(「千島学説」に興味ある方に(1)からの続き・・・ )



■■ 第4章 現代医学は人間を無視している

 がん細胞の増殖が早いとはかぎらない。医師はがんの治療には無力である。それは、現代医学ががんの原因を究明できないでいることにある。

 千島は「がん細胞は血球からできる」と唱えた。これは血液が変化して、からだを構成する細胞をつくるという千島の血液理論にもとづいている。つまり、健康な生体であれば血球は正常な細胞になるが、からだが病気のときには病気の細胞をつくりだすというわけだ。

 だが現代医学は千島理論をかたくなにこばむ。そんなバカな!と頭から信じないのである。

 現代の医学は “細胞は細胞から” というウィルヒョ-学説の束縛を受け、それから解き放たれていない。細胞は分裂によって増殖する。とくにガン細胞は分裂が速やかであるというのが現代医学の常識になっている。
 確かにガン細胞は、その増殖が早い場合がある。しかし全てがそうではない。たまたま早い場合だけをとりあげて、がん細胞は放っておくとどんどん増殖してとりかえしがつかなくなるというのはおかしい。

 千島は「細胞は分裂によって増殖するのではない。分裂もありえるが、細胞はあくまでも赤血球が変化して増える。がん細胞でも同じことだ」と言う。
 生物の教科書のなかに矛盾がある。わたしたちが学校で習ってきた細胞についての知識が、どうも
間違っているような気がする。中学時代の生物学を復習するつもりで考えてみよう。

 細胞は生物の単位である。アメーバやクロレラなどは一つの細胞、つまり単細胞でそれが生物全体である。白血球も一つの細胞でなりたっている。
 私たち人間はその細胞がおよそ四〇〇兆集まってできている。細胞には中央に一個またはそれ以上の核があり、その周囲は細胞質にとりかこまれ、外面は細胞質におおわれている。

 この細胞質は、タンパク質、脂肪、水分などから成り立っていて、栄養を外から受けることができるし、不必要なものを排泄することもできる。呼吸もしており、刺激されれば反応する。自分で成長する力をもち、増殖する力をもつ。これは細胞の定義であり、ここになんの問題もない。

 しかし、すべてのものが枠のなかにはまるとは限らないように、生命の世界ではとくにこうした定義におさまらない現象がいたるところにみうけられる。これをどう考えるかということで、学問は変わってくるし、医学のあり方も変わってくる。問題の赤血球にしても、これを細胞とみなすかどうかで医学はまったく変わるのである。

 両生類、魚類といった動物の赤血球には核があり、細胞としての条件をほぼ充たすから、細胞の仲間にいれてさしつかえない。ところが、人間など哺乳類の赤血球には核がない。これは細胞とはいえないのである。

 一方、リケッチア、ウィルスは核だけあって、周囲の細胞質がない状態であるから、これを細胞と見る学者はいない。しかし自分の子を生むという能力をもってするから生物の仲間にいれてもおかしくない。

 ところが生物というのは細胞の条件を全て充たしたものだとみるとリケッチア、ウィルスには矛盾が生じる。これは学問の常識が自然の姿を無視しているためで、細胞の意味にしても実は生命の本来もっている連続性に対してある一線を引き、細胞である、細胞でないと、人間が勝手にきめたのである。

 しかし生命の真実は境界がはっきりしない、深いつながりをもって連続しているのだ。


自然のままで細胞分裂が見えるのか

 細胞は細胞分裂によってのみ増えるという常識、この一点が正しいとすれば、千島学説のほとんどは崩れ去ってしまう。逆に、「細胞は細胞でないものから新しく生まれる」という千島の新説が正しければ、世界の生物学が狂っていることになる。
 生命体の基本となるこの点をはっきりと見きわめなければ私たちは大きなあやまちを犯すことになるだろう。そこで千島学説に対する疑問を質問してみると、

 質問 -- 私たちは細胞が分裂している姿を、テレビの映像や雑誌のグラビア写真でふんだんに見ているがあれは一体なんですか?

 千島 -- 細胞を研究する場合、生きたからだのなかの自然な状態で観察するのが理想なのです。しかし、今日までのいろいろな細胞学の成果は、組織から切り出した標本、つまり死んだ細胞を研究したものが、その中心になっています。

 質問 -- 技術的にやむを得ないんじゃないのでしょうか?

