甲田光雄先生は、このような言葉を残されています。

  「癌は一筋縄ではいかない。玄米ご飯と菜食で癌を克服するのは無理で、生菜食と断食を組み合せるしかない。」

 これは、『生菜食療法』と『断食療法』を駆使し、多くの難病・重病患者さんに向き合いながら、長年、難病克服の道を模索し続けてこられた、甲田光雄先生の臨床の歩みから生まれてきた非常に重要な言葉です。

 甲田光雄先生は『一般的な玄米菜食である「玄米ご飯と温菜料理」では癌の完治は難しく、生菜食と断食を組み合わせていくしかない』と言われています。これはいったい、どういうことなのでしょうか?


 甲田光雄先生は「桜沢式食事法(通称:マクロビオティック)」も研究されていましたが、マクロビオティックの食事法は採用しませんでした。それは、マクロビオティックはとにかく「陽性」志向にばかり傾倒して「火食しすぎる」嫌いがあり(「陽性体質になるには陽性食品を食べれば良い」という幼い観点が生んだ失敗 )、生野菜食すら「体を冷やす」と否定している食事法なのです。このような「玄米菜食の火食ばかりに傾倒した食事法」では、癌を根治することはなかなか難しいのです。

 甲田光雄先生が一番に重視されたのが、西勝造先生の創始された西式健康法(西医学)の『生菜食療法』と『断食療法』でした。それは、「生玄米食+生野菜食」という『植物の生食』( 生菜食ローフード・raw food と、少食や断食という『食べない方向性に身を置くこと』を組み合わせることで得られる「体の根本からの体質改善」だったのです。甲田光雄先生が『宿便は万病の元』と言われていましたように、「体の根本からの体質改善を図るためには、どうしても宿便を排除するところまで配慮せねばならない」のです。甲田光雄先生は「宿便は誰にでも2~5kgはある」とされています。昔の日本人のように「粗食を少食で食べている」ならば宿便は溜まらないのですが、 現代の日本人のように「食べたいものを好きなだけ、一日三食も平気で食べている」ならば、まず「宿便はある」と思われたほうがよいです。現代医学では宿便の存在は認められていませんが、「現代医学は宿便を認めていない」というだけの話で、宿便は存在しています。私は、生菜食をしながら断食を繰り返していたときに、いろいろな宿便が出てきました。最後のほうには『砂上便』という「砂の宿便」が何度か出てきました。私の腹から出た宿便は「真っ黒な小石のような古便」で、便の周りが透明のドロドロの粘液で覆われていて、エラク臭いニオイがしました。宿便とは浣腸をすれば簡単に出てくるようなものではなく、少食や断食を実行して、そこで初めて「体が宿便を出す準備ができる」のです。ですから、宿便の排除に必須なのが、少食や断食のような『食べない状態を身に与えること』なのです。宿便は『毒の半永久生産装置』と化しています。腹から宿便を出さない限り、日々、宿便から出続ける毒が延々と体の健康を脅かし続けるのです。甲田光雄先生が診てきた患者さんで、宿便を排除した直後に病状が好転した方が多くいました。甲田療法の生菜食療法を実行されていた末期癌患者で、宿便を排泄した後に癌が消失していた方がいます。『癌患者は体内に多量の毒素を持っている』と言われるように、正常な癌ならば、体内で「毒を生産してしまう宿便」を排除することで、癌の大元である「多量の体内毒」が消失し、体内の「巨大化した癌」も消失したのです。癌患者にとって『体内の毒素を排泄し(排毒し)、毒の塊である宿便まで排泄すること(宿便の排除』が如何に大切かが分かります。生菜食をすれば体が浄化しやすくなりますので、排毒に貢献してくれます。ここまで到達するには、どうしても『生菜食と(少食を含めた)断食を組み合わせるしかない』のです。

 病人がブドウ糖を摂取すると病状が進行してしいますから、ブドウ糖の摂取を避けるためには、なるべく火食をしないことです。また、 病人はもともとビタミン・ミネラル・酵素が不足している状態にありますから、生菜食や生野菜ジュースによって多量のビタミン・ミネラル・酵素を摂取する必要があります。つまり『生玄米粉や水につけて柔らかくした生の玄米+生野菜(生玄米粉食+生菜食・生野菜ジュース』という食事法が有効するのです。

