本当の医学
 【「西式健康法 掲示板」(甲田光雄先生のお弟子さん)より 】


 甲田療法と西式(西式健康法西医学)の真髄は、微量栄養素と解毒、副作用が非常に少ないという、生活習慣を医学に応用した「解毒学」と言えるのです。

 医科学とビタミン学全ては、取り入れる、取り込む学問です。

 取り込む勉強や研究を主体としている世界中の学問は、解毒学と分解学に関しては、研究が全然進んでいないのです。

 民間療法も、鍼灸も、整体も、実は「解毒学」と言えるのです。

 解毒学を極めて、初めて「体内に取り入れる医科学の学問が生きる」のです。

 今、私の頭には、大げさではなく、溢れるように世界中の知恵の点と線が繋がりゆきます。

 B型肝炎の副作用がない完治に繋がる療法も知り得たので、今後、公開していきます。

 本来、医学は「知恵の集約化」ですから、誰のものでもありません。

 高額医療にする必要がなく、お金儲けではなく、生きていける程度で充分なのですね。

 日本国内で完治できる可能性の膠原病治療など、情報公開がありません。

 患者の会も「医者の手先」程度で、新薬の情報公開と新薬のお勧めしかしていないのです。

 日本中で、誰もこの間違いを正していません。

 誰もしないのなら、私が治して、私の仲間も治して、真実を広めていくしかないようです。

 他人だからと、真実を知りながら何もしないで、救える命を救わないのなら、私自身も助からなくても良いと考えてしまうのです。





 感想 ( 甲田療法の真髄は、自然に順じた「シンプルさ」にあり!)

 甲田光雄先生のお弟子さんは、ここで分かりやすく「西式甲田療法の真髄」をお話しされています。
 それは、次の部分です。

「甲田療法と西式(西式健康法西医学)の真髄は、微量栄養素と解毒、副作用が非常に少ないという、生活習慣を医学に応用した『解毒学』と言えるのです。
 医科学とビタミン学全ては、取り入れる、取り込む学問です。取り込む勉強や研究を主体としている世界中の学問は、解毒学と分解学に関しては、研究が全然進んでいないのです。
 民間療法も、鍼灸も、整体も、実は『解毒学』と言えるのです。
 解毒学を極めて、初めて『体内に取り入れる医科学の学問が生きる』のです。」


 私が当ブログサイトでお伝えしたいことのひとつに「食べないことの重要性」があります。世間の食事療法の誤りで多いのが「食べることしか言わない」というのがあります。『少食』や『断食』という「食べない方向性」の重要性がまったく分かっていない食事療法が、世間にはやたらと多いのです。

 食事療法というのは「食べる方向性」のことですから、当然「食べる内容」が重要であるのは言わずもがななのですが、しかし、それだけでは、治病の上では絶対に足りないのです。如何にその食事療法が良い食事内容であろうとも、病気は「食べているだけでは治らない」のです。食べているだけでは「栄養摂取止まり」になってしまい、体に備わっている「排泄」「解毒」の力は強力には発露しません。「吸収は排泄を阻害する」という「人体の仕組み」があるからです。しかも、「食べないでいる時にこそ、治癒力は最大に働く」という、現代医学が無視し続けている「人体の妙理」がありますから、食べているだけでは「治癒力」も強力には働かないのです。

 人間の体は、食事を取った時点で強制的に自律で消化活動に入らさせられ、内臓はフル活動させられます。その間は、体の排泄・解毒の作業は休んでしまうのです。その消化吸収が終わったあとで、胃腸が休んでいる時に、体は「排泄」「解毒」「治癒」の作業に本格的に集中できるのです。それがたとえ、如何に良い食事内容であろうとも、食べてばかりいて『少食』や『断食』を上手く活かさないと、体に備わっている「排泄」「解毒」「治癒」の力は、活発旺盛には働かないのですね。

 ゆえに私は、(当ブログサイトで何度も出てくる内容だと思いますが)食事療法という「食べる方向性」だけではダメで、「食べる方向性」に『少食』や『断食』という「食べない方向性」を組み合わせた方法でなければ、治病としては弱いと言っているわけです。「食べない方向性少食断食」を大事に活かしていかないと、体に備わっている「排泄力」「解毒力」「治癒力」はしっかりと発露して来ません。「食べる方向性」しか得ていないと、そんなことでは「栄養摂取止まり」になってしまうだけです。当然それも大事ではありますが、「食べない方向性」である『少食』や『断食』をしっかりと活かしてこそ、体の「排泄力」「解毒力」「治癒力」が強力に働いて来るのです。

 だからこそ、西式甲田療法では『少食』や『断食』を組み入れて「食べない方向性」をフル活用することで、体の「排泄力」「解毒力」「治癒力」をう~んと引き出していたわけです。これは、甲田光雄先生がこの人体真理をよくご存じであられて、これを活かさなければ病気を治すには力が弱いことを悟られていたからだと思います。