 千島 -- そうです。自然のままで観察できないから、生物のからだからその部分をとりだして調べる。しかし、この操作そのものが、もうすでに全体とのつながりを切るという不自然をおかしている。細胞のほんとうの姿や働きに対してもうその時点で悪い影響を与えているのです。

 質問 -- とりだした細胞は合理的な培養器で培養し、温度も一定に保ち、できるだけ自然に近い環境をつくりだしているわけですが・・・。

 千島 -- それはあくまでも人為的なものであり、今日の培養技術はまだ理想的ではないのです。それをですよ、光学顕微鏡や電子顕微鏡で、不自然な強い光線や電子を当てて観察するのです。
 細胞は光や電気にはきわめて鋭敏な反応を示します。その反応は自然の状態では決して起こさない反応です。だから私たちは細胞の自然状態を乱さないで、細胞の微視的な世界を観察することはできないというわけです。

 質問 -- それが生物学における不確定性原理というわけですか。

 千島 -- だからといって細胞の研究に悲観論をもちこもうとしているのではないのですよ。生きた細胞を観察する仕方として自然に近い条件を考え出す余地はいっぱいありますから。

 質問 -- わかっています。

 千島 -- 私が問題にするのは、これまでの研究ではこの点があまり考えられていないと思われるからです。一例を挙げれば、最近生きた細胞の分裂していく様子を、位相顕微鏡を使って映画に撮ったものが発表されました。多くの生物学者は、これによってウィルヒョ-の学説にますます確実な基礎をあたえたものと信じている。私のいう不確定性原理的な疑問をもつ学者は誰もいないのです。

 質問 -- すると教授は、映像が示した細胞の分裂運動は事実でないとおっしゃるのですか。

 千島 -- いや映像そのものはトリックではなく、まさに事実です。私はその映画に写されたものが事実かどうかを問題にしているのではないのです。

 質問 -- と、おっしゃいますと?

 千島 -- 確かに映像に示されている細胞は分裂しています。反自然的な条件化においてです。しかし、その事実が自然な状態でも分裂行動を起こすかというとそうではない。

 質問 -- それは人工的産物だということですか?

 千島 -- その通りです。リンゲル氏液を使い、強い光線をあたえたなかで分裂が進んだからといって、自然な状態でも同じであろうと考えるのは、たいへん危険なのです。

 質問 -- それで教授は別の事実から “細胞は細胞でないものから新しく生まれる” という説を提唱され、細胞の分裂を否定されるわけですね。

 千島 -- 間違ってもらってはこまりますよ 。私は “細胞は細胞分裂によって増殖するという細胞分裂説” を否定してきたのです。
 しかし、“細胞が分裂する” という事実まで否定したりはしていません。

 質問 -- ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 千島 -- 研究者は正常な細胞では観測できないため化学物質を使い、レントゲン線のような物理的な処理などをして、分裂を促進させているのです。また自然界にも細胞分裂は皆無とは言えない。

 質問 -- なるほど。

 千島 -- で、私は自分の観察の結果から “細胞は主として、細胞新生で増殖する” と、唱えつづけてきたわけです。
 ところが現代の生物学者は、細胞分裂を絶対の事実と信じているから、他の生物学的事実と合わなくなって、たとえば遺伝学の法則と細胞学の法則の間で矛盾を起こしてくるわけです。
 なのにそれをなんとかつじつまを合わそうとするから、ますますややっこしくなって、現代生物学の混乱たるやたいへんな状態です。
 そして応用学である医学にも影響し、医学にも大きな間違いを起こしているのです。


がんと食生活の関係が分かった

 がんの原因は現代医学ではまだ解明されていない。かりにウィルスが見つかったとしても、それは千島説から見ると「がんになったため発生したウィルス」であるから、原因にはならない。千島の血液理論は、がん細胞も赤血球が変化したものであるというものだ。
 その原因は反自然的な生活にある。精神の乱れや間違った食生活などがかさなると、血液を悪化し、悪化した血液は正常な細胞にならず、がん細胞になるのである。

 精神の健康は血液を浄化し、そして流れをよくするが、腹を立てたり、恐怖したりすると血液に毒素を持つ。これは科学でも実証されている。そして間違った食生活とがんの関係は、今日、常識になってきたようだ。

 このことは、有名な「マクガバン・リポート」(アメリカ)でもよく知られている。このなかで「がんおよび成人病の原因は九〇パーセント以上食事である。動物性の食べ物、加工食品をとっているアメリカ人の食生活に原因がある」と言っている。
 これは、食べたものが血液になり、その血液が細胞になるという千島説にあてはめれば、いとも簡単に解明される問題である。


がんは切るしかないのが現代医学だ

 医療の実態は、まず手術という考え方がその基本で、それができない場合、抗癌剤投与、放射線療法となる。癌細胞との調和という平和的な療法はないのである。 マクガバン・リポートによってその後のアメリカ医療が変わったかというとそうでもない。とにかく切って切って切りまくるというのが実態だ。
 そこには生命とか生体に対する尊厳が忘れられているのだ。やはり西洋思想においては、人間も一つの物質であるという見方があり、病気は完全に悪だという考え方なのである疾患の部分はもう必要のないものだという考え方に立っている。

 日本の場合でも、現代医療の切り札が手術と化学的新薬であることには変わりがない。体を切りきざむ手術、そして患者の薬づけといった医療行為は、医学が非人間的なものになってきた証拠ではないだろうか。