 甲田光雄先生が西勝造先生の創始された西式健康法の『生菜食療法』と『(少食療法を含めた)断食療法』を一番に重視され、誰にでも実行しやすいように改良されたのが甲田療法でした。「食べる方向性」では『生菜食』を活かし、体を浄化しながら体質を強化向上させる。「食べない方向性」では『少食』や『断食』を組み合わせて活かし、少食による体質の強化(一日1200~1400kcal の少食の継続でサーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)が目覚めて貢献してくれる)、断食によって宿便を排除することで得られる「体の根本からの体質改善」でした(甲田医院では、宿便を排除した後で病状が改善する患者さんが多くいました。宿便の排除によって病状が好転したのです)。これが、甲田光雄先生が長年の甲田療法の臨床でたどり着いた、『生菜食療法』と『少食療法・断食療法』を組み合わせる意義だったのです。


 今では、世間でも「玄米菜食が良い」と言われる方が増えてきましたが、ただ単に「玄米菜食が良い!」と言うだけでは足りません。大抵の方は「調理した玄米菜食のお料理」の認識しかありませんから、これでは「癌を根治するための食事療法」としては効果が弱いのです。

 私からすれば、マクロビオティックの食事療法は「玄米菜食のお料理」というような感覚にしかなれず、「現代食のような洋食に傾倒したお料理に突っ走っているよりかは、まだマシだけれどもなァ・・・」が如き内容です。これは言いすぎだと思われる方もおられるかも知れませんが、マクロビオティックのような『食品を陽性にするために、何でもかんでも「加熱してから食べる火食」に傾倒する(体を陽性体質にするため)。生野菜は「体を冷やす」ので否定する(体が陰性体質になるのを防ぐため)』という、理論に傾倒した食事療法ではいけないのです。

 マクロビオティックという食事療法は「陰陽理論」を絶対視するため、体質の陽性化を求めるあまり火食傾倒に陥り、体質の陰性化を防ぐため生野菜食を否定しています。さらには、体を冷やさないようにするために「水の徹底制限」をさせます(夏400cc:冬200cc)。飲水を制限している人の血を採って観察しますと、赤血球が互いにひっつき、ひんまがっています。つまり、ドロドロ血液になっているのです。厳格な玄米食者が癌になったり、ひどい病気なる場合があるのは、このドロドロ血液状態と関係があると見られています。コップ一杯の水を摂った直後から、血液はドロドロ状態からサラサラ状態に変わります。甲田光雄先生は一日2Lの水を飲むことを指導されていました(新谷弘実先生も同様です)。今現在、医学的にも一日の水の摂取量は2Lが目安になってきています。マクロビオティックのように「水の摂取制限」などしては、血液をドロドロにさせて不健全にし、体内の毒の排泄を滞らせるので、これでは「体を冷やす」どころではなく、体内が悪化してよくないのです。
ただ、水だけを摂取していますと、体内の生理的食塩濃度が薄まってしまい脱水症状を引き起こしますので、水の摂取とともに塩(自然海水塩・海の塩)の摂取も必要です

 火食すると食物に含まれるビタミンや酵素は破壊・損失し、食物の組織は変質・崩壊します。生野菜食をすれば、この「ビタミンや酵素の破壊・損失、食物の組織の変質・崩壊」 が一切ありませんから、食物を健全な状態で摂取できます(病苦ひとつない自然界の動物には当たり前の食事です)。生野菜食は確かに一時的には体を冷やしますが、かえって体を陽性化させます。これはどういうことなのか説明します。

 『天然の正しい陰性食品』である生野菜を摂取しますと、体が正しく陰性に傾きます。すると、体の「盛り返し力」が発現するので、「陽性に傾けようとする力」が働き始めます。陰性食品である生野菜食をすることで、逆に体は『陽性化していく方向に向かう』のです。これは、私が生菜食(生野菜食 を始めたことで事実であることが理解できました。私が生菜食だけの食事を始めた最初の1ヵ月間くらいは体がどんどん冷えてきてビックリしましたが(北極冷えでした 、1~2ヵ月後には逆に「寒さを感じない体」になってしまい、寒さに強い体質になりました(つまり、体質が陽性化しました)。私の母は「真夏に骨が痛む」くらいの恐ろしいほどの冷え症がありましたが、母は「玄米クリーム+生菜食」の継続によって、1年間くらいで長年の極冷え症がほぼ改善しました(母の極陰性体質も陽性化しました 。上記しましたように、生野菜は『天然の正しい陰性食品』なので、生野菜食(生菜食)をすれば体は正しく陰性に傾き、「陽性に盛り返そうとする力( 盛り返し力 」が体に発露してきて、かえって陽性体質になっていく、という道筋(体の仕組み)があったのです。甲田光雄先生が『冷え症は生野菜(生菜食)で治る(「冷え症は生野菜で治る」)』と言われていた通りです。 このように、私はマクロビオティックの真逆の方向に『本当の答え』を見出しました。甲田光雄先生が「桜沢式食事法(通称:マクロビオティック)」 を採用しなかった訳が、私にはよく分かります。