 私もこの点を重視し、「食べる方向性」の食事療法に「食べない方向性」の『少食』や『断食』を必須として加えて、『食事療法』と『少食療法』と『断食療法』の3つを併せて「食養」と呼ぶようになりました。
あくまで勝手にですが・・・

 西式甲田療法は、この「食べない方向性」である『少食』や『断食』を活かしきっているので、体に備わっている「排泄」「解毒」「治癒」の力が最大限まで引き出されて来て、数多くの難病患者、重病患者を救うことができたのだと思います。



 甲田光雄先生の創始された西式甲田療法の『生菜食療法』は、西勝造先生の創始された西式健康法の『生食療法(野菜の生食)』が原点です。西式の『生食療法(野菜の生食)』では、通常は「生玄米粉」は使用しません。西式健康法が世に出た当時は戦後すぐ(1949年昭和24年)だったので、ちょうど日本は食糧難の時代でもあり、生野菜が思うように手に入らない時期でした。生野菜がどうしても不足した時の代理として、仕方なく「生玄米粉」を使用していたのです。


             [原本] 西式健康読 西勝造(著)1949年


 西式の『生食療法(野菜の生食)』は「生野菜だけ」を使用する食事療法で(1100~1300g)、基本的に「生玄米粉」はメニューに入っていません。しかし、食糧難で生野菜が入手できず不足している時には「生玄米粉を一日1合5勺(生玄米1合で、生玄米粉1合6勺くらいできます)」+「生野菜300~450g」で対応し、生野菜が入手できるようになったならば、すぐに「生野菜1100~1300g」に戻す、というものでした。

 甲田光雄先生のお弟子さんは「甲田療法と西式(西式健康法西医学)の真髄は、微量栄養素・・」と言われていますが、この『微量栄養素』というのが西式の『生食療法(野菜の生食)』の真髄でもあります。つまり、穀物は玄米と言えども一切使用せず、多種類の生野菜の「ビタミン」「ミネラル」という『微量栄養素』だけを摂取した時に、体に大きな改善反応が現われるのです。

 しかし、西式の『生食療法(野菜の生食)』は摂取カロリーが低すぎて、一般的にはかなり過酷な食事療法でした。(甲田光雄先生は「生野菜ミックス200gで60kcal」の計算で良いと言われていますので、生野菜1300gあっても摂取カロリーはたった390kcal しかないことになります。これでは、かなり厳しいです

 この西式の『生食療法(野菜の生食)』の継続の難しさを解消すべく、『生食療法(野菜の生食)』では通常使用されていなかった「生玄米粉」を規定に採用して取り入れることで摂取カロリーを必要最低限増やし、生野菜は何でもかんでも使用していたのを「使用する生野菜を選定して」固定し、西式の『生食療法(野菜の生食)』を誰にでも実行継続しやすくなるように改良したのが、西式甲田療法の『生菜食療法』だったのです。これで、継続することが非常に難しかった西式の『生食療法(野菜の生食)』が、誰でも気持ちひとつあれば、比較的容易に継続できるようになったのです。



 西式甲田療法の『生菜食療法』は上記のような『微量栄養素』の摂取を大事にした上で、「食べる方向性」として一番強力な『生玄米粉+生菜食療法(植物の生食の力)』に「食べない方向性」である『少食療法』や『断食療法』を組み合わせることで、「食べる方向性」と「食べない方向性」の『陰陽の力』を融合させた『陰陽の食理』を最大限に活用していたのです。

 中には、胃腸が弱っていて「生玄米粉食」や「生菜食」ができない患者さんや、体力が無くなっていて「少食」や「断食」ができない患者さんもいますから、そのような場合には、まずは「玄米クリーム」や「青汁」「豆腐」などの食事で胃腸を癒して体力を養うことが先決となります。こうして胃腸が癒されて体力が向上したあとで、ようやく『生玄米粉+生菜食療法(植物の生食の力)』や『少食療法』『断食療法』ができるのです。

 ですから、いきなり『生玄米粉+生菜食療法(植物の生食の力)』『少食療法』『断食療法』ができる方は幸せですよ。その分、より速く治療が進みます。

 『解毒力』の強い「生菜食療法」と「食べない方向性少食断食)」を組み合わせて活かす中にこそ、甲田光雄先生のお弟子さんが「甲田療法と西式(西式健康法西医学)の真髄は、微量栄養素と解毒、副作用が非常に少ないという、生活習慣を医学に応用した『解毒学』と言えるのです」と言われた『解毒学』が潜んでいるのですね。西式甲田療法はこの『解毒学』を真髄としているからこそ、大きな成果を残せたのです。甲田光雄先生が『宿便は万病の元』として「宿便の排泄」を重視していたのも、この『解毒』を大事にしていたからなのです。

 食事療法で非常に重要な要点は、「食べる方向性」だけに偏るのではなく、「食べない方向性少食断食)」を活かして体内の「排泄」「解毒」を成し得て、体の中を「クリーンニング(体内浄化)」することです。そこに、「治癒力」が最大限まで発露して来て、「免疫力」も高まるのです。「食べる方向性」だけでは、食の『陰陽の力』である『陰陽の食理』も一方のみとなってしまうでしょう。そんなの損です!

