「食物と健康と霊性 ~ 人は誤った食事で苦しんでいる」という図書の中に、咀嚼に関する面白い内容があります。
 この著書は「小窪正樹」医学博士の著された「インド食養学」に関する内容です。


                          


 インド食養学では「食物のプラーナは舌から吸収される」とされており、小窪博士は咀嚼を非常に推奨されていました。プラーナとは、「気」とか「生命エネルギー」「生命力」という意味です。「生きた食物のプラーナ(生命エネルギー・生命力)は、動物の舌から吸収される」と言います。なので、インド食養学では「浸水させて発芽させた穀物や豆」と「新鮮な野菜」の生食は最高の浄性食であり、「植物の生食」は 人間の体も心も霊体(霊性)も浄化して強くする、とされています。

 私はこれを目にしたたとき、とても新鮮な感覚になりました。なぜならば、私自身が浄化食の目的で「生菜食は最高の生命食である」と理解して生菜食者になりましたから、甲田療法に見事に重なる内容で強烈な印象を受けました。

 この「食物の生命エネルギーを舌という器官で吸収している」というのは、現代医学的な立証などできるわけがありません。しかし、私の「生菜食における咀嚼の実地」の経験からは大きく頷ける内容でした。
生野菜はよく噛まないと飲み込めないので、自然と咀嚼することになります

 私は「生菜食」を食べるときにも、「浸水させた生発芽玄米」や「生玄米粉」を食べるときにも、「植物の生食」をするときには、もうとにかくは、なるべく咀嚼するように気をつけています。そうすると、食べ終わったあとには、とにかく胃腸が軽く、何やら「生命エネルギーに包まれている柔らかな感覚」を受けます。
ただ、アゴが非常に疲れますね。アゴ疲労を起こします。今ではもう慣れましたが・・・

 時間がないときなどは、たまに大雑把な噛み方で早く食べてしまうと、食後は胃腸が重くなり、せっかく食べたのに、逆に体調が良ろしからぬ状態に陥ることがあります。そういうときには、「やっぱり、咀嚼が大事だなぁ~」なんて思い、ちょうど良い復習になります。咀嚼をするのとしないのとでは、食後の「心身の状態」がまったく違うのです。

 また、私にとっては、もうずっと「生菜食や生玄米食は最高の生命食である」というイメージと感得がありまして、「生きた食物の生命が食べた側に移って吸収されてくるというのは、確かにあるようだ」と実感していましたが、その「吸収のされ方」については、一体どのような過程を経ているのか、全く分かりませんでした。
こんな内容をはっきりと解説してくれている食養図書も医学図書も一切ありませんから仕方ないですよね:笑

 二木謙三先生も「生きた食べ物を少し食べることが一番重要である」と言われていましたが、「生きた食物の生命エネルギーの吸収」が実際に体内のどこでどのようにして遂行されているのかは、何となく夢想するだけでした。

 「口内において行われているのか・・」、それとも「胃の中で行われているのか・・」、やはり、栄養吸収と同じく「腸内において行われているのか・・・」、これがまったく・・、ま~ったく分かりませんでした(笑)

 ところがこの図書では、私が長いこと持ち続けていた「この素朴な疑問(食物の生命エネルギーの吸収方法)」に関して、いともあっさりと「食物の生命エネルギーは舌という器官で吸収されている」と説明されているのですから(しかも、オカルト博士ではなく、日本の医学博士がそう解説しているのです。ましてや、公立芽室病院の院長先生がです)、まァァァァ~ そら驚きました! 私の食養の実地からすると、素直に頷ける内容でしたから・・・。

 みなさんは、どう思われますか?

 二木謙三先生の「生きた食べ物を少し食べることが一番重要である」に、「食物の生命エネルギーは舌という器官で吸収されている」を重ねれば、「咀嚼」健康法というものが、今までとはまた一味違った「面白い視点」から見えてくるかもしれませんね!