がん細胞もからだに必要なのだ

 余りにも安易にからだを切りきざむ医師と、それに同意する患者の軽薄な風潮。たしかに患部をとりのぞけば苦痛は消え、たいへん効果があったかに見える。だが生体が失ったものは永久に戻ってはこない。
 からだには無駄なものはひとつもなく、すべての細胞がつながりかかわってひとつのからだになっている。がんにおいても、からだの全体を維持する装置がはたらいて、がん細胞があらわれてくるのである。

 手術は療法ではない、疾患をとりのぞいても、血液の悪化という原因が解決されていないから、同じ病気の再発が起こる。がんの部分をとり除いても根本の解決にはならないのである。病気の部分をからだから切りとってしまうのではなく、その部分を健康な状態に戻すべく努力するべきではないだろうか。


ほとんどの人ががん細胞をもっている

【加藤師の談】
(1)四〇歳すぎればほとんどの人ががん細胞をもっている。そのがん細胞を病院の検査で発見され、現代医学の治療を受けた人達が死んでいる。

(2)癌細胞は、食生活をはじめとする生活改善をすればそれ以上大きくならない。それどころか小さくなっていく。がん細胞が消滅しないまでも、癌細胞と共存して生きていくことができる。

(3)病院で過酷な検査を受け、手術、抗がん剤投与、放射線を照射された患者は、正常細胞を痛めている。その結果、腸の繊毛をやられた人はほとんど回復しない。


 癌研究会研究所の管野晴夫所長は、「各病院の解剖結果によると、高齢者の五〇パーセントに癌が存在し、早期がんクラス。このような人達も生前はがんだという診断は下されなかったし、症状もまったく出ていない。ほとんどの人はなんらかの癌を体のなかに持っている。臨床がんはそのうちのごく一部のものが顕在化したものと推定される」と発表。

 加藤師は「がんは健康な人でももっていると考えたほうが正しいそれを早期に発見して手術する医者の行為は間違っている」というがん細胞は人間の体をつくっている細胞の一部であると考えたとき、医療機関がしきりに宣伝している癌の定期検診による早期発見、早期手術はいったいどういいう意味をもっているのだろうか。
 高齢者の約五〇パーセントに癌が存在することが分かった今日、二人に一人は外科医のメスを受けなければならないっことになるではないか。自然に反するそのような行為が許されるはずがないと加藤師はいう。


千島学説を支持したパリ大教授

「がん細胞は病的になった血液中の赤血球が変化して生ずるものである。細胞分裂にとってどんどん増えるのだという、従来の定説は誤りである」(癌細胞血球由来説 --- 一九六一年発表)

 この論文は国内での評価は受けず、無視もしくは黙殺された。

 ところが四年後の一九六五年になって、パリ大学の教授アルペンが「がん細胞の血球原説」という、千島と同じ結果の学説を発表し、大きなセンセーションをフランスで巻き起こした。

 そのとき、血液学者ステファノポリ-博士が千島の優先権を認めたものの、全体の流れとしては細胞の分裂を信じる生化学者、医学者によって、この新説は結局、無視されるかたちになった。
 千島はその後も研究を続け、癌細胞の自然治癒を示唆した。


老化は腸内細菌が原因になっている

 癌をはじめとする病気の治療及び予防には、食べ物の内容と胃腸の環境をよくすることである。食べ物と胃腸が健全なら、きれいな赤血球が作られるので病気にならない。
 癌に限らずほとんどの病気は全身病であるから、局所だけ治療するという現代医学の治療は間違っている。

 健康を保つ条件の一つは少食であることだ。特に動物性タンパクのとりすぎは腸内の腐敗をおし進め、反面新鮮な自然な野菜は血液をきれいにする。腸内に有用といわれる乳酸菌は外から入ってきたものではなく、食べ物から自然に発生してくる。
(ヨーグルト内と腸内の乳酸菌の種類は違うことに注目)

 菜食主義者なら充分にビフィズス菌が発生することを提唱した。


生物の体を借りて原子転換ができる

 微生物の作用によって食品が分解され変化することを醗酵と腐敗とに分けて呼ぶが、これは人間にとって有害か無害かというまったく人間本位の分け方である。すなわち微生物は非常に低いエネルギーで原子転換する能力をもっている。これを実験したのが、有名なフランスの理論物理学者ケルブランである。(生体内原子転換説)

 この説は、科学の常識から考えると奇想天外な説である。なぜなら、今日の原子物理学では、何十万ボルトという巨大なエネルギーを使うサイクトロン装置でなければ、原子転換は不可能だと考えられているからだ。
 しかし、生物のからだを借りれば、たとえ小さな植物や酵母のような微生物でも、その数百万分の一のエネルギーで原子転換ができるというのだ。この新説を応用すれば、今までの科学では説明できな
かった多くの科学上の謎が、一挙に解明できるのである。
 たとえば、いろいろなビタミンやカルシウムなどが生体の中で新しく合成されるわけも、説明できるようになるだろう。
 千島はケルブランの生体内原子転換説によって自分の学説が説明できることを知った。この考えからいくと、草ばかり食べている動物が肉や玉子や乳を毎日生産している謎も、体の中の原子転換説で説明できるのである。