 マクロビオティックのように『火食の害』『生野菜食(生菜食 の価値』『水の摂取の大切さ(塩の摂取を含む)』すら理解できないようではお手上げです。現に、現在のマクロビオティックは苦境に陥っています。今、マクロビオティック関係者の間では「なぜ、マクロビオティックは通用しないのか・・・」ということが言われています。それもそのはずで、長年マクロビオティックの普及に従事してこられたマクロビオティックの大家である「久司道夫」さんは2004年に結腸癌を発症し、手術を受けられています。そして、長年マクロビオティック を実践してきたご夫人も癌で亡くなられたのです。長年マクロビオティックを実行してきた方が癌になるのですから、当然、マクロビオティックでは癌の根治は望めないのは言わずもがなです。それに、マクロビオティックという食事法は、過去に何人もの子供を死なせていますし、厳格なマクロビオティック実践者に内臓の炎症病を引き起こさせてしまったりと、いろいろな事故を起こしているのです。

 癌治療というものは食事の云々カンヌンを言うだけでは早計で、現代の日本には「毎日、現代社会から受け続けてしまっている様々な化学公害がある(人体への化学汚染被害食品などから人体に入ってきた化学物質・化学化合物が細胞や遺伝子を傷つけて、正常細胞を癌化させる)」という理由も大きいですし、「運動性」も関与していますし、「日々の精神の作用(単に「ストレスがいけない・・・」と言うだけではなくて、無事に暮らして生きていけることへの感謝もなく、不満だらけの心で生きることは、身を癌に向かわせるでしょう。医学的にも、感謝のある人は癌になり難く、不満の多い人は癌になりやすい、とも言われています)」だって相応に関与していますから、癌治療というものは『心身を総合的に見つめていく』ことが大切です。さりとて、『食事は人間の心身の根底を左右する重要行為である』のは真理と言えるほどのことですから、『食事の在り方』というものを真剣に見つめて正していくことは最重要課題であると言えるでしょう。癌治療においては、この『食事改善を基軸に置く』ことが本当に重要なのです。この食事改善を徹底的に見直すことで癌患者を激減させることに成功しているのが、アメリカの栄養療法です。日本の癌医療はいまだにこれを無視し続けており、今も尚、癌の三大療法(手術療法・抗がん剤療法・放射線療法)に爆走中です。


 私は生菜食をするようになる以前はマクロビオティックを見つめていた時期もありましたが、理論に傾倒しすぎているマクロビオティックを好きになることができませんでした。現代栄養学と同じで、自然界の実地と符合しない点が多く、何だか不自然さを感じていたからです。
日本の現代栄養学が指導する食事内容が通用するのは、日本を含めた先進国のみです。あんなに細々と栄養成分を気にして、足りない分はサプリで補って・・・、こんなことは世界の貧しい発展途上国ではできません。世界の発展途上国の平均寿命が低いのは赤子や幼児の死亡率が高いからで、成人すれば日本人のように余計な病気もせずに、しっかりと健康に生きていきます。日本の長寿村、世界の長寿郷、世界の発展途上国の食事内容は「粗食の少食」です。日本の現代栄養学が言う食事指導はこの食事内容からかけ離れており、人類の健全な食の実績に符合しない点が多いのです

 私は、現代栄養学やマクロビオティックには妙に不自然さを感じてきました。不自然を体に取り入れると、体の中にも不自然が現われてきます。案外とこれが危険なのです。私はマクロビオティックには「自然界に反した不自然さ」を感じ、どうも好きになれなかったのですが、私の感じていたマクロビオティックの不自然さが今現在のマクロビオティックの苦境に現れているような気がします。だからと言って、私はマクロビオティックを毛嫌いしたり、責めたりする気は一切ありません。まったくその逆で、私はマクロビオティックには感謝しています。

