元記事は、2012年の黙示録です。

 この記事は「
偽情報退散! マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている」の中の【マスコミによる情報操作】の内容です。
 最後になわさんの一言があります。なわさんはこのような内容に非常に精通しており、ご自身のサイトにて、これに類する多くの資料を紹介されており、より詳しく解説されています。気になられる方は、
2012年の黙示録を色々と探索されてみてください!




マスコミとお金は人の幸せをこうして食べている

THINKER (著) 徳間書店   2011年刊



 マスコミ史 まとめ

 現代までの主要なマスコミの歴史を振り返ってまとめてみよう。まず明治時代、欧米に倣って(ならって)新聞社と通信社が設立された。多数乱立した新聞社は、政府からの幾度にもわたる言論弾圧で潰され、政府追従・利益誘導の大手新聞社だけが残った。その新聞社と通信社もアメリカ側に揺さぶりをかけられ、AP通信に倣った合併がなされ、日本人から知らないうちに情報の一本化が仕向けられた。これがそのまま政治体制の国家通信社の素地となった。

 つまり、英米と戦争をさせるために日本の情報社会が英米人の手によって計画的に整備されたということである。その後、戦時中の大手マスコミは軍部の言論統制に協力し、国民を無駄な死に追い込んだ。戦後も、マスコミ人たちは戦犯として裁かれることなく、以前の持ち場に復帰して、日本のマスコミ界を支配した。

 仕える主人が日本軍からアメリカ政府に代わっただけで、同じ企業と人脈が日本のマスコミの上層に現在も居座っている。彼らは、戦時には化けの皮を脱いで本性を現すが、平時には、国民にお笑いやスポーツなどの娯楽を提供して知性を鈍化させる。

 一つの例を挙げる。太平洋戦争開始の前年、政府は近所の人々の非国民的な振る舞いを互いに監視させるために「隣組」という制度を作った。五軒から十軒一組で、ご近所同士、助け合って親しくしましょうという触れ込みで「隣組」の歌まで作って流行させていた。「とんとんとんからりんと隣組~」という具合の明るい歌詞である。この曲は戦後、テレビのお笑い番組「ドリフ大爆笑」のオープニング曲として歌詞を変えて再流行した。この番組では国民的笑いの創造のため、笑いの同調と増幅効果を狙った「ラフトラック」と呼ばれる音響技術がアメリカから導入された。これはアメリカのコメディ番組に倣って、笑い声や拍手をコントにタイミングよく挿入したもので、制作会社は国内の政財界と強力なコネクションを持ち、英米の財閥ともつながりを持つ。

 この曲は幾度となくテレビCMに使われているので誰でも耳にしたことがあるだろう。音楽や娯楽を通じ、国民の政治的関心を明るい平和ボケへと転化するマスコミの仕事の一例だ。尖閣諸島問題や北朝鮮の脅威を煽った報道で日本を東アジア紛争へ巻き込むことを画策する一方で、明るく笑って人を騙すセンスは、日本のマスコミの戦前からのお家芸であるようだ。

 マスコミの成り立ちを知らされていない我々は、マスコミに疑いの目を向けながらも大方のところでは好意を持ち、信用している。大手マスコミ各社は民間の一企業に過ぎないにもかかわらず、「客観・公平・中立」を掲げ、毎日の偏向報道を社会正義として位置づけてしまっている。我々は、その風潮に完全に慣らされてしまっていて、それがいかに異常なことかに気づく力をなくしてしまった。

 歴史を見てもわかるように、通信社はもともと投資家や国家のために設立された情報機関であり、大手マスコミ各社が設立された目的は世論誘導と営利追求である。それ以上でもそれ以下でもない。どちらも、けっして我々の利益に働くように作られたものでないことをしっかりと肝に銘じておきたい。テレビはその最たるものである。

 善良な市民として、テレビや新聞にもまだジャーナリズムの正義があると思いたい心情は、少なからず誰にもあるだろう。しかし、マスコミの歴史を知れば客観、中立、公正」な報道など、初めから幻想だったことに気づかされる。また「いくら、政府やスポンサーに頭が上がらないにしても、ニュースぐらいは事実を伝えているだろう」という人も多いことだろう。しかし、世論を操る立場からすれば、ニュースこそが最も利用したいものである。

 占領統治当時のアメリカ政府内の心理戦局文書には以下のように書かれている。

 「ニュース素材の提供は、いかにも作為的に行なわれていると日本人に気づかれないように細心の注意を払ってなされなければならない」

 最後の部分に注意したい。「日本人に気づかれないように細心の注意を払ってなされなければならない」。この文章から読み取れるのは、我々にすぐにばれてしまうような茶番劇でなく、かなり手の込んだストーリーが行なわれていると推測できるだろう。








  ひとくちコメント

 この本は、私たちがマスコミによって洗脳されることになった背景についてかなり踏み込んだ分析をしてくれています。しかしながら、すでに洗脳されてしまっている人たちは、このような本に関心を示すことはありません。むしろ、この本の内容こそがいかがわしい謬説として受け止められることでしょう。私が当サイトで「百の真理に毒ひとつ」という表現を使っていますが、人を信用させるためには、正しいと思われるたくさんの情報の中に、事実とは全く正反対のことを紛れ込ませるという手法があります。これなどはあまりにも巧妙すぎて、普通の人には決して見抜くことはできない高等な手法といえるものです。
 その他、この本ではマスコミの「騙しの手口」の事例として「叩き」「そらし」「宣伝」の3つを挙げています。「叩き」は文字通り、政府にとって都合の悪いことを言う人間を、マスコミを使って叩くことです。その一例として、「ミラーマン」の汚名を着せられて社会的に葬り去られた経済学者の植草一秀教授のケースが紹介されています。彼はなぜ政府(支配層)にとってやっかいな人物と見なされたのかについては、最近ではかなり知られるようになっていますが、いったんマスコミによって血祭りに上げられた人物は名誉回復の機会は与えられないのが普通です。
 2番目の「そらし」ですが、複数の新聞やテレビが同じ情報を大々的に取り上げているときは、関心を他にそらすための報道であると考えて間違いないでしょう。その場合は、何が目的でこのような報道をしている(させられている)のかと考える癖をつけたいものです。そのことによって政府の(その政府を動かしている層の)意図が理解できるからです。なぜなら彼らの「意図」は、私たち一般国民にとって決してありがたいことではないからです。
 (なわ・ふみひと