なぜ菜食主義者は長生きするのか

 ケルブランや千島の新説を認めれば、生物学や化学が変わり、その応用である医学や栄養学も変わる。現代の栄養学では、タンパクは動物性であれ植物性であれ、欠くことができないというのが通説だ。脂肪や炭水化物(窒素を含まず)は蛋白質(窒素を含む)の代用ができないという考えだから。

 しかし、ウシやヒツジ、ウサギが、タンパク質の少ない草を主食として多量の乳汁を分泌したり、筋肉を発育させている。その事実を現代医学や栄養学では説明できないのである。


無残!少女の腕を切り落とす

 私は五年間加藤師のガン自然治癒の実態を見てきたが、現代医学では、がんは救えないのでないか。病院では患者に苦痛を与え、逆に寿命を縮めているのではないかという疑問をもった。十八年間に十三回の手術を受けあと半年くらいの命というのに、これ以上手術はできないから腕を切り落とすといわれた少女の例があった。

 医師は何を考えているのか! 加藤師は怒りをあらわして言う。このような患者不在の医療が、どんどん進んでいることは確かである。四人に一人が癌で死んでいる。これは他人ごとではない、自分がなったときには自分で治すよりほかに道はない。
 加藤師の道場は、現代医学で見放された人ばかりを相手にしている。その中には助かる人も出てくるのだ。特別な治療をほどこすのではなく、患者自身の自然治癒力をたかめる方法であり、患者自身が治しているといえる。


加藤式療法をしのぐ療法はいづれ開発されるだろうが ---

 現代の若者は自動車やテレビなどの知識をもっているが、一番大切な自分のからだのことについては何も知らない。

 無知こそ病気の最大の原因ではないだろうか。一般の人が健康に対する知恵を得ることが、全ての病気に対する根本であると思う。




■■ 第6章 生命弁証法ですべてが解決する

エントロピーの法則は本当なのか

 エントロピーの法則とは、言いかえてみれば、時間は矢の飛んでいくように一方向に進み、再びもどってこないことを意味している。しかし自然界にはこの法則に当てはまらない例がたくさんある。生物がそれだ。体の内部と外部の間で、つねにエネルギーの出入りが自由であるからだ。
 千島はこのエントロピーの法則に真っ向から反対する。その理由は、エントロピーの法則は、自然の姿の片面だけしか見ていない。つまり、自然界の一方だけを支配する “死の法則” だという。

 自然界にはもう一つの “生の法則” がある。この “生と死” の両面の法則でものごとを見なければ、事実を見落としてしまうと、千島は言った。
 生命弁証法は、「全てのものは繰り返す」ということを原則にしているのである。


生命弁証法ですべての現象を説明する

 千島は現代生物学、医学の常識を破った学説を次々に唱えた。それは彼に生命や自然をありのままに見る眼があったからである。

 オスがメスに、メスがオスになる。

「すべての事象は時間の経過と場所の変化に応じて絶えず流転する。」

 一人の人間をみても子供のときから晩年まで、すべてが変わってくる。自然だけでなく、政治経済、社会生活、人間の心も常に変わる。
 ところが、現代の科学は、物事を変化しないものだとしてみている。赤血球は赤血球であり、白血球は白血球であり、まったく別の系統のものだとして区別している。
 しかし、千島はすべてのものは変わるという眼をもって顕微鏡を覗いた。そしてそこに赤血球が核をもつ白血球に変わり、それがさらに細胞に変化することを発見した。そればかりではなく、細胞が赤血球に逆戻りすることも発見した。

 現代医学は中間を認めない。しかし生物の世界では、オスがメスに、メスがオスになることはいくらでも知られている。
 人間も発生の時点では両性的で、まだ男とも女とも決まっていない。そういう要素を潜在的に持っていると考えられるのである。
 突然変異とはわけがわからないこと。生物は環境によってからだのかたちや、性質を変えていく。生後に起こるような変化は、その生物の一代限りのものであって、それは子には伝わらないと、現代の遺伝学は言っている。

 そして、生物が進化してきたその変化のおもな原因を “あるとき突然” といった突然変異で片付けてしまっている。 裏を返せばわけがわからないと言っているのと同じ意味である。これでは納得がいかない。
 生物はながい年月にわたって代々、子が親に似るという遺伝と、環境などによる親の変異を子に伝えるという、このふたつの要素をつみかさねて少しづつ変化して、そして進化したものである。
 しかし現代医学では細胞核のDNAという遺伝子によって、子供へ、孫へと伝えられるという不変的な考え方なのである。