 明治時代に入り、石塚左玄の跡を継がれて世間に玄米菜食の価値を説いてくださったのが、当時の医学界の重鎮であった「二木謙三」先生(元東京大学名誉教授)と、マクロビオティックを通して民間に玄米菜食の価値を広めてくれた「桜沢如一」先生です。裏医学などと言われた西式健康法(西医学)を創始された「西勝造」先生もおられます。その中で、日本にとどまらず、世界中に玄米菜食の価値を広めてくださったのがマクロビオティックを創始された桜沢如一先生でした。まず、知名度ではマクロビオティックが一番有名でしょう。もしマクロビオティックがなかったのならば、世間にこれだけ玄米菜食の価値が広まったかというと疑問です。私は、世間に玄米菜食の価値を広めるのに大きく貢献してくれたのがマクロビオティックだと思っています。

 しかし上述しましたように、マクロビオティックには盲点がありました。現在では、火食するとビタミンや酵素の破壊や損失が起こり、組織の変質や崩壊も起こることは常識となっていますが、 二木謙三先生は火食の害を防ぐために『野菜の二分間煮(生煮え)』を薦め、西勝造先生は『火食には害があり、生食するほうが優秀食である』と提唱していましたように、マクロビオティックのような「火食に傾倒しすぎる食事」は欠陥食になっていたのです。マクロビオティックは、私に『火食に傾倒する害』をはっきりと示してくれました。物事というのは「正しき」ばかりを見ていては、それが本当に正しいのかどうか、何も見えてこないものです。その真逆の「誤り」のほうをしっかりと見つめて認識してこそ「正しき」が鮮明に浮かび上がり、自分の理解を押し進めてくれるのです。かのエジソンは「私は実験で失敗したことはない。これは違う、こうではない、ということを新たに発見したのだ」と言われていましたが、これはまったくその通りで、「誤り」や「欠点」を正しく知って理解してこそ、その真逆の「正しき」や「利点」が鮮明に浮かび上がってきて、その相互関係をより深く理解できるようになると私は思うのです。


 道徳話のような話をしてしまいますが、少しだけお付き合いください m(__)m

 善の価値を知るには、悪を知る必要があります。善とは何なのかを知るためには、善の真逆である悪を知る必要があるのです。この世というものは何事にも「陰」と「陽」の『相反する二つの存在が一対となって、はじめて存在できる』という仕組みがあり、この真理を『陰陽二論』とか『表裏一体論』とか言いますが、善とは何か?を知るためには、かえって善の真逆である悪を知ることが一番の近道になることが多いのです。それをよく知り、深く理解するためには、そればかりを見つめているよりも、その「真逆の方向性」を見つめることで、かえって理解が深まることが多いのです。

 たとえば、生まれて此の方、病気ひとつしたことのない健康な人って、健康の価値をどれだけ知っているでしょうか? おそらくは「何も考えなくたって健康でいられるのだから、健康が当たり前!」になっているはずです。だから無茶しますね・・・。平気で無茶ができてしまうので、それでOKだと思っているのです。若い頃から煙草を吸い、毎日大酒を飲み、眠らずに遊んでも翌日にはちゃんと仕事ができて、それでヘッチャラなのです。若いときにこのような無茶ができてしまう人には実は短命者が多く、中年代以降に突発死される方だっています。その無茶が癌として現われる方だって多いです(今では、20歳代、30歳代で、癌で亡くなる方が増えています)。平気で無茶ができてしまっても、体にはその無茶が確実に蓄積し続け、中年代以降にその無茶の蓄積が発露してきて健康を脅かすのです。このような人は平気で無茶ができてしまうので、それが「無茶であった」ことに気がつけないのですね。
 逆に、若い頃から病弱な人には長命者が多いです。病弱な人は少しでも無茶をするとすぐに体調不良として現われてくるので、病弱であるがゆえに無茶ができません。体調を崩さないように毎日細々と健康に気を遣わなければやりくりできないので、若いときから健康な生活に配慮して暮らていきます。病弱さがゆえに、若い頃から必要に迫られて実行してきた「健康への配慮」の積み重ねの御蔭で、中年代以降を迎えても「大きな病気にならないで済む体」を保持していられるのです。病弱である状態が、かえって「健康への渇望」という形で、その人の意識を健康方向に向かわせるのですね。意識が働くからこそ、実行ができるのです。
 日々、何を積み重ね、何を蓄積してきたかで、その後の心身に現われてくる現象が違います。無茶には無茶の結果が、配慮には配慮の結果が、後日そのまま現われてくるのが自然の摂理なのです。