 「食べない方向性少食断食)」を活かす時にのみ、ようやく宿便が出て来て腸麻痺が治り、腸機能が回復して腸の吸収性が飛躍的に向上するのです。そこで初めて「食べる方向性栄養摂取)」が最大限にまで活かされてくるのですね。このことを、甲田光雄先生のお弟子さんは「解毒学を極めて、初めて『体内に取り入れる医科学の学問が生きる』のです」とサクッとあっさりめで言われています。ここは、非常に重要な「食養の視点」です。この視点がまったく抜けている食事療法が世間にはまだまだ非常に多いので、「食べない方向性少食断食)」を活かす大切さに気づかれてください。特にこれは、癌治療では超重要です!



 甲田療法の『生玄米粉+生菜食療法』という「植物の生食」療法で使用されている食品は、他の食事療法と比べると、かなり食品数が少ないでしょう。穀物は1種類で玄米のみ、野菜は葉菜類5種類と根菜類3種類、豆類は豆腐、あとは、黒胡麻、自然海水塩、エビオス、スピルリナ、この程度です。実に「シンプル」ですね。芋類も、山芋以外はまったく使用しません。海藻も使用しません。でも、それで良いのです。

 なぜ、それで良いのか? なぜ、これで成り立つのか?
 それは「生食」だからです(植物の生食)。
 この「生食の力」を最大限まで活かしているからです。

 自然界の動物は調理などできないので、当然「生食」をしています。そして、食べている食物(食品)はたった数種類です。中には、1種類しか食べない動物も多くいます。でも、それで丈夫に生きているのです。これは「生食」をしているから成り立つのですね。食物を調理して火食すれば、失われるものが多いです。自然界の動物は「生食」をしているからこそ、たった数種類、中には1種類の食物だけで自分の生命を生かすことができているのです。
 また、自然界の動物は「腸内細菌」が優れているので、この「腸内細菌」が自分に必要な栄養素を産出して提供してくれています。健全な「生食」と健全な「腸内細菌」、これが自然界の動物がたった数種類や1種類の食物だけで生きることができる理由です。

 これが人間の場合、食物は決まって調理して火食で食べていますね。自然界の動物からすれば、異常なまでに多種多様な食品(食物)を食べています。多種多様の食品(食物)を調理して、火食して、精製して、加工して、不完全なものに堕した食物を食べているので、体質が弱体化して体が弱まり、年齢と共に体が衰えていくのです。多種多様な食品(食物)を食べると、腸内細菌が乱れてしまうので良くありません。火食をすると食事を多量に食べなければ体を維持できなくなり、自然と過食に陥ります。体内には「火食の毒」が発生し、体はその「火食の毒」を解毒しなければならなくなるのです。火食は「体の弱体化の始まり」なのです。

 自然界の動物は一切の食事が「生食」なので、たった数種類や1種類の食物だけで足り、「腸内細菌」も健全そのもので乱れません。火食を一切しないため、人間のように余計な病気などしないで済み、年を取っても、体は人間のような衰え方をしません。人間と同様に年を取るにつれて体が衰えて病気になってしまう動物は、日常的に「飼料やペットフードなどの加工食品」ばかり食べさせられている「人間に飼われた畜獣やペット」だけです。自然界の動物はその一切の食事が「生食」ゆえに、年を取るほど生命力が旺盛になっていきます。そして死期が近づくと、最後の最後で一気に体が衰えていき、そのまま自然死していくのです(ハンティングされた動物は別です)。食と体とは、強く関連しています。これが、自然のままの「食の仕組み(生食)」を守った動物たちの、自然のままの「正しい(普通の)体」なのです。

 ただ人間でも、火食はしていても健全に生きている人々がいます。それが「日本の長寿村」や「世界の長寿郷」といった長寿地域で暮らす人々です(現在では、日本の長寿村はすべて消滅しています)。この長寿地域で暮らす人々は自然の中で暮らしているので、先進国のように豊富な食物がありません。その時期に自然界から産出される数種類の食物を、工夫しながら食べているわけです。食養学の基本中の基本である「一物全体食」や「身土不二」を守った食事をしているのですね。そして、実に「少食」です。長寿地域の人々は、その地域でその時期に毎年決まって収穫される同じ「数種類の食物」を「少食で食べている」ので、「腸内細菌」は乱れず健全で、余計な病気などしないで済み、無病息災の長寿を維持しているのです(他にも理由はあるでしょうけれど、この食の姿が長寿の大きな理由であることは確かなことでしょう)。この長寿地域の「食の実地」からつかむべきことは、「長寿地域の人々のように多種多様な食品(食物)など食べずとも、たった数種類の食品を正しい食べ方で少食で食べていれば、体はかえって健やかになる」という事実です。長寿地域の人々は、ほとんど肉食などしません。まず、植物食が中心です。これで良いのです。



