これは、「千島学説」を分かりやすくまとめている「間違いだらけの医者たち―現代医学を揺るがす千島学説 忰山紀一(著)」という図書からの抜粋です。★阿修羅♪ から転載しています。
 また、忰山紀一
さんは「千島学説入門―生命発生からガン治療まで
」も著されています。



 「千島学説」に興味ある方に、追加情報 

 生物学は医学の基本である。医学は生物学の応用である。
 しかし、その生物学が間違っているとしたら・・・。

 故、千島喜久男氏は生物学専攻の医学博士であった。氏が唱えた千島学説は異端の説として一時日本の学会から葬られようとした。しかし、時至って異端が異端でなかったとしょうめいするかのように、医学の自壊が始まっている。

 いつの時代でも異端の説というのは、当初は無視され拒絶されるようだ。しかし、それが真実であるならば時とともに現れてくるようだ。医学の基本となるのは、やはり、生物学。その専門の学者が発見したものは何だったのか。

 著者、枠山氏は千島理論を非常にわかりやすく解説されて本にしてくれた。我々はただそれを読むだけで偉大な先人の智慧を学ぶことが出来る。なぜ本のタイトルが「間違いだらけの医者たち」なのか読むにつれて納得していくだろう。




間違いだらけの医者たち

忰山紀一(著)かせやま きいち:医事ライター) 徳間書店



■■■ 千島学説は、ノーベル賞に値する

 千島喜久男 -- 一八九九年岐阜で生まれる。生物学選考の岐阜大学教授。医学博士。千島学説と称して “赤血球分化説” “細胞新生説” “腸菅増血説” など異端の説を唱えた。その学説は日本では受け入れられず、むしろ、外国で有名になってくる。一九七八年、七九歳で没。

 千島の新説のどれひとつをとりあげても、ノーベル賞に値する研究であった。しかし、これらの発見は、あまりにも現在一般に信じられている科学と対立するため、結局認められなかった。

 科学の新しい理論は、えてして最初は奇異にうつるものである。近代の量子学の基礎をつくったデンマークの物理学者ニ-ルス・ボ-アは、「一見まっとうにみえる考え方には望みがない。本物は常軌を逸しているものだ」と言っている。



■■ 第1章 信じられている細胞分裂の疑問

 驚くべき発見は、常識的な考えや昔からのものの見方を根底からくつがえすが、それが一般の知識となるまでには、かなりの歳月を必要とする。新発見がなかなか世の中に伝わらないもっとも大きな原因は、仲間である科学者が、その重大性に気づかないからである。
 細胞は本当に分裂で増えるのか、世界のすべての学者が信じている細胞分裂説にたいして、「ウィルヒョ-は間違っている」といったのが千島喜久男なのだ。

 千島の「細胞は分裂によって増えるのではなく、体のなかを流れる赤血球が日々細胞に変化し、この肉体をかたちづくっていく」という新説は、医学の根本をかえ、私達の健康にかかわる大問題なのだ。
 しかし、この新説は私達の身近なところに届く以前に仲間である科学者たちが「そんな馬鹿なことはない」と、頭から馬鹿にして無視してしまった。


千島の世紀の大発見

 彼が発見したものは、ニワトリの卵の黄身(卵黄球)が赤血球に変化(分化)し、 その赤血球が生殖細胞に変化している様子だった。

 千島は自分の眼と頭を疑った。細胞は細胞から生まれる --- これは一八五九年にドイツの ウィルヒョ-が “細胞病理学” のなかで発表していらい、生物学の最も重要な根本原理だった。

 ところが、千島の見たものは、生殖細胞でない赤血球から生殖細胞が造られているという現象だった。どうやら、自分は生物学だけでなく、それにつながる医学、遺伝学、細胞学、血液学の定説を根本からくつがす世紀の大発見をやったのではないか。千島は体のふるえを感じながら考えた。

