元記事は「2012年の黙示録です。「日本人の食物に対する考え方の変化」についての資料です。
 記事のご紹介のあとに、私の話が続きます m(__)m



人にはどれだけの物が必要か

鈴木孝夫(著)  飛鳥新社



地救原理の導入を

 神という超越的な絶対存在を引き合いに出すことなく、客観的な立場から宇宙を観察し、世界を人間中心的な色彩の濃い生物学的な見方で解釈し、人間をその中に位置づける近代の科学的合理主義が、益々その勢いを増している。

 キリスト教が唯一の権威であった時代では、あることが正しいかどうかという価値判断の究極的な基準は、そのことが神の御旨に適うかどうかという宗教的神学的な原理に帰着した。ところが今では、あることが科学的理論的に納得できるか否かが、人々の考えや行為の正否善悪を決めるよりどころとなったのである。

 西欧で支配的になりつつあったこのような新しい世界観の強い影響の下で、社会の近代化(西欧化)に乗り出した日本が、法律は勿論のこと、社会一般の道徳や規範意識までも、日本固有の宗数的色彩を急速に失い、次々と世俗化していったのは避け難い時代の流れであった。

 その結果として、以前ならば天罰や神仏の祟りとして忌避され、勿体ない、神様に申し訳ないなどと非難の的になったような多くの行為が、科学的に正しい、理屈に合う、経済的に有利だといった理由で、広く社会的に認められるようになってきた。


 日本人の自然に対する考え方、人間以外の生物や草木に接する態度まで大きく変わってきた。
 その結果として見逃せないものの1つが、食物に対する考え方の変化である。

 私たちが普段食べている物は、食塩などの僅かの無機物を除けば、その殆どが命ある生物で占められている。
 肉や魚、ニワトリや卵は勿論のこと、穀物や野菜にもそれなりの生命がある。
 だから、昔の人は物を食べるという、私たち人間の一日たりとも休むことのできない行為が、他の生物の尊い命を奪うことの上に成立っているのだという意識をはっきりと持っていた。
 生物をむやみと必要以上に殺したり、穀物を一粒たりとも粗末にするようなことは、いつの時代でも宗教的なタブーとされていたのである。

 ところが、今は違う。
 食物は食品であって、店でお金と引替えに買ってくる単なる物品と見なされるようになってしまった。

 現代人の多くは、穀物や野菜の生産現場から全く切り離され、家畜が屠殺される悲しい光景など見ることもないからである。かくして、食物はもろもろの生物の命の代償であるという感覚が失われてしまった。

 現在、野菜や穀物のような植物はまだしも、豚やニワトリのような動物までが生産効率を上げるために、命ある生物としてではなく、単なる蛋白質や脂肪、澱粉やミネラルといった栄養物資の製造機械と見なされ、例えば、極端な「密飼い」の下で、恐しいほどのストレスと不健康な状態で生まれては死んで行く。
 そのことを知っている私は、ここでも人類は間違った方向に突き進んでいると思わざるを得ない。

 私はこのようなことを見るにつけ、私たちは今こそ、現代人の心から失われてしまった、何事とは見極めのつかない、人智の及ばぬ途方もない大きな何かしらに対する畏敬の念を、改めて取り戻すことが絶対に必要だと考える。

 自分たちは、全世界の約三千万種と推定されている多種多様な生物の一員でしかないという自己の分際を忘れて傲岸不遜に振舞い、毎日のように多くの貴重な生物を死に追いやり、森林や農地を荒廃させ、地球の全生態系を擾乱し続けることは、どう考えても許されることではない。それは金銭上の損得とは違う次元の、人間の生き方の問題なのだ。






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 獣肉食における「人は自ら蒔いた種を刈り取らねばならない」という
 この世の摂理(因果律カルマ)』を感じ観て!