 ここで、甲田療法の『生玄米粉+生菜食療法』に戻りましょう。
 なぜ、甲田療法がこの「シンプルさ」で効果するのか、もう分かりますよね。

 必要最低限の食品数に選定して抑え、自然界の「健全な食の仕組み」に順じた「生食」を活かす、このシンプルさにこそ価値があります。自然界の仕組みに外れた「余計なこと(調理火食精製加工)」は一切していません。このシンプルさ成ればこそ、自然界の仕組みに随った時にのみ発露する「体の力」が現われ始めるのです。こうして「体に発露した自然の力」が、体を強力に「立て直してくれる」わけです。余計に食品を食べたり、余計に食事量を食べる必要なんてないのです。「余計な食品数」と「余計な食事量」は、やがて体に「余計な病気」を生み出す元になります。甲田療法の『生玄米粉+生菜食療法』は、食における「余計なもの(余計な食品数と食事量)」と「余計なこと(調理火食精製加工)」を極限まで削ぎ落としたシンプルさ成ればこそ、治病をさえぎってしまうような「余計な妨害」が一切起こらず、ダイレクトにスムーズに効果するのです。これでいいのだ!


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 「バカボンのパパ」の言う通りです。 これでいいんです♪
 甲田療法の『生玄米粉+生菜食療法』は、やってみれば、その意味が身をもって分かるようになります。

 今(2013年)から7年ほど前、私は生菜食を開始するまで、若僧なのに寒さに弱く、冬になるといつも手足が冷たくなり、それがまるで氷のようでした。もともと乾燥肌なので、特に冬は、いつも頬や唇や指がひび割れて血が出てきてしまうので、男なのにアロエ乳液を常に付けていました。そうしないと、すぐに皮膚がひび割れてしまい、血が出てくるのです。
 そして毎年、春先頃からは花粉症が起こりました。生菜食を始める数年前から花粉症が酷くなり、生菜食を始めるその年まで、花粉症が起こると鼻水が止まらず、鼻で呼吸ができなくなり、目は涙が止まらず、それが物凄く痒く、もうつらくて苦しくて・・ 本当にたまりませんでした。
 また、私はよく風邪をひきまして、私の家族は昔から年中風邪をひくので、我が家の薬箱には常に何箱ものパブロンゴールドが待機していました。私も何度パブロンゴールドのお世話になったかしれません。我が家は家族全員、皆揃って、本当に「早めのパブロン」を厳守していました。

 私は7年ほど前の5月頃から生菜食を始めました。私の生菜食は「もう(植物の)生しか食わねぇ~ぞォ~!」の意気込みだったので、最初の3年間くらいはほぼ「植物の生食」だけの食事に固めていました。夢中で生菜食ばかりしていました。生菜食に意地張ってたかもしれません。なぜかは分かりません・・・。
 生菜食を始めてから1年後、気づけば上記の症状はすべて消失していました。あの年以降、特別に寒さは感じなくなり、花粉症はまったく起こりません。皮膚は乳液を付けなくてもひび割れることなく、風邪をひくことも一切なくなりました。

 この事実を確認した私は、すぐにこう思いました。

「生菜食というのは、どうやら、体の『生命現象(生命機能)』自体を強化してしまうようだな・・。
 病院にお世話になったって一切治らなかったものが、たった1年でだいたい無くなってしまったよ・・・。
 明らかに、体の元々の力が強化された証拠だ。
 これはたぶん、もともと体に在った力が発露して現われて来たんだろうな!
 あぁ~、そう言えば、自然界の動物って生食しかしないよなァ~。 お料理なんて、できなもんなァ~。
 自然界の動物は生食しかしないからこそ、人間とは違って余計な病気をしないで済んじゃうんだろうな・・・。
 そう、生食をしているからこそ体が衰えず、最後まで丈夫に生きることができるんだろうなァ~。
 ハッハァ~~ン、なるほど、そういうことか!」

 私はこの経験をもって、生菜食の妙理に触れたような気がしました。そして私は、自信をもって父母に甲田療法を薦め、父母は「長年、病院通いをしても一切治らなかった持病が改善してくれた」という結果を頂いたのです。

 バカボンのパパは、なかなか素晴らしい名言を残されています。

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 人の世の中、社会的に肩書のある「一見良さげに見える人」ほど、人間だけに通ずる常識(という名の非常識)に流されて生きている人が多いです。だから、人生の最後にはその清算を受ける人が非常に多いのです。