 このように、健康の価値を知るには「健康の真逆である病苦を味わう」ことで理解することができるでしょう。「健康が一番!」なんて言葉は、この「健康の価値」をよく理解している人から出てくる言葉です。健康の価値というものは「真逆の病苦を思い知る」ことによって真に理解できるようになるのです。無茶をしても平気な顔して健康でいられるような人には「健康とは何なのか」を理解することは難しいでしょうし、考えることすらしないでしょう。病苦に陥り苦しむことで、ようやく「健康の価値と意味」に帰着することができる意識が自分の中に生まれてくるのです。

 善の価値を知るには「真逆の悪を知らねばならない」と言えます。日本の言葉で『悪、抱き参らせて、善は進む』というものがありますが、これは『悪とは、善が進歩するための糧(肥やし)である』という「善悪の真理」を言っています。善が進歩して成長していくためには、どうしても「悪の存在」が必要です。もし、世の中がすべて善だけになってしまったなら、かえって善の進歩は止まることになるでしょう。そのような世の中では、善など「在って当たり前の存在」に堕するからです。善が進歩して成長していくための糧(肥やし)として存在している「悪の役割」を、『悪の御用』と言ったりします。人間社会というものはいまだに「悪を殺す」ことしか思考できないようですが、これは本当に正しいことではありません。それは人類史を見れば明らかで、人類は過去から見ても『悪、殺しても殺しても、かえって悪は栄えるばかり・・・』という状態になっています。世の中から悪を無くすために、いくら悪を殺しても、かえって悪はますます栄え、増えてしまうのです。これは、人類が上記の「善悪の真理」をいまだに理解していないからです。この現状に気づいていかねばなりません。悪というものは、本来『善に内包されて、善の進歩、発展、成長のための糧(肥やし)として活かされる役割がある』のです。

 『聖人、日に三度(みたび)、我を振り返る』という諺があります。私はこの諺に「善悪の真理(善悪の役割)」がよく現わされていると感じます。私は以前、「聖人とは善性ばかりの人なのだろう」と思っていましたが、これは違いました。『聖人は日に三度、我を振り返るものだ』とありますように、聖人にまったく悪性がないのならば「我を振り返る」必要なんてないのです。 この諺は『聖人とは、今日の自分の在り方を、日に三度も真剣に省みて見つめ直し、自分の中に悪性はなかったかと探り、もし悪性があったのならば、その悪性を自分の善性が成長するための糧(肥やし)にして、自分の中の悪を自分の中の善のために活かしている人間だ』ということを教示してくれているのだと私は思います。つまりこれは、自分の中の善性と悪性のうち『善性が優位となっている』状態で、「善 6:悪 4」もしくは「善 7:悪 3」の善悪割合です。この善悪割合のバランスでは自分の中の悪性が表に出ることはなく、常に『悪 4(悪 3)が、善 6(善 7)の成長のための糧(肥やし)になっている』状態と言えるかもしれません。

 腸内細菌は「善玉菌」「悪玉菌」「日和見菌」に大別されています。そして「善玉菌が優位となっている状態が健全な腸内環境である」とされています。この腸内細菌の区別に「善」「悪」という分け方がされているのは、非常に面白いと思います。「善玉菌が優位」というくらいですから、「善玉菌 6:悪玉菌 4」もしくは「善玉菌 7:悪玉菌 3」の善玉悪玉割合が腸内細菌の分布としては健全だと言えるでしょう。もしかしたら、これは人間の『健全な善悪の割合(善悪の分布)』を言い当てているのかもしれません。真理というものには共通性があります。宇宙の中にあること、自然界の中にあること、人間社会の中にあること、人体の中にあること、いずれにも共通する「何か」があります。昔から人類は、空に上にある実際の大宇宙を「マクロコスモス」と表現し、地上に存在する人間を「ミクロコスモス(小宇宙)」と表現してきました。宇宙にある仕組みは人体にもあるということでしょう。腸内細菌が示す善玉悪玉割合の健全性が、人間個人の善悪割合の健全性、人間社会の善悪割合の健全性にも言えるような気がします。腸内細菌の善玉悪玉割合(善玉菌が優位となっている腸内環境が健全)の仕組みは、上記の『聖人、日に三度(みたび)、我を振り返る という諺を言い得て妙と言えるように思います。

