、「生菜食(多種多様な生野菜食)」や「生野菜ジュース」をぜひ併用されてみてください。