 バカボンのパパのように「一見バカに見えるような人」って、実は人間だけに通ずる常識(という名の非常識)をとっくに卒業して、一般の人ではなかなか見えない、奥深い何かを見据えている人がいるものです。

 上記のバカボンのパパのセリフは、まるで、近代随一の聖者と謳われたインドの「シュリ・ラマナ・マハルシ」が残された言葉「あるがままに」に匹敵する意味が含まれているような気がします。

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 ラマナ・マハルシは「悟りを得たい・・、どうすれば良いでしょうか?」と訪ねてくる人々に対して、「私は誰か? 私は何者か? ただ、それだけを考えなさい」と言われていました。この言葉に、私は素直に共感します。普通の人は自分以外のものに気を取られ、他人ばかりが目に映ります。誰も本当には自分を理解していないものです。自分すら見つめられず他人ばかり見て、自分の外側ばかり見ているような人に、本物(本当)と出会えるような縁(えにし)は生まれないよ、ということだと私は思います。「私は誰か?」と自分を見つめ、自分の心の内奥、その奥の奥へとひたすら進み、自分を本気で内向しない限りは、いくら自分の外側ばかり見つめて求めていても、そこに在るものは「形が有るだけの抜け殻」に過ぎないのだよ、と言われているような心持ちに私はなるのです。

 この宇宙のすべてが「一人の人間」であり、銀河のひとつひとつが「一人の人間」です。
 恒星であれ、惑星であれ、どの天体も「一人の人間」です。
 高次元から一番低い次元の人間界まで、このすべての存在をひっくるめて「一人の人間」です。
 今、地球には70億人の人間がいますけれども、この70億人の人間すべてで「一人の人間」なのです。
 そして、人間の体を構成している60兆個の細胞のひとつひとつが、それぞれ「一人の人間」でもあります。
 宇宙から細胞に至るまで(マクロからミクロに至るまで)、それぞれ「その規模が違う」だけで、基本的には同じ「一人の人間」なのです。

 この世には「自分は他人であり、他人は自分である」という霊的真相(本性)があります。
 自分と他人は、元は「同じ自分」です。 元は「同じ存在」が、自分と他人に分かれているだけです。
 自分にとって、他人とは「違う自分の現われ」に過ぎないのです。 他人とは「違う自分」なのですね。
 ですから、この世というものは「元は同じ様々な『違う自分』同士が、その特別な(必然な)ご縁の中で、お互いに(喜怒哀楽、様々に)切磋琢磨し合いながら、『同じ自分』を育て合って成長している」のが真相なのです。
 特に、家族身内とは一番近い「違う自分」なのです。 特別なご縁ですから大切にしていきましょう!

 人類で初めてこの重大事に気づかれたのは、おそらく「釈尊」だったのでしょう。
 「違う自分」である他人を助ける行為は、自他共に救われていく宝です。
 この宝を、釈迦は「慈悲」と言いました。
 それはまるで、人間の体の様々な細胞そのひとつひとつ(人間ひとりひとり)が、お互いに支え合い、その役割を果たし合うことで、ひとつの人体(人類全体)を生かしめている姿に似ています。「慈悲」は人類の土台です。

 一部の細胞(一部の人間)が暴走したら、その人体(人類)にはもはや、健康(幸せ)などないのです。
 紙ッペラ(お金)に目が眩んで「違う自分」を苦しめるような暴走を起こしてはいけません!
 単純な「因果律の仕組み」によって、後日、「同じもの」が時間差で、必ず我が身に跳ね返って来ます。
 そこは実に単純なもので、自分の元に「同じもの」がそのまま帰って来ただけなのです(転写反射)。

 「違う自分」である他人に “味わわせた経験” は、その他人とは元々「同じ自分」である自分自身が “まったく同様に経験しなければならない(経験することになる)” という単純な仕組み(因果律)がこの世にはあるのです。
 これもまた、この世を支える基本的な「陰陽原理」なのですね。


 日月神示は、「自分」=「他人」の真理を、このように伝えています。

    そなたは、食べ物は自分でないと思うているが、食べるとすぐ自分となるではないか。
     空氣も同様、水も同様ぞ、火も同様、大空も そなたぞ。
     山も 川も 野も、植物も 動物も 同様ぞ。 
     人間は 横の自分ぞ。 神は タテの自分ぞ、自分を目極めねばならん。
     自分をおろそかにしてはならん。 一切をうけ入れねばならんぞ。
     一切に向かって感謝しなければならんと申してあろうが。