 また、日和見菌とは「善玉菌が優勢になったときには善玉菌の味方をし、悪玉菌が優勢になれば悪玉菌の味方をする腸内細菌のことで、善玉菌にも悪玉菌にもなり得る腸内細菌」のことですが、これも真理のような気がします。人間社会にもこのような人たちがいますよね。善悪判断ではなく、優勢判断の物差しで上手に生きてしまっている人たちです。これは霊的には完全に敗者です。
 人間の心が日和見菌の働きと違うのは、優勢、劣勢に関わらず、善に向かうのか、悪に向かうのかを「自分で選べる」自由意思を持っているということです。「これは良いことなのか、これは悪いことなのか・・・。これはやって良いのか、これはやってはいけないのか・・・」と、自分の中の『善悪の物差し』を効かして悩めることなのです。この「悩む心(感情)」は、日和見菌の「善悪関係なく、問答無用に優勢側に味方してしまう(勝てば官軍)」とは違い、善に進むのも、悪に進むのも、自由に選択できるのです。「腹が立つけれど怒ってはいけない・・・、いや、怒っちまうか・・・」「言いたいことがあるけれど、ここは我慢しよう・・・、でも言っちまおうかな・・・」「あの人が悪いわけではなさそうだけれど 、周りの人は皆、あの人を非難しているから、一緒になって非難しておけばいいや・・・。ん~、でも、どうしよう~」「アイツの態度には腹が立つ・・・、でも、アイツの立場になれば乱れるのも無理はない・・・、自分にもそんなことあったもんなァ~」というような感じで、日常生活の中で自分の心が右に左に揺らされるように、善に悪に揺らされることがあると思います。このとき、善に悪に揺れている自分の心(感情)は、日和見菌の立場に似ていますが、日和見菌の「善悪関係なく、問答無用に優勢側に味方してしまう 」という役割とは異り、優劣関係なしに「自分で善悪を選べる」という選択権があるのです。「善にも進めるよ、悪にも進めるよ、サァ~ どうするの?」と問いかけられているような感じがします。人間の心(感情)は日和見菌のように善にも悪にも進めますが、その進み方は日和見菌とは違い、善悪の優劣に関係なく「その都度、善悪を選択することができる」のです。自分で何を選ぶのかは自分の「判断力」次第ということですね。
この「判断力」というのは、癌治療においても非常に重要です。日本では今も当たり前に行われている「癌の三大療法(手術療法・抗がん剤療法・放射線療法)」が正しいと判断すれば、完全に癌医療ビジネスに呑み込まれます。高額医療費を出して、癌は治らないのです(かえって癌体質が深まります)。日本の癌専門医の中には食事療法のことを「ウサギの餌(エサ)」と笑う方がおられますが、その医師の言葉を丸呑み鵜呑みしてしまえば、癌の根本治療から遠ざかってしまうのです。自分の判断力を効かすには徹底的に調べ上げて、自分に正しい「識別眼」を養うよりほかありません。世間の常識とは真逆に位置するものであっても、それを真剣に調べ上げて、自分の眼でその良し悪しを判断することが重要なのです

 善悪概念を私なりに話してみましたが、もしかしたら、現代の日本人の多くの方は、善悪概念と言われてもパッとしないかもしれません。しかし、人間にとって善悪概念とは非常に重要な羅針盤です。人間個人の人生、社会の在り方、国家の在り方、もっと言えば、これから先の地球の進み方までをも左右していくことでしょう。人間社会はいまだに『善が悪に呑み込まれている』状態なので、「悪を責め、悪を非難し、悪を殺すのが正義。これ、当たり前!」という認識しか生まれず、これが結果、「かえって悪は栄えて増えるばかり」になってしまっているのです。そろそろ『悪の御用』という真理に本気で気づいていかなくては、やがて人類は『悪、抱き参らせて、善は進む』の意味を、大変な思いをしながら本格的に悟らされる日が来ることでしょう。