 すべてのものは変化する。変わらないようにみえるのは観察の時間が短いためである。不安定こそ生きている証拠なのだ。「すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や変化の原動力となる」というのも基本的考え方であり、例外のない真理である。自然現象や生命現象はすべての矛盾対立をそのなかにもっているの である。

 すべてのものにひそむ対立は、男と女のようにお互いを補い合っているが、それは決して固定したものではなく、ときにはマイナスが、またときにはプラスが優勢になったりしながら流動的なバランスをたもつ。よせては返す波のようにその消長を繰り返している。

 生物におけるこの矛盾対立は、常に動的(ダイナミック)で、そしてだいたいにおいて平衡状態にある。完全な平衡状態ではなく、そのとき、そのときによってどちらか一方が力を持つ。完全な平衡状態になると死を意味する。

 老子は、 「一つの道は陰陽二気を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず」 と述べている。 対立するすべてのもの、すべての現象は、もともと一つのものが、 二つに分かれたのである。そしてその二つは一つに帰するという。

「自然や生命はおよそ調和しているが、少しゆがみをもっている。 そのゆがみこそ生命や自然の真の波である」 と千島は述べ、すべての自然現象は、波動と螺旋性を基礎としていると考えついたのだ。


なぜトカゲのしっぽは切っても生えてくるのか

「すべての事物は量の蓄積によって質的変化が起こる。」

 たとえば、液体である水に温度の量を蓄積させる(摂氏一〇〇度の熱を加える)と気体になる。 逆に温度量のマイナス蓄積(摂氏 0度)を加えると固体(氷)に質的変化する。生物の進化をみてもこの法則をみることができる。単細胞のアメー バやバクテリアはその構造や働きが単純で下等であるが、そのよう な細胞が約四〇〇兆集まったものが人間だ。

 生物は細胞の集まりだが、その成分である細胞をある割合で加えてみても、生きた人間や生物は生まれてこない。 生物の持つ全体性は、部分のたんなる寄せ集めではなく、なにものかがプルスアルファされて、新たに獲得されたものをもつからだ。 生命体はたんなるたし算以上のものをもっている。
 だから、からだは健康なときでも、病気のときでも、生命を維持しよう、正常に回復しようという方向に働く。

 全体が部分より優位に立っている証拠の例として、トカゲのシッポ であり、高等動物では傷や骨折が自然に治ることである。 これは生物のからだが機械とは違う点である。このように生物は全 体性をもち、全体のために部分を規制する。 癌細胞にしても、癌細胞があらわれなければ、からだは全体として もっと悪い方向にいくからだ。


すべてのものには経過中の中間点がある

 科学は一般にはっきりしているのものだけを対象にし、不明瞭でぼんやりしているものを嫌う傾向にある。明瞭なものを尊重するという科学者の精神は当然なことだが、はっきりした事実がありながら、型取りできないいために、それを不明瞭だとして排斥するのは間違っている。

「組織学の実験をしていて、教科書には血球あるいは細胞の定形的な特性を備えた図が記載されてる。しかし、実際に顕微鏡を覗いてみると、血球とそれぞれの組織細胞との中間移行型の細胞が見える。これはいったい何なのか。おそらく世界中の組織学者や病理学者は解答、説明できない。

 それは現代の科学が形式にとらわれてAともBともつかないものは、無意識にあるいは意識的に見逃しているからではないだろうか」と現代科学のものの見方を批判して、千島は述べている。

 千島の学説は、その研究のすべてが現界領域にある。ばくぜんとした、この現界領域にこそ真理が隠されていたのである。

「すべての事物には、経過中の中間点がある。」とは、このことだ。現代の生化学者が、赤血球はいつまでも赤血球としか考えられないのは、地球の一部をとらえて大地は直線であると考えてるようなものである。


生物と無生物を区別する必要はない

「自然は連続している。」

 人間のからだは外界とははっきり区別できると考えるのが普通だ。しかし外気は鼻の穴から気管を通して、肺の膜でガス交換を行っている。そこで酸素と二酸化炭素が出入りし、この壁が外部と内部の境界となって人間は自然とつながっている。
 消化器においても、口と肛門を通して外界に開いている。人間は穴のあいたちくわのようなもので、消化器の内側は外部環境であるといえる。

 その消化器のなかにつまっている食物は、腸の膜を通じて内部環境である血液とつながっている。その食物が消化されたもの(食物モレラ)は、腸と絨毛とのはっきりした境をもたず、連続して移行している。

 この発見が “腸管造血説” となった。

 このようにすべては連続している。生物と無生物も連続している。生物と無生物との区分は、人間が勝手に決めたものにすぎないのである。

 現代生物学の定義からすれば、細菌やアメーバはどうにか生物の仲間にはいるが、ウィルスやリケッチア(発疹チフスやつがむしの病の病原体)などは生物とはいえない。ウィルスは「生きながら死んでいる」などと言われるのもそのためである。
 それらは、生物と無生物の限界領域にあるものともいえる。人間が勝手に区分したために、居所を無くしてしまったのである。
 生物の起源は、無機物が有機物になる時点で、そこから発展して生物に進化する。 千島は無生物が生物になる可能性を説いたのである。