 この「人間は横の自分ぞ。神はタテの自分ぞ」には、なかなか奥深い真理を感じます。やはり、霊学で言われている通り、「自分以外の存在」はすべて「違う自分」に過ぎないのが真相ではないでしょうか。「自分以外の存在は、違う自分に過ぎない」ならば、もしかしたら、自分の体内に発生して来た癌細胞は「違う自分自身の現われ」なのかもしれません。「癌細胞」=「違う自分の現われ」であり、「癌細胞」=「自分自身」です。体内に発生した癌細胞がそんなに「悪い奴」ならば、自分の中の「悪い側面」が「癌になって現われてきた」のかもしれませんね・・・。

 自分の生命を奪うような「悪い悪~い癌細胞」にお役御免して頂いてお消え願いたいのであるならば、自分の中のその「悪い部分」にもお消え頂いて改心せねばならないものが、癌患者さんには何か在るのかもしれませんよ。都合良く「癌だけにお消え頂きたい」なんて、本当に「都合の良い身勝手」になってしまうでしょう。

 私は癌に対しては、今でも「癌になった」=「自己を浄化せよ」の天与の合図だというイメージを持っています。身を浄化するためには、抗がん剤や放射線といった化学療法では一切果たせません。化学療法では、かえってさらに身を汚します。浄化に一番適しているのは、食養(食事療法少食療法断食療法)であるのは言わずもがなです。食養(食事療法少食療法断食療法)は「肉体の浄化」を果たすと同時に、その肉体を飛び越えて「精神の浄化」へと進み、さらに「その奥の浄化」へと進みます。生菜食の始まりは「仙人食」でした。生菜食とは古来、修行者が生菜食を実践することで「天に近づくための手段」だったそうです。断食も似たようなところがありますね。私には何となく分かるような気がします(笑)。

 自分も他人も、元は「同じ存在」が「違う現われ方」をしているだけですから、元々「同じ自分」同士なのです。自分が他人を見る時、それはただ「違う自分」を見ているだけです。ラマナ・マハルシは「私は誰か?」のあとに、こう続けています。「私は誰か? 私は彼である」と・・・。彼(自分以外の存在)とは「違う自分」に過ぎず、私も彼(自分以外の存在)も、元は「同じ自分」なのです。

 だからこそ、他人の幸せを願うことは「自分の幸せを願うこと」と同意で、その因果律によって、自他共に幸せに向かって救われていくのですね。これこそ、まさに「仕合せ(しあわせお互いに仕え合う幸せ)」です。

 そう言えば、バカボンのパパはこんなことを言ってました。

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 やはり、この人は単なるバカではありません。 ん~、天才というのは本当かも知れませんね・・。
 この言葉は、ここまで書いてきました内容を、簡単に総まとめして、あっさり淡白に言っちゃってます。
 この顔を見ていると、本当に幸せそうに見えますね♪

 この「バカボンのパパ」というキャラクターは、ある人物によって生み出されました。
 それは、皆さんご存知の「赤塚不二夫」先生です。
 赤塚不二夫という人から生み出されたバカボンのパパは、やはり、赤塚不二夫先生そのものだったのでしょう。
 「赤塚不二夫」=「バカボンのパパ」です。
 バカボンのパパの「これでいいのだ」という名言は、赤塚不二夫先生の中から生まれ出た「世のすべてを肯定する巨大な包容力を有している母性」に触れるような「素晴らしい言葉」だと私は思います。
 その人の言葉は、その人の心が発露した「心の表われ」です。


 では、この赤塚不二夫という人物は、一体どのような「素晴らしい御仁」だったのでしょうか?
 何かこう、自分の中に「宇宙を持つ」人物であったように思います。
 ここで、赤塚不二夫先生をちょっと見てみましょう♪


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 うん♪ うんうん♪ ちょっとだけ、銀歯が輝いていて素敵ですねぇ!

 一見バカに見えますが、このバカっぷりの奥には、一体「どのような宇宙が潜んでいる」のでしょうか?


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 うん♪ うんうん♪ やはり、バカを演じていますね! バカを演じきっているとも言えるでしょう!

 これは一見、バカに見えます!

 しかし、一見バカに見えるものの・・・、んっ!?


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 たぶんですが・・、この中に、私のような凡人では理解できない「深い宇宙がある」のでしょう・・・(汗)。

 ただ・・「何だか、あるがまま過ぎやしないか?」という疑問符はかなりあるものの・・・、あのラマナ・マハルシに重なる何かを持たれていた御仁であったのしょう。

 たぶん、これが「本当の宇宙」なのでしょうね・・・。

この人は非凡な方ですね。この姿でいてなお、周りの方々や日本国民に愛されていたのですから、凄いお人です! 普通はこうはいきません


 とにかくですね、私はラマナ・マハルシの「あるがままに」「私は誰か?」という、このシンプルさが好きです。そして、「これでいいのだ」も好きですね。シンプルなものって、奥に向かって深く深く見つめていかないと、本当にまったく理解できません。赤塚不二夫先生もです・・。シンプルなものほど、奥深い面白さがあります。