 肉食(獣肉食一応、鶏など)に関しては、私は基本的に「食べたければ食べる」で良いと思っています。
 私は、今ではほぼ肉食(獣肉食鶏肉食魚介食のすべて)をしません。
 肉食後の人体内における有害作用の理由もありますが、人間のご都合主義によって 、昔と比べれば恐ろしいほどの大規模で畜獣を大虐殺してしまっている・・、畜獣を酷い環境で育て上げ、最後は恐ろしい殺し方(屠殺)をし、人間の「美味しいィ~」のために命を捧げてくれた畜獣たちに「本気の感謝」もなく、舌を満足させるためだけの業にもなっている・・・、これを人間がどこまで続けていって良いのだろうか・・・ という視点が、私の中に生まれてきたからです。

 日本人が獣肉を喰らうようになったのは、日本が明治維新によって欧米化を押し進めてからです。
 しかし、その明治期の日本人であっても、獣肉を喰らっていたのは都会に暮らす人たち、金持ち、位の高い人たちであって、日本の一般庶民は昭和の戦前戦後までは、肉は食べても魚介食であり、鶏肉だって年に2回(正月や夏祭りの特別な日)程度の「ハレの日」だけでした(これは、現在95歳のうちのお婆ちゃまから、これが事実であった確認を取っています)。
 沖縄ではこの「ハレの日(年に2回ほど)」に豚肉を食べていただけであり、「沖縄の人たちは年中、豚肉を食べていたから長寿なのだ」などという戯言は、畜産業界が「豚肉の売り上げを伸ばす」ために謳った捏造です。
 事実、日本人の庶民が過去からしてきた肉食は魚介食であって(この魚介食も週に2~3回程度だったそうです)、日本人が獣肉を年中食べるようになったのは戦後以降の話であり、日本人全体が獣肉食の食習慣を持つに至ったのは、この数十年間程度の話なのです。

 日本人は戦前戦後まで獣肉食などほとんどしなかった民族であり、鶏肉食や魚介食しかしてこなかったため、日本人が分解できる(消化できる)肉は「鶏肉」と「魚介」までです。日本人は戦前戦後まで獣肉を食べてこなかった民族なので、獣肉を分解できる(消化できる)酵素を持たないのです。同様に、日本人は戦前戦後まで乳製品を食べてこなかったので、乳製品を分解できる(消化できる)酵素も持たないのですね。
 このように、日本人の肉製品乳製品の食習慣は戦前戦後以降に始まったばかりであり、肉製品乳製品の食事経験がまだ浅いため、日本人は肉製品乳製品を分解できる(消化できる)酵素を持つに至っていないのです。
 この日本人に対して「獣肉食をしなければ病気になる!」とか「獣肉食は絶対に必要だ!」とか「乳製品は重要な栄養だ!」などと謳う鬼畜発言は、まったくもって、これ「鬼畜」としか言いようがない馬鹿げた言葉なのです。

 その民族に適した食事は、その民族の「伝統食」です。日本人の「伝統食」に肉製品乳製品は含まれていません。日本人の「伝統食」に含まれている肉食は「鶏肉食」と「魚介食」です。こうした日本人の過去の食歴から「日本人の肉食」を見つめることも非常に重要なことだと思います。日本人の「消化酵素」や「腸内細菌」に適する肉食は「鶏肉」と「魚介」までであり、肉製品乳製品は日本人に適さないことを知っておいてください。
ただ、日本人は戦前戦後以降に「肉製品乳製品の食習慣」を持ち始めてから数十年の月日が経っていますので、今では、肉製品乳製品を分解できる〔消化できる〕酵素を持つ日本人もいるようですが、まだその数は少ないそうです。日本人が確実に分解できる〔消化できる〕肉は「鶏肉」と「魚介」ですから、この「消化酵素」の視点に立って「日本人の肉食」を見つめるならば、日本人は「鶏肉食」と「魚介食」を中心にした肉食をしていくのがベストだと思います