 本来、自然界は区切りなく連続してつながっているのである。自然界にはなにひとつ、孤立し、他とつながりをもたないものはない。


逆成長で長生きすることができる

「すべての事象は繰り返しを原則とする」という考え方は、現代科学の主流の考え方と対立する。発生、発育の現象と崩壊、破滅への現象を一体にしたものが繰り返しの原理である。

 現代科学の最高の法則と言われるエントロピーの法則が成立するのは、宇宙がエネルギーの出入りのない有限の世界だと考える場合であって、宇宙が無限であれば成り立たない。

 老子は「陽きわまれば陰に転じ、陰きわまれば陽に転ず」と言っている。自然というものは、限界になれば次にそれを減ずる力が働き、まったく逆方向に向かう作用をもっている。

 また「色即是空」という言葉は、科学的に言えば物質とエネルギ-の関係をあらわしている。物質はエネルギーであるが、エネルギーも物質であるということと、物質はエネルギーになるがエネルギーも物質になるということである。
 一日は昼と夜、一年は春夏秋冬、月は満月と新月、海岸の波は満ちたり引いたりするように、この世の中のすべてのものは、成長と逆成長を繰り返してなりたっているといえるだろう。


弱肉強食で進化したのではなかった

 千島は、進化のもっとも大きな力は「自然界は共生でなりたっていることだ」と言った。人間社会が、結局のところ、個人と個人の信頼関係にすべてがあるのと同じで、生物の進化も、種の違う生物との助け合い、総合扶助で成り立っているのではなかろうか。
 生物界を見渡して、まったくほかの種の助けをかりないで生きている生物はいないのである。

 化学的には親和力、物理的には同性電化をもつ分子の同性反発、異性索引の法則にしたがうものから、細胞のように同性、異性の区別なく、ただただ集合しようとする衝動にかられるものをも含め、すべての物質は精神をもっているという。

 もちろん、陰と陽の電気的単純なものから、高度に進化した人間の精神的エネルギーに至るまで、その程度は異なっているが、根本には共生がある。そしてこれは「親和力、または愛」という力によるものだ。

 ベルギーの物理学者イリヤ・ロリゴ-ジンが最近注目を浴びている。彼は一九七七年のノーベル化学賞の受賞者で、やはり、エントロピーの法則を超えようとする理論をもっている。
「宇宙の起源が、大きな爆発(ビッグ・バン)で始まったとしたら、宇宙はたんなる花火にしかすぎない。自然界はビッグ・バンで説明がつくほど簡単なものではない。近くに寄って見れは見るほど複雑な世界がみえてくる。その複雑で、豊かな創造力にあふれた宇宙では、すべてのものが流転する。そう考えると確率の法則などは冗談にもならない。本当の世界はもっとデリケートである。法則もあるが、例外もある。時間もあるが永遠もある。世界を自動装置の機械だとする古い考えはもう捨て、古代ギリシャの発想に戻ってほしい。世界は芸術なのだ。」

 最近、この理論を裏づけるようなバクテリアによる実験が紹介されたという。一般的には、物質は精神とは別個に独立した存在だと考えられがちだが、物質と精神を含めたエネルギーについての正しい概念を持つ必要を痛感する。


自然は不相称性(アシンメトリー)だからこそ美しい

 物理学の世界では、素粒子の空間的な対称生のことを、パリティーの法則と名づけた。そして、すべての原子は左右対称と認められていた。ところが一九五七年になって、中国の物理学者李政道と揚振
寧の二人が、パリティーの法則は成立しないことを発見した。後に二人はノーベル賞を与えられた。
 原子の世界でも右と左は相称性(シンメトリー)だと考えられていたのに、ふたを開けてみると不相称性(アシンメトリー)だったのである。

 ここにパリティーの法則が破られ、宇宙はゆがんだものだということがほぼはっきりしたのである。「生命の形態はアシンメトリ-である」と言った千島の理論が、原子レベルで証明されたのだ。

 自然界における左と右は相性的にみえて、実はすべて不相称性である。人間のからだの内部、外部をみても近似的な意味での左右相称で、あきらかに形も機能も不相称性である。顔にしても、必ず左右に少しづつゆがみのあることを知っている。
 原子という極微の世界から、地球、天体、宇宙空間といった極大の世界に至るまで、自然はわずかに不相称性であることが分かってきた。