 甲田療法の「シンプルさ」もそうです。実に「奥深い宇宙」が潜んでいます。人間が手を加えていない「シンプルなもの」の中にこそ、宇宙の仕組みが「そのまま潜んでいる」のです。自然界の動物の食は「あまりにもシンプル」ですが、だからこそ、その食には「宇宙の仕組みがそのまま含まれている」ので、そのシンプルな食を取るだけで、体の中の「小宇宙が健全に働き続ける」のです。見てください、自然界の動物たちを・・。健全に生きています。その秘訣は、その「シンプルな食」の中に潜んでいるのです。自然界のこの秘訣が、甲田療法の『生玄米粉+生菜食療法(植物の生食の力)』にはしっかりと含まれています。甲田療法の『生玄米粉+生菜食療法(植物の生食の力)』の効力は、自然界に通ずるこの「シンプルな食」の中にこそ、答えがあるのです。これは、あとは各人がご自分なりに実行し得なければ、決して分かるものではありません。私も実行して初めて、そこで体感的に理解できました。

 赤塚不二夫先生のこの御姿も、無邪気な子供たちのような「シンプル性」を最後まで失わなかった結果であったのかもしれませんね! 一般の人々が簡単に失ってしまう「子供のような無邪気さ」を、心の中に最後まで有していたのでしょう。



 さて、最後に「海藻」の話をします。

 甲田療法の『生菜食療法』では、海藻は使用されていませんでした。中には「海藻はミネラルが豊富で体に良いはずなのに、まったく要らないの?」と思われる方もおられるでしょうけれど、これはおそらく、甲田光雄先生もよくよく考え尽くして、甲田療法の『生菜食療法』には海藻を採用しなかったのだと思います。

 少し考えてみましても、「海藻の生食」ってできるでしょうか?

 西勝造先生が考案された『生食療法』とは、自然界の動物の食事と同様に「生きた食物を生きたまま食す」という食事療法です。この『生食療法』で使用するのは「植物」なのですが、中には「お刺身でも良いのですか?」という方がおられたので、甲田光雄先生が「植物の生食」という意味を込めて『生食療法』と名付けました。

 つまり、「生きた植物(玄米や野菜)を生きたまま食す」のが『生菜食療法』なのですが、野菜は通常、生ならば包丁を入れる時まで生きていますので、「生きた食物を食す食事」としての究極の『生命食』の価値があるのです。ここをブレてはいけません。

 では「海藻」ですが、通常、海藻は海で採取された時には生きていますが、我々消費者の食卓に届く時には、その海藻は果たして生きているでしょうか? これが実は、お亡くなりになっているケースが非常に多いのです。その食物がすでに死んでいれば、それはもはや『死物食』ですから、本当の『生食』にはなりません。

 たとえば、昆布です。スーパーで売られている昆布ですが、みんな乾物ですよね。生昆布なんてほとんど見ません(というか、見たことないです・・)。そして、ワカメですが、これも乾物が多いです(乾燥ワカメ)。スーパーでは生ワカメと称して売られていますが、実はこの生ワカメ、産地で採取されたあと、すぐに湯通し(ボイル)されて、塩で揉まれて出荷されています。つまり、この生ワカメはすでに産地でお亡くなりになっているのです。これでは、本当の「生きている」生ワカメではありません。なぜこのようにするのかと言うと、湯通し(ボイル)したあと塩で揉んでおけば、ワカメが傷み難くなるからです。腐らせずに長持ちさせることができます。これは仕方がないです。地方の産地のワカメを東京など遠くの都会まで出荷するのですから、文句は言えません(こんなこと文句を言いたいのは「生菜食者」だけですが・・・)。また、ヒジキもほとんど乾物です。このように、町のスーパーで売られている海藻たちは、まずたいていお亡くなりになられていますので、いくら「海藻の生食」をしたくても、なかなか難しいのですね。

 我が家が何とか手に入った「生の海藻」は、次の「生わかめ」だけでした。


              天然 生わかめ(塩蔵)小 250g

              天然 生わかめ(塩蔵)徳用 400g


 ようやく探して、これだけです。我が家は関東の都会ですから、スーパーでいくら「生の海藻」を探しても、まず出会えません。自然食品さんのこの「生わかめ」しか手に入りませんでした(涙)。この「生わかめ」は完全に「生の(生きている)わかめ」です。本当に生なので、コシが強いです。湯通し(ボイル)したあとに現われる、独特の色の変化もありません(海藻を湯通しすると、鮮やかな明るい緑になります)。ただ、かなり高級品で値段が高いんですね。私は生菜食を実践していく中で海藻に強く興味が出た時期がありまして、「海藻の生食」ができるのは、私の生活圏では唯一この「生わかめ」だけだったので、少しの間、これを生菜食に混ぜて食べていた頃がありました。これは、メチャクチャ美味しいです! ですが、値段が非常に高いです(涙)。以前と比べるとなぜか値段が下がっていますが、以前はもっと値段が高かったんですね。お金持ちの方ならば別にこのくらい構わないのでしょうけれど、生菜食ばかりですと大量に食べますので、この値段の食品を大量に食べますと、それだけ出費が重なります。・・ もう止めました(大涙)。それに、「海藻の生食」に対して、私は特別に必要性を感じませんでした。