 千島は実験を何度も繰り返し行い、赤血球が細胞に変わることを確認した。 そして、“卵胚子生殖腺の組織発生並びに血球分化に関する研究” と題する論文が、九州大学農学部に正式受理されたのは、一九四七年九月である。

 正式受理された学位請求論文は、四ケ月以内に教授会に審査報告をする規定がある。それなのに四年もの間ほうっておかれた末、論文の取り下げを要求されたのである。

 このとき千島の論文は 九州大学内部の問題ではなくなっていた。日本の生物学会のすべてが、千島の新説にこぞって反対したのである。「血球と細胞は別のものだ。その血球が細胞になるなどとは、犬が一晩で人間に変わるようなものだ」と批判した。
「犬が一晩で人間に変わるなどと言っていない。ニワトリのタマるのに、世界の学者は生命は変わらないものとしてとらえている」からだった。

 現代の最も進歩的な生物学者に、生物とは何かと質問すれば、生物は一つの機械だという答えが返ってくるだろう。「遺伝情報が詰め込まれたDNAの指令にしたがった部品が集まって決まった一方向に流れていく」 物理と化学の法則にしたがっている物質と変わりがない。これでは生物の特性である心のはたらきがまったく考慮されていない。
 しかし、何よりも間違っているのは、自然の大法則である “全てのものは変わる” ということを無視していることだ。赤血球は細胞に変わり、また赤血球に戻る。この繰り返しこそ自然の本当の姿であり、この事実は見ようとすればいつでも見ることができるのである。

 千島は血液の研究を中心にして、医学の常識と対立し、生命に対して間違いをおかしている現代科学に挑戦したのである。


人間の血液はどこで造られる

 赤血球は骨髄で造られる --- 現代医学の定説になっている。一九二五年、アメリカの三人の血液学者によって最初に発見された。彼らはニワトリや鳩を九日から十日間絶食させ、骨髄を観察、造血作用を確認した。

 しかし、この実験はおかしい点がある。どうして長い間絶食させるという異常な状態で観察したのだろうか。また、それを健康な体に適用してよいのだろうか。千島は、ニワトリ、ウサギ、イヌ、ネコ、カエルなどを材料に、栄養状態の良いときと、絶食させたときとを比較しながらさまざまな実験を繰り返したのである。

 その結果、食べ物の消化物が腸の繊毛に附着し、それが腸粘膜に吸収される過程で、アメーバに近い姿に移行し、やがて赤血球に成熟し、それが血管に流れ込むのを確認したのである。植物には根があって、そこから水分、栄養分を吸収し成長している。動物の場合、その根に当るのが腸の繊毛であったわけだ。

 脊髄のない動物は骨髄がないから、血球は消化器で造られている。しかし人間や脊椎動物の血球も、発生の最初の段階では卵の表面の繊毛、ついで胎盤のせん毛、生後は腸粘膜のせん毛で造られことを千島は発見した。
 しかし、骨髄造血説は現代医学の基礎知識であり無批判に信じられている。それは骨髄の中に多種多様な細胞があることと、飢餓もしくは栄養不足のときに、造血作用が認められるからである。だが、骨髄の造血作用は、真の造血ではない。
 なぜなら、骨髄は健康状態のときは脂肪が充満していてとても血液は造れないからだ。飢餓および栄養不足では血液が補給できないから、細胞が血球に逆戻りしているのである。“異所造血” といって骨髄以外にみられる造血作用同様である。


赤血球の解釈がこんなにも違う

 千島の新血液論をまとめてみると、

 消化された食べ物が赤血球になる。
 赤血球は腸で造られる。
 血管は閉鎖系であり、赤血球が組織にとび出しているのは炎症など病的な場合であるというのは間違いだ。
 毛細血管の先端は開いていて、赤血球は組織と組織の間に入り込む。
 健康で栄養状態のよいとき、赤血球はすべて細胞に変化する。体が病気の方向にむかっているとき、赤血球はがん細胞や炎症細胞などの病巣の細胞に変化する。
 断食や節食や大量の出血後、あるいは病気のとき、すべての組織細胞は赤血球に逆戻りする。
 負傷などでからだの破損したところを再生するのも、赤血球が組織に変化するからである。