 千島は「真の美は少し不相称を含んだ相称である。不調和の調和である。完全なる調和は死に通ずる。動きがないからである。」 「人間は直線を好むが、自然は曲線を好む」と言った。
 いままで延べてきたことをまとめると「生命現象は波動と螺旋運動としてとらえるべきである」という結論になる。自然や生命の現象は、決して直線的に進むのではなく、寄せては返す波のように、月が満ちては欠け、昼と夜が繰り返すように必ず波動をもっている。その繰り返しは同じ円上をまわるのではなく、螺旋を描きひろがっていく。それが千島の見た自然界だったのである。

 現代の科学は唯物論的で分析的な見方によって、物質や機械や化学の技術進歩を遂げてきた。しかし、無生物を相手にする物理や化学にはその弊害も少ないが、生物学を基礎とする医学には多くの問題を残している。



■■ 終章 自分の生命に責任をもちなさい

人間モルモットにされているがん患者

 一人のがん患者の体験から~ 手術をしても半年の命と言われた。どうせ半年の命なら、痛い目をさせずに、切らずに退院をしようとしたら、その某医大病院では、「切らせてくれ」という。
「手術して治る保証はあるのか」と聞くと、「可能性がある」という。「どのくらい助かっているのか」、「一人だが助かっている」たった一人以外は不幸な結果に終わっていることを知り、退院を申し出たのだ。それまで、三日も要したが、その間病院の動きは不可解だった。

 医師は家族にはひと言の断りもなく、患者本人に手術をすると通告してきたのである。そして本人を検査室につれて行き、およそ二〇〇人の医師や関係者のさらしものにしたのである。まさにこれは患者の人権無視である。


がん手術は病院経営のためなのか

 病院の副医院長である石神氏は、加藤式療法を試みている医師である。この東洋医学的な療法を行い次の様なことに気が付いた。

 A.癌細胞の摘出をまったく受けていない人
 B.手術を試みたが除去不可能のためそのままにした人
 C.手術でがん細胞を除去した人

 a.放射線療法、抗がん剤投与をまったくしなかった人
 b.抗癌剤投与だけをした人
 c.放射線、抗がん剤投与した人

と分けてみると、治りやすさはAa~Cc順になるのではないかというのである。

 ことがんに関して言えば、「医師はがん患者を殺しているといえますね。それが言い過ぎであれば、生命を縮めていると言えますね」、「まあ、そういうことだね」と石神氏は認める。

「手術、放射線、抗がん剤というこの癌の治療をやめたらいいでしょう。」「そんなことできないよ」「どうして」「この三つの治療法以外にがんの治療は現代医学にはないからだ。またそれをやらなければ病院の経営は採算が合わなく、成り立たないじゃないか。この三つの治療法で癌が治るという考えをもっている医師は一人もいないよ。そしてそれがよくないことも医師は知っていてやっているんだ」。

 現状の医療制度ではどうしようもないことだというのである。

「私は、今の日本の医療の姿に怒りを抑えることはできない。一番大切な命の問題、あるいは健康の問題を、すべてカネで解決しようとしているからである」と、言って医師免許を投げ返したのは塩月正雄氏の良心だった。

 医師もまた現代医学の犠牲を負わされているように思える。


新しい医療をめざす医師もいる

 若い医師の松本氏は言った。
「現代の医療は間違っている。この部分がよくてこの部分が悪いという問題ではない。部分修正ですむものではないのだ。一度すべてをたたきこわして、そして一から出直さなければならない。」


現代医学の誤ちに気づき始めた

「アメリカの若い医学生たちは、自分たちの学んできた合理的医学の不合理生に気付き始めている。従来の医学のあり方への反省から“人道医学”が提唱されている。 真の治癒ができるのは病気にか
かっている本人のみなのだという認識がたかまりつつある。患者の自主性と人間らしく生きるという願いは、人間らしく死ぬ権利の主張をも呼びおこしている。」

 これは、マリリン・ファ-ガ-ソンの言葉である。

 今日の健康ブームは、裏返せば現代医学の批判である。このブームは、医師に預けっぱなしになっていた健康管理を、もう一度自分の手の内の取り戻そうということで大いに評価できると思う。新しい医療、 それを「自分の信念にしたがって健康を管理する時代」と呼びたい。なぜなら、新しい行動に移るには、新しい理論がどうしても必要なのである。


“病気を治す” のか “病人を治す” のか

 現在の病院では、病気は治ったが患者は死んでしまったという笑えない話がある。現代医学がかかえている問題は、人間のからだを物質としてとらえているために、全体としてなりたっていることを忘れ、どうしても悪い部分だけに眼がいくことであろう。そしてそれを科学だけで解決できると信じていることである。千島はそれを「科学迷信」と表現した。

「迷信とは真実でないことを信じることによって害を受ける場合をいう」のだとすれば、現代医学の常識を信じ、そして、医学知識が原因の “医原病” にかかったり、薬公害に悩む人々が多いということは、科学迷信というワナに落ち込んでいるということになる。
 東洋医学にしても薬で治療する方法は最低のものだと説いている。薬をきちんと飲めば病気になる。

