食べ物と、人と、社会

≪ 食べ物が与える影響 ≫



≪ 玄米・玄麦を食べるアメリカでは、犯罪が減るかも ≫

       食物は 人を滅ぼし、社会を滅ぼす。
       食物は 疫病に苦しむ人を救い、社会をも変える。
       食物は 私たち個々人の健康を左右するだけでなく、
        社会に対しても大きな影響を与える。


 未精製・未精白食物がわが国でいえば玄米・菜食ということになるが、社会に広まれば犯罪が激減する可能性のあることは、本誌2005年4月21日発行号の拙稿で論じた。
 そのタイトルは「白米は犯罪を誘発させ、玄米は犯罪を抑止する」である。
 以下、その要点を記しておく。



犯罪を誘発する白米食

 犯罪の背景には食物がかかわっていることを実証したのは、アメリカの犯罪研究学者A・G・シャウスである。シャウス曰く、精製・精白・加工食物(白米・白パン)には「犯罪誘発性」があること、一方、未精製・未精白・未加工食物(玄米・全粒粉パンなど)には「反社会的行為(その最たるものが犯罪である)を矯正する作用がある」と。

 シャウスは次のように語る。
「もし犯罪者という少数集団の行動が、栄養素の濃い未加工食品と食事でよくなるというならば、何百万というもっともっと大きい社会にとって、どういう意味を持つことになるであろうか。」

 食事のあり方が、個人の健康だけでなく、社会のあり方にも影響を与えるとは卓見である。シャウスのいう「栄養素の濃い未加工食品」とは未精製・未精白・未加工食物のこと、たとえば玄米・全粒粉パンのことである。白米・白パンを止めて、玄米・全粒粉パンなどを食べるようになったら、私たちの社会は一変する。これは食物による人間革命であり社会革命である。

 このように、食物には「個人の覚醒」と「社会のあり方」を左右するパワーがある。食物なしにいかなる生命もあり得ない。ここに「食物の根源性」があるといってよい。この根源性ゆえに個々人の疾病が治り、社会も救われるのである。従って、いかなる食物を食べないか、食物の選択が極めて重要になる。


玄米・玄麦を勧めるアメリカ合衆国政府

 アメリカ合衆国政府はマクドナルドの類の食事を拒否する政策をとっている。白パン・肉食の食事は同政府の政策では排除されている。これまでもアメリカ合衆国政府は疾病を少なくするために「食事ガイドライン」をつくって、それに沿った食事をするよう、アメリカ国民に勧めてきた。その要は、肉食を減らし、穀物と野菜を食べるということであった。

 今年1月、「食事ガイドライン」の改訂を発表した。これまでの穀物菜食では、穀物は精白・未精白のいずれでもよかったが、このたびの改訂では、穀物のうちでその半分以上を未精白穀物(全粒穀物)にするように、更には全部を未精白穀物にしてもよいというものである。この勧告を日本に当てはめれば、ご飯の半分以上は玄米、あるいは半分ではなく全部を玄米にしてもよいことになる。もともと玄米の国のはずの日本は、完全にアメリカに先を越されたことになる。

 政治も経済も文化も、極端に言えば、ありとあらゆることをアメリカ合衆国に追随してきたのが敗戦日本の偽らざる姿であった。こうした米国追従傾向にあって、アメリカの食文化の模倣も例外ではなかった。白パン・白米・肉食の隆盛は、日本がその伝統食文化を捨てて欧米流の食事に毒されていることを示している。因みに、肉食はこの国においては伝統食ではない。わが国における伝統食は、穀物菜食である。


ヨーロッパの宣教師が見た日本の食

 安達巌『日本型食生活の歴史』(新泉社刊)には、戦国時代に来日した宣教師、フランシスコ・ザビエルの本国へ宛てた通信文からその一部が引用されている。

「日本人は自分たちが飼う家畜を屠殺することもせず、またこれを食べもしない。彼らは時々魚を食膳に供し、殆ど米麦飯のみを食べるが、これも意外に少量である。ただし彼らが食べる野草(野菜)は豊富にあり、また僅かではあるが果物もある。それでいて日本人はふしぎなほど達者であり、稀な高齢に達する者も多い。(後略)」

 戦国時代の日本における穀物菜食がよくわかる。そして当時の日本人は「ふしぎなほど達者」とザビエルに言わせるほど、穀物菜食で健康で長生きしていたのである。


禅僧の食事

 別掲の写真には、食膳は食禅とある。禅寺での食事は穀物菜食である。玄米ではなく白米を供するところもあるが、本来は未精白穀物であったはずなのに、いつの頃からか白米になってしまった。ともあれ、玄米であろうと白米であろうと、禅寺では肉・卵・魚などの食物は供されない。これらの食物は修行の妨げになるからである。