 以上のことを平たく言えば、食べたものが血となり肉となるということだろう。

 健康の条件は、血液を淨くすることと、血液の流れを良くするにつきる。逆に病気の場合は、血液の汚れと滞りが原因することになる。 (とどこおり)


“気血動の調和”

 精神の安定(------ 精神の乱れは血液を汚す
 正しい食生活(
 適度な運動(------ 運動不足は血液を滞らす


薬づけでサリドマイド事件はまた起こる

もし、医学者や薬学者が血液と健康の問題をはっきり認識していたら、大きな問題にならずにすんだのが、あのサリドマイド事件である。千島は早くから妊婦への薬の危険性を警告していたのである。「赤血球は細胞の母体である」という自説から、医学界や製薬会社に警告し、一般にも啓蒙した。しかし学会は無視した。

胎児が薬品で麻痺したり鈍ったりすると、血管も血球も発達が不活発になり、手や足の発育はとまってしまう。いつ第二の事件がおきても不思議ないほど人間の体に影響する薬は年々増えているのだ。


輸血は危ない!

 血液がその人の本体であれば、輸血は他人の生命をもってきて自分の生命に置きかえているようなものである。欧米諸国では二五〇万人の輸血拒否運動を続けているクリスチャンがいる。輸血を拒否し代用液を使用している病院や患者は、信仰によるものであるが、輸血をしている病院よりも死亡率が低いというのである。
 しかし、純粋に医学的な見地から判断し、輸血を避けて代用液を使用して成功している例が、外国では多数報告されている。

 ベ-リ-博士は、「出血による赤血球の激減は、生命をおびやかすものではなく、代用液のほうが血しょうや血液そのものの輸血より実際に有効である」。

 A・J・シャドマン博士は、「私は二万例以上の外科手術を行ってきたが、輸血をほどこしたことは一度もない。私は普通の食塩水を多く飲ましただけであるその方がいっそう良く、また安全である。血を失ったどんな症例にもこれを使ってきたが、死亡例は一つもなかった。チョークのように血の気が失せ、石のように冷たくなっても患者は生きのびてきた」と報告している。

 このように、輸血を代用液にかえて成功した例はいくらでもある。なのに危険きわまりない輸血が、あたりまえのように行われている。それは二リットルの血液を失えば、二リットルの血液を補充しなければならないという、間違った機械的な医学を信じているからである。

 千島学説は、「血管内に注入された血液、特に赤血球は病巣に集まり、病的になっている組織をますます拡大し悪化させる。」と言っている。


医師が知っている輸血の恐ろしさ

 輸血直後に起こる副作用として溶血反応がある。これは不適合な輸血を受けたため、血液の中に抗体ができて、外から入ってきた赤血球を破壊し、それを溶かそうとする反応である。重症であれば二時間から三時間、あるいは二日から三日で死亡する。起きたときの死亡率は五〇パーセント。この溶血反応は、防ぐことはできない。どのように適合性を調べて輸血しても、この反応がおこる場合がある。
 どんなに医師が努力して血液型の分類、より細かな適合性を調べたところで、溶血反応が皆無にならないのは、「血液は指紋と同じように、その内容はそれぞれ異なっている」からだ。

 全輸血者の二十パーセントに発生するといわれている血清肝炎は、輸血後五十日から百五十日の潜伏期を経て発病する。一九七一年のアメリカの報告によると「輸血によって血清肝炎にかかるものが年間三万人、そのうち三千人ほどが死亡。潜在性のものを含めると年間十万人が輸血による血清肝炎にかかっているものと推定される」。