 世の中には、「真逆の存在を見つめればこそ、ようやくその意味を知ることができる」というケースが非常に多いものです。私は食養として、甲田療法の『生菜食療法』を一番高く買っています。それは、「植物の生食の価値(ローフードの価値)」を一番活かしているからです。私は今も「生菜食を中心とした食生活」を続けています。そんな私が「生菜食の価値」に迫ることができたのは、マクロビオティックの「火食に傾倒しすぎることで起こる害」に気づけたことに依ります。甲田療法とマクロビオティックでは真逆のことを言っていることが多いのですが、甲田療法の真逆を言っているマクロビオティックの「火食に傾倒する害」をよく理解したからこそ、甲田療法の「生菜食の価値」をより理解できた、と言えます。私は食養をあれこれと実践し、自分なりに学んでいく中で、成功したり、失敗したりしながら、実際に身を使用することで見えてくる『食理(食の真理)』がありました。真逆のものを同時進行で見つめていくところに、両方の長所と短所がそれぞれ浮かび上がるように見えてくるのです。私が「生菜食の有効性」を理解することができたのは、甲田療法の「生菜食」とは真逆に位置するマクロビオティックの「火食傾倒の誤り」に気づけたことが大きな要因でした。私はマクロビオティックの「火食傾倒の誤り」に学び、生菜食を実行していく中で、「生菜食の有効性」を身をもって知ることができたのです。これはマクロビオティックの御蔭です。

 人間というものは完全には成り得ず、必ず何かしらの欠陥があるものであり、短所が分かればそれを正し、欠陥が分かれば必要なものを足して、長所と分かればそれをさらに伸ばしていく・・・、私はそれで良いと思っています。マクロビオティックの「火食傾倒の欠陥点」を理解して大事に活かし、生菜食療法の優秀点をしっかりと活かす、自分なりに無理なくできる食養スタイルを確立して、自分なりに活かしていければそれで良いと思っています。

 あれが絶対、これが絶対、という盲信に陥ってしまうと、人間は気づかぬうちに「盲入り(メクラいり:識別眼を失ってしまう)」してしまうことが多いので、私は生菜食に関しても必ず一歩引きながら実践してきました。世間で「常識になっていること」であっても決して鵜呑みにはせず、自分が「これは良い」と思ったことでも決して盲信だけはせず、盲(メクラ:本当の正しい情報に対して無知になる)になることに気をつけて、私はいつも本物探し(本物よ・・・、どこに在るぅ~観)をしてきたような気がします。

 なぜ、こんな小生意気なことを言うのだと思いますか?
 それは、癌患者さんにとっても同じことが言えるからです。

 現代の日本の「標準的な癌医療」しか知らないと、まず、必ずと言ってよいほど「癌の三大療法(手術療法・抗がん剤療法・放射線療法)」に陥ります。だって、そのはずです。通常の癌専門医は決まって「癌の三大療法」しか薦めてきません。と言うか、日本の癌専門医はほとんどそれしか知りません。もし「癌の三大療法」以外を知っていても、まず口には出しませんし、何も言いません。それは、多くの癌患者さんたちが思い知っていることでしょう。

 このブログにあります資料を見て頂ければお分かり頂けると思いますが、安易に「癌の三大療法」などに手を出してはいけないのです。しかし、こんなことを真顔で言うと、日本の癌患者さんは残念ながら無知になってしまっている方が非常に多いですから、白い目で見られてしまうことが多いのです。でも、真実というものは世間には出難いものなので(権力が国民に知られると不都合ができて困る真実などは、世間には本当にたくさんあるのです。だから、世間には本当の情報が出ないように、常に国民の知らない裏側で情報がコントロールされて、権力にとって都合の良い不実のほうが世間に跋扈しているのです。癌医療などは、特にこれが激しいです。恐ろしいくらいですよ・・・)、世間の情報に安易に流されず、しかし世間に在る情報を大事に見つめながら、本物の情報へと自力でたどり着かねばなりません。癌患者さんには、早く「本物の癌医療」に開眼してほしいのです。世間ではあまり言われていないことであっても、自分なりに真剣にその是非を調べてみて、真剣に確かめられてほしいのです。甲田光雄先生が命を懸けておられた『生菜食療法』(植物の生食)や『断食療法』(少食や断食)は、癌治療において「非常に価値のある手段」です。どうぞ、その意義を このブログにあります資料から真剣に掴まれてほしいと願います。