 こうした食物は生理的に血を騒がせて、その結果、心理的安定(心の平静)を損ねる。生理と心理が不安定では到底修行にはならず、悟りを得ることもでき難い。当時の宗教者は食物と悟りの関係を体験的に心得ていたのである。

 長寿をもたらす穀物菜食であるが、そのような食事は当時、犯罪を少なくしていたとも考えられる。そのようなことを推測させるものは、家にも部屋にもカギがなかったことである。カギの国から来日した宣教師は、日本家屋にカギのないことに驚きを表している。カギのないことは、当時の社会には窃盗などが少なかったと解してよかろう。泥棒の少なさは、当時の閉鎖社会においては住民同士の相互監視が働いていたことも無視しえないが、当時の食物が未精白の穀物と菜食であったことも考え合わせるべきであろう。悟りをうることにも、犯罪の抑止にも、食物がかかわっていることは先に見た通りである。


玄米菜食を唱えた日本の先覚者

 人間に対する食物の深甚な影響力といえば、シャウスにばかり名を為さしめるわけにいかない。シャウスに先立つこと100年も前から、すでにわが日本には食物の持つパワーを説いてきた先覚がいた。例えば、食養(欧米名:マクロビオティック)を唱えた石塚左玄(明治陸軍薬剤監)。その食養を外国へ広める種をまいた桜沢如一(マクロビオティック創始者)。「現代の仙人」を生み出した甲田光雄(八尾市・医博)。これら三人の先覚者は、穀物と野菜の「一物全体食」というものを説いた。「一物全体食」とは食物の全てを食べることである。野菜であれば、葉も茎も根もすべてを食べる。米ならば、玄米を食べることである。シャウスが推奨する未精製・未精白食物を食するというのは、この「一物全体食」に他ならない。

 石塚左玄はシャウスの調査研究に先駆けること1世紀前、食物には人間を拘束する根源力があることを、陰・陽という東洋哲学・医学風に表現した。桜沢如一は左玄の食養を、欧米名・マクロビオティックと翻訳して、主として欧米諸国へ普及する種をまいた。甲田光雄医博は八尾市にある甲田医院長であるが、生玄米・菜食を患者に施す過程で、生玄米さえ要らない野菜ジュースだけで生活する「現代の仙人」を生み出した。

 先に挙げた日本の先覚らの軌跡を考えると、わが国ではこの100年間、「一物全体食」(全粒穀物・菜食)が提唱されてきた。最近、欧米諸国がようやく「食物の根源性」「食物の全体性」というものに目覚めてきたといってよい。


食物が意識を決定する

 週刊誌「アエラ」(1996.3.4.)には、菜食の「現代の仙人」が紹介されている。「現代の仙人」の一日の食事は、生野菜(150グラム)の野菜ジュースを飲むだけである。
一日の摂取カロリーは約50キロカロリー

 その仙人の一人、森美智代(33)さんは次のように述べる。
「食物も物欲も薄れたからといって、生きることへの執着までなくなったわけではありません。死ぬまでの時間を一瞬でも無為にしないで、魂に刻み込める出来事を増やしたい。物を食べないのは、それをやりやすくする手段だといえるかもしれません。」

 野菜だけで生存可能となれば、玄米を食することさえ贅沢となる。このような「現代の仙人」をつくったのは甲田光雄医博である。

 刑務所服役囚の言行が変わるというシャウスの知見からも、食物が人々の意識を変えることがわかる。人々の意識が変れば、そのような人々で構成される社会は、当然これまでとは異なる社会へと変化せざるをえない。食事のあり方が社会を変える素因となる。ここに「社会的存在としての食物」の意義がある。

 食物を栄養素に分解するとか、カロリー源として捉える現代栄養学・現代医学のパラダイムでは、食物を「社会的存在」として捉えられない。ここに今の栄養学・医学の限界がある。

 「現代の仙人」は物欲が希薄となるという。物欲の塊といってもよい人間が、食物でもってその物欲を減じることができるならば、それこそ人間革命である。物欲が少なくなれば人々の生活も変る。市場経済体制も変わらざるを得ない。まさに食による世界革命である。もしもこのような「仙人食」が世界人類の標準となるとき、人類は新しい段階へ至るであろう。