あのエイズも血液の病気なのだ

 アメリカからの輸入血液にエイズ患者のものが含まれていないという保証はない。エイズ問題が起こったとたん、フランスはいちはやく外国の血液の輸入を禁止してしまった。西ドイツ、イギリスも追従した。
 しかし、日本の厚生省は動きを見せていない。「すべての病気が血液の汚れと滞りから」という千島学説から、エイズもまた血液の病気である。




■■ 第3章 生命誕生の謎をさぐる

 地球上に生命がどのようにして誕生したのか、また、今でも地球上で生命は誕生しているのかどうか --- これは昔から科学者が夢を抱き続けてきたテーマである。
 論争の末、今日の生物学者の共通の結論は「バクテリア、ウィルスといえども親なしには自然発生はしない。」という生命自然発生の否定で落ち着いている。

 それでは、人間の赤ちゃんが生まれたとき、腸の中は無菌であり、生後二、三日たつとビフィズス菌という乳酸菌が繁殖することの説明はどうするのか? トップクラスの専門家でも腸内細菌の発生については謎である。なぜなら微生物の自然発生を信じないからである。

 世界の学者が、自然発生の否定をどうしてかたくなにまもり続けるのだろうか。そのもとをたどれば、一二〇年前のパスツールの実験結果がいまだに世界の学者の定説になっているからである。

 このパスツールの説に反対し、バクテリアの自然発生を肯定する説を唱えたのが千島喜久男である。一九五八年、カエルの血液を腐敗させて、そこにバクテリアを自然発生させる実験観察に成功した。バクテリアは有機物の腐敗から新しい生命を得て、親なしで発生したのだった。

 世界的な食養の大家、桜沢如一氏も千島説を支持した。「パスツールの実験は、大自然をビンやつぼの中ととり違えている。彼は細菌の自然発生の否定に熱中しすぎて、その起源について考えることを忘れている」と。

 牛山、後町の両博士は「血液銀行で保存する無菌処理された血液は、たとえ冷蔵庫のなかにおいても、十日以上経つとバクテリアは自然発生する」と発表 。

 元科学技術庁顧問、斎藤憲三氏は蒸した米から、麹菌(バクテリア)の自然発生することを発見した。さらに、これは工業技術院に追試の実験を依頼して確認された。

 千島説に対しての学会の反響はあった。がしかし、反発はそれ以上につよく、結局、この自然発生説はほかの新説と同様に黙殺さてしまった。


パスツールの実験にはトリックがあった

 千島はパスツールのおこなった実験と同じ条件、同じ器具を使い、追試の実験をおこなった。そのとき、千島は奇妙なことに気がついた。
 パスツールの説は実験の範囲では事実であるが、自然界一般の法則にまで拡大解釈するには理論的な矛盾をもっているということであった。

 生命の自然発生にはつぎの5つの条件が必要である。

  適当な温度 水分 空気 栄養分
  一定の時間的経過(自然の季節)

 パスツールの実験にはこれらの条件を充たしているものといないものがある。まず、試験管内の肉汁を摂氏100度の高温で過熱したこと。これではバクテリアの栄養源である有機物は熱変成して自然
態に変質してしまう。

 つぎに、生物が生きるために必要な酸素をふくむ空気を過熱して追い出し、酸素欠乏の状態をつくりだした。そして、急激に温度の変化を与えたということは、自然界の季節の変化(一定の時間的経過)を無視しているのである。
 自然の状態では冬から春、春から夏というように徐々に温度が上がるにつれ、生命は活発な活動を開始する。バクテリアの自然発生が容易になるのは温度の推移が影響してくるのである。

 パスツールは自然というものを無視して、機械論的に自然発生を否定したのである。結論として、バクテリアの発生は、空気のなかにまじっている細菌やそのたね(芽胞)が、肉汁のなかに落ち込んだものと断定した。
 彼は、自然発生を否定する実験には、歴史上まれにみる巧妙な仕掛けをあみだしたにもかかわらず、この “空気の中のたね” を親として、バクテリアが分裂して増殖することを証明する装置はまったく
つくらなかった。