 そして、海藻食はよく「健康食♪」とか言われるんですけれども、それは現代のような運送技術が極度に発達した時代なればこそ、遠くの産地の海藻が出荷された数日後には、都会の人々がスーパーで購入できるのですね。

 しかし、海藻を生物学上から見てみると、海藻とは「海の植物」ですから、本来、海藻は「海で生きている動物」が食べるものと言えるでしょう。日本人は昔から海藻を食料にしてきたので(欧米では、海藻食の食文化はほとんど発生していません。最近は、日本を見習って欧米でも海藻を食べ始めるようになったそうです。欧米人は今まで海藻を食べる習慣が無かったので、海藻の消化は不得意のようです)、海の近くに暮らす人々であれば海藻を毎日食べることができたのでしょうけれど、運送技術が発達していない昔では、内陸部に暮らす人々が現代のように誰でも毎日海藻を食べることができたとはちょっと考え難いです。ましてや、海藻類は江戸時代は高級食材だったらしいので、海藻は現代のように民間人が誰でも簡単に手を出せるような安価な食品ではなかったのかもしれませんね。
結局、生の海藻を腐らせずに遠くまで運送するためには「天日干しによる乾燥保存」が一番良いので、海藻を乾物にしてから内陸部まで運んだのでしょう。また、「ダシ」を取るには海藻を乾物にしていないと不適切なので、生の海藻よりも乾物の海藻のほうが普及したのだと思います。それが今も伝承されているのでしょうね

 なので、「食事には、海藻が絶対に必要である」とするのは、単なる人間思考に過ぎないと思います。陸で生きている私たち人間はちゃんと「陸の植物」である穀物や豆類、野菜、果物を食べていればそれで生きていける、これが本来の自然的な「天地の恵み」だと思うのです。

 ですが、私個人的には、甲田療法の『生菜食療法』の規定には含まれていませんけれど、「生の海藻」が手に入る方は、適宜メニューに入れても良いのではないかと思います。重病患者さんや難病患者さんで「生の海藻」を食べたことが原因して症状が著しく悪化してしまう場合があるのかどうかは分かりませんが、この点は自己責任で自己判断されて、ご自分なりに試されてみてください。私は自分の実地上、特に問題はないと思います。

 ただ、人間は陸に暮らして生きているのですから、本来は「陸の植物」である穀物や豆類、野菜、果物だけで充分だと思います。甲田療法の『生菜食療法』の規定に含まれていない「海藻食」を余計に食べるよりかは、規定通りの「生菜食」をきちんとこなして、あとは少食に進めたほうが、体にはより大きな「排泄力」「解毒力」「治癒力」が発露して来ると思います。食物は、余計に食べれば良いわけではありませんから・・・。

 ゲルソン療法だって、海藻食など一切使用せずとも、生野菜ジュース(液体状態の生菜)をフル活用して末期癌患者をたくさん救っていたのですから、やはり、陸に暮らして生きている人間の基本的な植物食は、本来は「穀物」「豆類」「野菜」「果物」で充分なのだと思います。



 最後に、もう一度まとめてみます。

 甲田光雄先生のお弟子さんがこの記事でお話ししてくださっていますように、西式甲田療法の真髄は、「生菜食による微量栄養素(ビタミンミネラル)の大量摂取酵素を含む)」と共に、「食べない方向性である少食や断食」によって体に強力に発露して現われて来る「排泄力」「解毒力」「治癒力」といった「自然の力」を引き出す、この「食べる方向性」と「食べない方向性」を組み合わせた『陰陽の力』を最大限に活用することで、自分の体質を根本から改善して強化していく点にあります。

 このように、西式甲田療法は化学医薬を一切使用しない「自然に順じた食事療法」であるため、「副作用が非常に少ない(好転反応はだいたいあります)」という安全性があるのです。
現代医療は何でもかんでも、やたらと化学医薬ばかり使用しているため、とにかく副作用が多すぎます。これは、それだけ危険が多いということです。抗がん剤による「化学療法死」など、この骨頂です。現代医療を受けたことで死んでいます。今も現代医療では、医原病が多く発生しているのです

 『生菜食療法』のような、自然に順じた究極の「食のシンプルさ(植物の生食必要最小限の食品数と食事量)」は、体にもともと備わっている「自然の力」を強力に高め、体質を根本から改善させていくのです。