 人類が直面している危機は、およそ三つに分けられると思う。

 その一つは、核戦争による人類や地球の破滅。
 その二は、科学や技術文明が一方的に発達することで、自然崩壊や公害が続出し、人間の健康が少しづつおかされていって、人類が滅亡することである。
 その三は、人類が生き残れるほどの食糧がこれから確保できるかどうか、エネルギー資源をいつまで確保できるか。

 これらを解決するには、とても科学の力だけでをあてにすることはきない。今こそ、物質や経済優先の思想に歯止めをかけ、精神文明を復活させることが肝心ではなかろうか。
 そのためには、なんとしても自然や生命に対する正しい知識を学びとる必要がある。その指針が千島の“生命弁証法”であった。

 一八七三年(明治六年)に、日本の医療制度が改革され、西洋医学が中心となって今日に及んでいる。 そして、その西洋医学一辺倒は、百年後の現代になって、大きな問題を投げかけている。
 現代の医療制度に大きな問題がある。病人がいなくなれば医者は成り立たないという医療制度になっているからだ。

 医師はがんの予防運動よりも、早期発見、早期治療に声を大にしている。しかし、どんなに早期発見、早期治療をしても、ほとんどの患者は半年ほどで死ぬ。
 日本の医療制度だと、自分の区域に患者がたくさんでた方が儲かるようになっている。病人が出なかったら医者は困る。

 現実の医療制度は保険法があって、ある程度の病気なら、ほとんどお金がかからない。そこで行く必要のない軽い風邪でも何かと安易に病院に通い、医師に負担をかけ、儲けさせている。
 そのうえ、いまの保険制度では薬をあたえたり、手術したりすると点数が上がるようにもなっている。
 そこで、医師も必要以上に患者に薬を与えようとする。これが、乱診を生み出す土壌となっている。

 病院でもらった薬をまじめに飲めば、それだけで病気になる。しかし医師はそんなことにおかまいなく製薬会社と提携し、薬を安く仕入れ、患者にどんどん薬を与える。そして病人をつくるという悪循環を繰り返しているのだ。
 日本の医療制度は徹底して先進的に見えるが、保険制度など見直さなければならない問題が、いくらでもあるのではなかろうか。


日本の医師は独禁法に違反している

 千島はかつて “医療国営論” を唱えたことがある。今の日本の国民保険制度は、医療国営に近いように思われている。
 医師などもこれでよいと思っている。ところがそうではなく、国民保険制度には非常に弊害があり、矛盾があるのだ。今の医療制度では、病院に入っても特等席があり、保険ではまにあわない薬もあり、プラスした費用がかかるるようになっている。
 また東洋医学や民間療法も取り入れられておらず、これら有効な療法も保険制度からはずされているのだ。このように差別待遇がある。

 この医療国営を実際にやっている朝鮮人民共和国では、医療が無料で、国が医者を地域別に割り当て、担当の医師はその地域を巡回し、健康管理の指導を行う。そしてその地域の住民に病人が少なかったり、死亡率が下がったりすると、医師の月給が上がる仕組みになっている。
 日本の医療制度とはまったく逆である。その面だけ見れば医療の先進国である。

 中国では、西洋医学しか学んだことのない医者しかいない日本の場合とは違って、西洋、東洋医学の両方の医者が活躍している。また、中国では医師の実際の力を評価する。日本の医師は、政治献金などで政府と癒着し、人間の命を扱っていることをたてに、特殊な法律で守られ、医師会は力のある大きな団体そこで医師にも独占禁止法を適用し、自由競争をさせたらどうであろうか。
 それには、東洋医学や民間療法などを参加させ、病気を治すのは医者だけではないということを大衆に示すことだ。そうすれば、薬を飲ませて病気をさらに悪くするような病院には行かなくなる。
 これが千島のアイデアであった。

 しかし、日本の医療の現実は、特殊な医師法(病気は医師以外が診断、治療してはいけない)という法律の規制の元で、医師たちは大きなあぐらをかいているのだ。

 千島が提案したように、日本の医療制度が改革されるかというと、現実には絶望的と言わざるを得ない。

 では、私達ができることは何か。
 それは私たち一人一人が、生命や健康についての正しい知恵をもち、医療について正しい判断を身につけることしかない。
 自分の信念によって自分の健康を管理する。そんな時代がきた。
 千島学説はそのための理論だと私は思う。


 (終わり)


 この文は「間違いだらけの医者たち」より抜き書きしたものですので、詳しくは本をお読みください。
 ダイジェストにするつもりが長文になってしまい、お分かりにくいかと思いますが、この本の内容は「岡田茂吉理論」を研究する時、大変参考になるものと思います。




  【「千島学説」関連書籍 】

            忰山紀一 」さんの著書


      「千島喜久雄」博士の著書


         「稲田芳弘 」さんの著書