 これはパスツール説の盲点中の盲点なのだ。生命は空気(酸素)がなければ生きられない。この実験は缶詰めの製造には有効だが・・・。
 このトリックに気付いたのは千島しかいない。また、パスツールはバクテリアの自然発生を否定したまま、それでは “微生物はどうしてできるのか” という問題を捨ててしまっている。


地球上最初の生物はどうして発生したか

 この問題に果敢にも挑戦したのが、ソ連科学アカデミー会員のアレクサンドル.オパ-リン博士である。生物がまったく存在しない太古の地球上では、始めは無機化合物から有機化合物が合成されなければならない。
 オパ-リンは “生物で無いものから生物が誕生した” という問題を研究発表して、世界から脚光を浴びたのである。だが、オパ-リンは、これは何億年前のある時期にたった一度だけであるといっているのである。
 その理由は、今日の地球上には生命がすでにできていて、地球は新しい生命を発生させる段階を過ぎているからだという、なにか奇妙な理由をつけている。

 オパ-リン説 --- 無機化合物から生命の一歩手前の物質(有機化合物)を経て微生物が生まれる。
 千島説 --- 生物の崩壊によってできた有機物から細菌が発生するを第一次生命の発生、 を第二次生命の発生とよべば混乱は少なかっただろう。

 しかしオパ-リン説は世界でもてはやされ、千島説は黙殺されている。


感染ウィルスは輸血そのものが原因

 この千島説を医学に照準をあてると、いままでの伝染病のイメージが、まったく変わってしまう。たとえば、現代医学では感染ウィルスの原因を輸血液の中にまじっていたウィルスの感染によるものだと説明する。
 しかし、千島説からみると輸血による血清肝炎は、供血者の血液にウィルスがまじっていなくとも輸血という不自然な影響によって起こり得るという。

 血液は指紋と同じように百人いれば百人、千人いれば千人の血液型がある。学問上は適合型であっても厳密には不適合である。この千島説を医学に照準をあてると、いままでの伝染病のイメージが、まったく変わってしまう。

 たとえば、現代医学では感染ウィルスの原因を輸血液の中にまじっていたウィルスの感染によるものだと説明する。しかし、千島説からみると輸血による血清肝炎は、供血者の血液にウィルスがまじっていなくとも輸血という不自然な影響によって起こり得るという。

 輸血によって肝臓は充血し、そのとどこおった血液が肝細胞に変化してますます肝臓は肥大する。すると細胞の活力が弱まって、そこにウィルスが自然発生するというのが千島の考え方である。
 現代医学の考え方とは順序が逆なのである。つまり輸血はどのようなものであれ、血清肝炎の危険性から逃れるすべはないのだ。

 だがこの危険きわまりない輸血禍は、当分つづくだろう。これをなくするには、私たちが輸血を拒否するつよい信念をもつことが第一である。
 いずれにしろ、新しい医学が確立したときには、医療から輸血という方法が消え去るだろう。


ハンセン氏病対策に盲点がある

 千島は外からのウィルス感染が原因ではなく、悪化した体の組織から発生するウィルスが原因すると言った。このことはハンセン氏病(ライ病)について考えてみるとよく分かる。
 ハンセン(ノルウェー)は、一八七一年ライ菌を発見して、「ライ病は細菌に感染して起こる」と発表。現在にいたっても大多数の医学者がこのハンセンの説を信じているのである。

 ところが千島は、ハンセンの説に反対する論文を書いたのである。そのひとつが『現代医学のハンセン氏病対策の盲点』である。
 まず、ライ病療養所の医師や看護婦でライ病に感染したものは一人もいないということである。また、現代医学の言う、ライ病は感染してから五年から十年の潜伏期を経て、はじめて発病するというのが定説なのだが、あくまでも想像説なのだ。

