江戸煩い   【「千野隆司の「時代小説の向こう側」 」より


 玄米といわれても、今の中学高校生には分からないと思います。「米とは違うものか」と問い返されそうです。

 「稲の果実である籾から、殻の部分を取り去った状態で、精白されていない状態の米だよ」

 「ふーん」

 分かったような、分からないような返事が返ってきます。

 だいたい、食べたことがないわけですから、イメージしにくいわけですね。食べたことがないといえば、三十代や四十代の方でも同様だと思います。

 江戸の食事は、パンなどありませんから、米が中心です。しかし江戸の初め頃は、ほどんどの方が玄米を食べていました。白米が庶民にまで普及したのは元禄年間(1688~1703)になってからです。

 忠臣蔵で赤穂浪士の前原伊助が、吉良邸裏門近くで、米屋を開いて偵察をしました。吾平とかいう偽名をつかっていましたっけ。元禄の頃に、庶民のための米屋がたくさんあったということですね。

 ただ江戸の庶民といっても、皆がみな、白米ばかりを食べていたわけではありません。麦を交ぜたり稗や大根などを交ぜて嵩増ししたかて飯を食べている人もけっこういました。

 玄米を舂米屋が精米するわけですが、そのために多くの糠ができました。このため糠を使う漬物が普及しました。私も糠漬けは大好物です。

 白米は食べやすいしおいしいですから、お金さえあれば気軽に食べました。しかし最悪死に至る怖ろしい病を増やすというよくない面もありました。

 「江戸煩い」と呼ばれた病で、とくに地方からやって来た商人や江戸詰めの侍がこれに罹りました。

 気がめいるし足腰がだるくなる。顔が浮腫み食欲もなくなりました。でも江戸を離れて国許へ帰ると、すぐに治りました。

 この「江戸煩い」は、ビタミンB1の欠乏からくる脚気でした。糠の大部分はビタミンB1で、その他のビタミン類やミネラルが含まれていました。これを取り除いた白米ばかりを食べていれば、脚気になるのも当然のことといえます。

 ですがこの「江戸煩い」ですが、原因のビタミンB1不足であるということは、誰も気づきませんでした。麦や稗、大根などを交ぜて食べていた人たちは、この病に罹らなかったわけです。