 私は(上述しましたように)一般の方の獣肉食につきましては否定までしません。
 獣肉食に関しましては、その当人の「意識レベル」によって判断が変わってきます。
 「獣肉は美味しいから食べたいわァ~」という人もいれば、「獣肉は栄養として必要だから、絶対に食べなきゃ!」という人もいれば、「動物を悲惨な飼育をし、惨い殺し方までして獣肉を喰らうのは納得できない!」という人もいれば、日本の修行者やインドのヨギのように「肉食は霊的な進歩の上で妨害となるため、すべきではない!」という人もいます。
 肉食(獣肉食)というものは、その人の心の求めるもの、それぞれの価値観によって、その見解は変わるのです。
 肉食全般に言えることですが、これは、医学生化学栄養学だけでは説明のつかないものであり、世界には肉食習慣の一切ない民族が長寿を得ている実地も多数あれば、日本においても、肉食を止めて穀物菜食だけにしてから身体が健康的になった人も実際にいれば、肉食をしなくなってから身体が衰弱してしまったという人も実際にいるのです。
 これは「腸内細菌」が関与していますが、肉食の是非につきましては、その人の身体と意識面に肉食が必要であれば必要量を得れば良いですし、その人の身体と意識面が肉食を卒業できるならば肉食は一切する必要はないのです。それは、世界中の実地を見れば明らかなることです。

 私はもともと毎日、獣肉を喰らいまくって育った口でしたが、日常食の9割を「生菜食」で暮らすようになってから、自然と肉という肉を食べたいと思わなくなり、身体が肉を求めなくなりました。
 しかし、これは私個人の身の上に起こったことであり、万人に通じることではありません。
 「獣肉が食べたい!」という人は『自己責任』でご自分なりに食べれば良いですし、「獣肉など食べたくない!」という人は『自己責任』で食べなければ良いのです。

 ちなみに、私の母は元来「獣肉も鶏肉も魚肉も大嫌い」な人です。
 母は獣肉も鶏肉も魚肉も「臭いし、食べると気持ち悪くなる・・」とよく言っていました。
 おそらく、母のような体質の人も、世の中には結構いるのかもしれませんね。
 母は医者から「肉を食べないと体を悪くする! 病気を起こす!」と脅されたそうで、母はその医者の言葉を信じ、大嫌いな獣肉や鶏肉や魚肉を無理して食べていましたが、母の「病気の総合デパート」のような虚弱体質は一向に治らず、極度の冷え症も改善せず、夏場の暑い日には極度の貧血症でよく倒れ、私は子供の頃から母が寝込んでいる姿をよく見ていました・・。

 その母の「病気の総合デパート」のような虚弱体質が本格的に改善し始めたのは、母が「生菜食」と「半日断食」を始めてからです。母は「生玄米粉」と「生菜食」を中心にした食事を取り、肉食は唯一「ジャコ」が好きだというので、その「ジャコ」をよく食べてもらうようにしました。他には、豆腐、摩った黒胡麻、自然海水塩、これらを昼食に食べ、夕食は家族と共に玄米菜食や普通食を少食で食べていました。
 母はこれを始めてから確か数ヵ月後に「ブリッジタイプの入歯に玄米の粉が入って痛くて食べられない」と言ってきたので、私は「玄米クリーム」に変更するように伝え、母はこの食事療法と断食療法の組み合わせによって、一年後には体質がガランと変わり、それまでの「病気の総合デパート」のような虚弱体質から大きく解放され、ずっとつらかった極度の冷え症も改善していたのです。

 私の母のように「肉食を卒業してから、身体の体質が本格的に改善する」タイプの人もいるということは事実なのです。
 また逆に「肉食を継続しなければ、身体が衰弱してしまう」タイプの人もいるというのも、また事実です。
 だからこそ、肉食に関しては、医者の言葉を鵜呑みにするのではなく、ご自分でよく調べ、よく吟味して、よく考えてから、ご自分なりに『自己責任』で判断するしかないのです。