 ライ菌がどこに潜伏していて、いつ発病するかということを、五年間ずっと追跡し、実証した学者は世界中に一人もいない。さらに健康な人にライ菌を接種したところ、感染しなかったという実験データがある。

 このように、細菌の感染によって起こるという説は矛盾する。にもかかわらず、いまなお伝染病説が根強く生きているのは、ライ菌が存在するというたった一点に固執しているためである。千島はハンセン氏病の原因を、不規則で不衛生な生活を続けたからとみる。

 精神的ストレスがたまれば血液がにごる。不衛生な食事は悪い血液をつくる。怠惰な生活をすると血液は滞り、変化しはじめる。神経の障害があれば、血液から正常な細胞はできず、変質した細胞になるだろう。こうした悪い条件がいくつかかさなって、体の組織の細胞が少しづつ老化して、え死にまで進むのである。

 “ライ菌に感染して体が腐敗するのではなく、細胞が腐敗してそこにライ菌が自然発生したわけだ。”


医学は人を救うための応用の一方法である。

 八千人の日本のハンセン氏病患者を間違った隔離から解放する義務は医師に課せられた問題だろう。
(アメリカなどでは隔離方式をやめ、外来を主とする方法に切り変えている)

 伝染病と流行病はまるで違う。千島説から医学を見直してみると、私たちが今まで信じてきた伝染病ももののみごとにくつがえされてしまう。

 一般にはその伝染病の感染経路が不明であっても、ウィルスが患者から発見されれば、どこかで感染されたものと断定される。伝染病と言えば、細菌、ウィルス、原生動物など、それぞれの病原微生物に感染して起こるのが、常識となっているからだ。
 ところが千島は、からだが弱ってくると細胞や組織が病的になり、それが腐敗の方向に変化すれば、そこに細菌やウィルスが自然発生すると説く。

 もちろん、はっきりした感染ルートがあり、抵抗力の弱いものだけがその病原菌にかかるという場合もある。これは文字通り伝染病だ。
 いっぽう流行病というのはからだそのものが弱っており、加えてまわりの環境の激変などの影響をうけたとき、病原体がからだのなかに自然発生し、伝染病と言われているものが同時多発的にひろがる
場合である。


流行病というのは感染病ではないのである。

 現代医学では、こうした場合でも感染ルートを必死にさがそうとする。これはバクテリア、ウィルスが自然発生することを認めないからだ。だいいち、病原菌がからだのなかに入ったからといって、かならず発病するとはきまっていない。
 ドイツの有名な衛生学者ペッテンコ-フェルは、それを証明するために、自分のからだを実験台にしてコレラ菌を飲んだが 何ともなかった。有名な話である。
 千島の新説を医学界が検討すれば、同じ意味に使われている伝染病と流行病の違いが明らかにされるだろう。


自律神経の刺激で伝染病が起こる。

「病原菌は病気の原因ではなく、病気になった結果である」 という千島説を裏づける研究をフランスの外科医、レ-リィが、一九四三年にとなえた。

 “レ-リィ現象” というもので、自律神経を刺激すると、病原菌が外から入ってくるのでなくとも病気になるという新説をうちだし、実験で実証してみせたのである。

 この実験には病原菌は一つも入れていない。ただ自律神経を強く刺激するだけで、結核、腸チフス、赤痢などの伝染病の症状を発生させたのである。これまでの伝染病学説では考えられない革命的な発見だった。

 しかしこの実験は余りにショッキングであったため、かえってたいした反響をよび起こさなかった。この画期的な発見は、千島の“細菌の自然発生”を支える重要な実験なのだが、今日まで医学界はこの発見を無視しつづけている。
 今までの考え方と根本的に異なる学説は、どこの国でも、いつの時代でも、すぐさま認められるというのは難しいものなのだろう。


 (「千島学説」に興味ある方に(2)へ続く・・・ )