 このブログに載せています手段は、特別にお金のかかるものではありません。お金がかからないで効果するからこそ、真の価値があるのです。お金をかければ治るというのは思い上がりです。たとえば、食事療法と併用する『飲尿療法(尿療法)』は、自己免疫の改善化を図る上で非常に価値があります。この「自分の尿(自尿・自己尿)」は完全無料です。「今だけ無料~♪」のような特別無料期間なんてありません(汗)。自尿は毎日、ず~っと無料で手に入ります。自尿など、あまりにも簡単に手に入り過ぎて、かえってその価値に気づけないのです。『飲尿療法(尿療法)』 は世間でも正しく理解されていませんし、医師自体が何も知りません。それは当然、医大では学ばないことなので無理もありません。医師は、医大で学んだこと以外のことに対しては至って無知なのです。しかし、こういう『昔からある、実地的に有効していた療法』の中にこそ、価値ある手段も多いのです。『飲尿療法(尿療法)』は太古の昔からある民間療法であり、自然界の動物からすれば、至って自然の治療行為なのです。自分なりに真剣にその価値を見つめ、その是非を掴んでいかなければなりません。そうしなければ、損をします。治る可能性を「おしっこ、きたなぁ~い(汚い)」で踏み潰すのは、あまりにもったいないです。尿は無菌であり、無害です。自分の血液が腎臓でこされて外に出てきたものが尿なので、尿はほぼ血清と同じです。「自分の尿が汚い」と言うのは、「自分の血液が汚い」と言うのと同意です。自分の尿が、臭くもなく、不味くもないくらいに、自分の血液を浄化してあげましょう! それが、心身のすべてに影響してくるのですから。まず、「尿の状態」=「血液の状態」と理解してください。

 ここでは、甲田療法とマクロビオティックを引き合いに出して、玄米菜食の『生食』と『火食』の違いを説いてみました。同じ玄米菜食に見えても、玄米菜食の『生食』と『火食』では、その中身には天地の違いがあります。私の実地から見ましても、私の父母の持病の改善を見ましても、甲田療法のような『玄米菜食の生食』のほうに軍配が上がると言えます。それは、甲田光雄先生が甲田療法で難病患者・重病患者を数々救ってこられた実績を見ましても、今のマクロビオティックが苦境に陥っている実地を見ましても、充分に判断できると思います。『玄米菜食の生食』をすれば、癌患者にとっては大敵となってしまうブドウ糖の摂取を少なくすることができ、一番重要であるビタミン・ミネラル・酵素を多量に摂取できます。現在、癌治療では「ビタミン療法」が有効であると理解されるようになってきていますが、まず三大栄養素と呼ばれている糖質・脂質・たんぱく質などよりも、微量栄養素と呼ばれるビタミン・ミネラル、そして、加熱調理や加工を受けていない「生の食物(植物の生食)」を食べることで豊富に摂取できる酵素(植物酵素)のほうが非常に重要です。食事のすべてを「植物の生食」にすることはできないとしても、「生菜食」としての生サラダを毎食必ずよく噛んで摂取したり、「生野菜ジュース」として摂取したり、おやつ代わりに黒砂糖を混ぜた「生玄米粉」を食べたりと、この価値ある食事を自分のできる範囲で積み重ねていけば、まったくしていないのに比べて(現代食しかしていないのに比べて)、その後の体内状態に大きな差が出てくるはずです。たんぱく質がほしければ良質な豆腐で充分ですし、動物性たんぱく質がよいのなら良質な卵や魚介類で充分でしょう。そして、とにかくは『少食』が大事です。低カロリー食(糖質制限食)が大事になってきます。ここのところは、このブログ内の記事をいろいろと見てみてください。

 癌患者さんには、甲田光雄先生が多年に及ぶ甲田療法の実地と実績から出された答えである「癌は一筋縄ではいかない。玄米ご飯+菜食で克服は無理で、生菜食と断食を組み合せるしかない」という言葉を、一度、真剣に考えてみてほしいと願います。そして、できる範囲でよいですから、「生玄米粉食」や「生菜食」という食事の力を活かして、「少食(糖質制限食)」や「断食(「週末一日断食」が安全です )」の力をも活かす癌治療の是非(癌治療の価値)を真剣に見つめられて、自身の癌治療に必要であるかどうかを検討してみてほしいと思います。癌治療として価値があるもの、癌治療に活かせるものは、どんどんどんどん併用していき、とことん活かし切ってやりましょう!