 例えば、世間には「肉さえ食わなければ病気にならない」という爆弾発言もありますが、玄米菜食だけの食事で病気になる人もいますし、癌になる人もいますので、これが正しい見解ではないことぐらい分かります。
 また、世界には、欧米人で幼少の頃から適宜に肉食(獣肉食)をしてきて長寿を得ている方々も実際にたくさんいるわけですから、健康上「肉食(獣肉食)は絶対悪だ!」などとは言えないこともよく分かるはずです。
これは『その民族の「消化酵素」や「腸内細菌」が獣肉食に適しているか』という面まで考えるべきだと思います

 私は「獣肉が食べたい!」という方に対しては「週に1~2回、少食で頂くならば、大きな問題は起こさないはずですから、命を犠牲にしてくれた畜獣にせめて感謝しながら美味しく頂いてくださいね♪」と一般の方々(健常者)にはお伝えします。

 しかし、私の場合は、癌患者さんに対しては違う見解を示します。
 私が癌患者に対する糖質制限食で肉製品(獣肉食)や乳製品の採用を懸念しますのは、やはり、どうしても、世の癌研究報告によって『肉製品(獣肉食乳製品は「癌の促進剤」となる』と指摘されているからです。
ここは「肉食・乳製品の真実(肉製品、牛乳・乳製品は癌を進行させる食品)」カテゴリを参照してください

 実際に、断糖肉食という食事療法により一度は体内の癌が消失しても、また糖質(ブドウ糖)を普通に摂り始めたら癌が再発した、という症例が実地に出ているそうです。
 これは「断食をしたら癌の栄養を断ったので体内の癌が消失したけれども、また普通に食べ始めたら(癌に与える栄養を摂り始めたら)癌が再発した」という症例と同じなのです。
 これは、「体内の癌が消えた」=「癌が治ったァ!」ではない、ということを打ち明けている分かりやすい症例です。

 癌は、体内に癌を生み出している正体張本人である『癌体質』を改善してこそ、「癌が治った」と言えるのです。
 ですから、私の場合は「体内の癌が消失する」ことだけを見つめるのではなく、その後に「癌が再発しない体内環境の条件」を得ることまで考慮し、癌の再発に加担する可能性のあるもの、また『癌体質』の改善を妨げるものを「とにかく避けたい」という意識が働くのです。
 なので、『癌体質』を深めるであろう、また、癌の増殖に加担する可能性のある肉製品(獣肉食)や乳製品を癌患者の食事に採用するのは、私は反対なのです。
 魚介食は癌の増殖には加担しないようなので(参照)、日本人は昔から魚介食という肉食だけで丈夫に暮らしていたわけですから、上記の内容を総合的に見つめて判断すれば「癌患者さんのすべき肉食は魚介食をするのが賢明ではないのですか」というのが、私の率直なる意見なのです。

 断糖肉食という食事療法で一度は体内の癌が消失しても、また糖質(ブドウ糖)を普通に摂り始めれば癌が再発する可能性を懸念せねばなりません。

 一生涯、断糖の食事を継続する勇気はおありですか・・?
 一つの食事療法を一生かけて継続することが如何なることであるか、本当にご存知ですか・・?
 ましてや・・、糖質(ブドウ糖)を普通に(健常者並みに)摂り始めただけで「癌が再発する」可能性があるなどというのは、その癌患者さんは「癌が治ったァ!」とは決して言えない、というのがお分かりになりませんか・・・?
 それに、断糖肉食の食事療法で、腸内環境の改善、腸内細菌の正しい育成が成り立つとでも思いますか・・・?
 断糖肉食の食事療法で、代謝機能免疫機能の改善と向上がしっかりと得られると思いますか・・・?
 癌患者さんにおいても、腸内環境腸内細菌代謝機能免疫機能の改善と向上は絶対に忘れてはならないのですよ・・・。

 これらをバランスよく考慮し、かかる懸念材料は事前に排除して、より健全な方法を取るべきだと心得ます。



 私も今でも、お付き合いでたまに肉食をすることもあります(年に数回程度です)。
 「肉は食わねぇ~よ!」なんて言うのは失礼ですし、畜獣はすでに屠殺されているのですから、人間の食事として命を捧げてくれた畜獣に感謝して食べてあげることで、畜獣も浮かばれると思っています。
 自分の目の前に自然と出された肉食、これは縁ですから、すでに殺されている畜獣の肉を避けるのは無慈悲かなと思います。

 私はよく『転写』という表現を使います。この世の中には、

    自分が出した(発信した)行為が、時間差で(時間を置いて)、
     自分の元に同等等量のもの(同じもの)が帰ってくる(受信されてくる

 という仕組みが確実にあると思っています。

 ですから、人類が「肉食絶好調♪」によって行なった大量の「畜獣の大殺し」が、やがて本格的にそれ相応のものが転写して人類に帰ってくるはずだと、私は見ています。

 我々人間が一番屠殺しまくってきた畜獣は、やはり、牛鳥()であると思います。
 人類が舌先を満足させるために長年続けてきてしまった「牛鳥()の大屠殺」は、世界の実地に現われている現象面をよく見つめれば、すでに人類に転写してきています。
 牛は「狂牛病」で散々騒がれていましたし、鳥()は「鳥インフルエンザ」がありますね・・。
 豚は、2009年に発生した新型インフルエンザ(A/H1N1)「豚インフルエンザ」と呼ばれていたものがあります。
 WHOが最終的にフェーズ6(世界的大流行パンデミック)を宣言しました。
 これで、多くの人たちが苦しく亡くなりましたね・・・。

 この3つは、人類にとって本当に脅威です。
 こんなことを言う人は世間にはあまりいないとは思いますが、私はこれを「人間の、畜獣に対する無慈悲行為(残酷行為)の結果」と見ていいと思っています。つまり、この3つこそ、「牛鳥()の大屠殺」という「人間の行為の転写」です。

 「残酷行為」と言いましたが、これは本当です。
 ネットでは「畜獣の屠殺シーン」の映像が多々流されています。
 生きたまま解体している屠殺場もあるようですし、その映像も探せば出てくるはずです。
 (私は勇気なく、とても見ることができませんでした・・・

 「畜獣を生きたまま解体する」という資料は、ここでは紹介しません・・。
 気持ちのある人はご自分で探してください。
 ただ、覚悟して見たほうがいいですよ・・、残酷の意味が分かるでしょう・・・。
 心臓の弱い人は絶対にやめましょう・・、止まります・・・。

 狂牛病に関しては「これは人類に対する自然界からの警告だ!」と言われたりもしていました。
 「自然界からの警告」と受け止めるのも良いと思いますし、当然の如く働いた「この世の仕組み(転写)」と見ても自然だと思います。

 現代は物理学など極めて著しい発展を遂げましたが、人間の目では確認しづらいこういう仕組みに対しては、いまだに人類は鈍感な気がしてなりません・・。こういうことに関しては一部の科学者が論文を発表していても、世間にはまず出てきません・・。まァ~、これは仕方がないですね・・、そんな大真面目な論文はお金になりませんから・・・。

 昔の人が「天に吐いた唾は自分に返ってくる」というような表現をしたのも、つまらない嘘ではないのです。
 新約聖書にある「ナザレのイエス(イエス・キリスト)」が言われた表現では「人は自ら蒔いた種を刈り取らねばならない」ということですね。

 私が世間の方々に少しでも感じて頂きたいのは、この部分です。

    豚やニワトリのような動物までが生産効率を上げるために、命ある生物としてではなく、
     単なる蛋白質や脂肪、澱粉やミネラルといった栄養物資の製造機械と見なされ、
     例えば、極端な「密飼い」の下で、恐しいほどのストレスと不健康な状態で生まれては死んで行く・・・。

 私が現代人に対して一番酷いと思うのは、栄養学の入れ知恵によって現代の日本人が身に付けてしまった「食物を命ある生物としてではなく、単なる蛋白質や脂肪、澱粉やミネラルといった栄養物資としてしか見れなくなっている」と強烈に感じることです。これは、はっきり言って「酷い」の一言です。「人間の堕落」と言ってもいいことだと思っています・・・。

 もちろん、栄養学の突き止めた「栄養素の作用」などの知識は、分析医学による重要な恩恵です。
 しかし、食物の命をまるで「単なる栄養素の部品扱い」にしかできないようでは虚しいことです。
 良くないんじゃないかなァ~ と思います。

 だからと言って、ここまで進めてきてしまった畜産業界をどうしていったら良いのかなんて、私にも分かりません・・。
 今後、畜産業界がどうなっていくのかは、これは見守るしかないですね・・・。

 ただ、「この世には『転写』という仕組みがあるんだ」ということを感じ取れれば、今の私たちがしてきてしまったものは、良いものも、悪いものも、私たちの子や孫の世代がその『転写』としての結果を受け取らなければならないという摂理がこの世にはあることを、そろそろ本気で感じ取っていくべき時期に入っている気がします。

 新約聖書にあるイエスの言葉「人は自ら蒔いた種を刈り取らねばならない」というのは、個人単位を超えて、家系単位、地域単位、国家単位、世界単位・・、もちろん世代単位でもあるはずですから、前世代が蒔いてしまった種はその後の世代が刈り取ることになっている・・、良い種も、悪い種も、蒔いた限りは刈り取るしかない・・・ のですね。

 現代の肉食は、昔と違って非常に大規模になってきています。
 現代の畜産業界が散々やってきてしまった「畜獣の大殺戮」は、人間が生きるために「どうしても必要」という範囲を遥かに超えて、「美味しいから」「舌先の満足」「お金儲け(商売繁盛♪)」という要素が大きいのですから(上述しましたように、日本人はもともと獣肉食などせずに生きてこれたのです)、獣肉食という問題は「転写を受け取る」「蒔いた種を刈り取る」という視点も考慮できるようになったほうが良いのではないかと思います。


 話を地球規模に広げてみます。

 2011年以降、世界規模で(ましてや日本でも)津波や洪水などの「水の災害」が相次ぎました。
 これはあまり一般的には知られていませんが、2011年からは「ウォーター・クロック」という『水による被害が世界的に拡大していく時期(時代)に入っていく』と言われていたことです。
 2011年以前は「ストーン・クロック」の時代と表現されています。

 2011年以降を振り返ってみて、私は今も「ウォーター・クロック(水の被害が拡大していく時代)かァ~、本当だったなァ~」と感じ入っています。

 ちなみにもう少しだけ説明しますと、これは地球からの人類への「嫌がらせ」では決してなく、地球が「大浄化の時節(地球の自浄作用)」に入っている、ということです。
 19世紀、20世紀、21世紀に入ってもなお止まらない、人類の「地球破壊」がありますね。
 人類がしてきてしまった「地球への破壊行為」は、やがて人類へと転写されてくるものです。
 これは、オカルト如き低次元の話ではありません・・。

 ましてや、この数年間の世界に起こっている現象面の動きを見たって、誰だって「最近起こることは、ちょっと異常だな・・」ということぐらいは感じているはずです・・・。
現在95歳のうちのお婆ちゃまも言っていましたね

 ここでご紹介させて頂きました資料の内容に対し、ご自分なりに何か真剣に考えられる意識のある方は、本当に幸いな方だと思います。その意識は決して無駄にはなりません。
 それは、これから地球上で起こる(今まではなかった)様々な異常事象を見つめるうちに、誰にでも理解できる日が来ることでしょう。「やはり、昔の日本人の感性は正しかった・・・」、そう日本人が反省できる日が来る、私はそう思っています。

 人類が残してしまった「負の遺産(負のカルマ)の転写」は、後世(下の世代)の誰かが身に受けて「受け取らなければならない刈り取らなければならない)」のですから・・・。自分なりに気づいたところから、正して生きたいですね!